デートでテーマパークに
「……こら、もぞもぞ動かないでよ」
「ご、ごめん。でも」
「もう、そういいながら……」
「だって」
「あんっ……」
「お姉ちゃんだってわかるでしょ? もう僕にはどうしようもないんだから」
「だからってこんな……」
「こんなにぎゅうぎゅう詰めじゃ全然動けないんだってば」
そう。某有名テーマパーク行きの電車は、朝の通勤ラッシュ顔負けって感じで混んでいた。
事の発端は3日前にさかのぼる。
生徒会室でお姉ちゃんの仕事を手伝っていると会長に声をかけられた。
「ねえ、今度の連休……ひま?」
まあ、僕も鈍いとか何とか言われるけど、その問いがどーゆー意味なのかわからないほど鈍感じゃないので、即座に返事した。
「うん、全然暇だけど」
嘘じゃない。
クラブにも入ってないし、テストはまだ先だし。
放課後だって生徒会の(と言うかお姉ちゃんの)手伝いさえなければさっさと帰るだけだし。
休みの日に一緒に遊ぶ友達ぐらいはいるけど、まだ何の誘いも受けていない。
まあ、週の初めの月曜日から週末の約束する人もいないと思うけど。
「えーとね? 実はテーマパークの入場券貰ったんだけど」
「うん。何時に待ち合わせ?」
「ま、まだ何も言ってないわよ?」
「え?デートじゃないの?」
「でででででデートってそんな!」
「えー、違うのー?」
がっかりした。
この前、なんだかんだで『ご近所さんで姉弟みたいな幼馴染』から『恋人同士』になれたんだけど、実はまだデートっていうのをしたことがない。
まあこの前お姉ちゃんの家には遊びに行ったし、その時に泊まって……いやその辺はさておいて。
そんなことを考えて引き続きがっかりしてるとお姉ちゃんはまるで言い訳するみたいに喋り始めた。
「いや、デートと言えばデートなんだけど、っていうかむしろそれは望むところなんだけどちょっとまだそう面と向かってはっきりといわれると恥ずかしいっていうか心の準備がまだ!」
顔を真っ赤にしてわたわたと慌てふためくお姉ちゃんは本当にかわいい。年上なんだけど素直にそう思う。
「ありがとう。嬉しいよ」
「あ……」
僕がそう言ってわたわたと振ってる両手を取ってぎゅっと握ると、ぼっ!とまるで湯気でも出るんじゃないかという感じでお姉ちゃんは顔を真っ赤にした。
「どうせなら会場から行かないと損だから、駅の改札に8時半ってことでいい?」
「う、うん! 実は今週末から新しいアトラクションが始まるらしくって……」
がちゃ
「こんちわー」
入り口のドアを開けて入ってきたのは副会長の葵さんだった。
「それじゃあ、予定の時間には遅れないようにお願いするわね?」
「え? あー、はい」
「だめよ、彼氏いじめちゃ」
「いじめてなんかいません!」
即座に『お姉ちゃんモード』から『優等生モード』に切り替わったお姉ちゃんについていけず、少し慌てていると葵さんは勘違いしたのか、笑いながらお姉ちゃんにそんなことを言っていた。
ああ、違う違う。
人前では『会長』って呼ばなきゃダメなんだっけ。
「ごめんね、この子男の子に免疫ないから」
「葵!」
そんなことを言って愉快そうに笑う葵さんと、顔を真っ赤にして怒る会長を前にして、僕はどうすればいいのかわからなくて、とりあえず苦笑いしてみた。
「あ、そうそう。例のテーマパークの券ってまだ余ってるでしょ?」
「ええ。あと8枚あるわよ」
そう言って会長は自分のバッグから入場券を取り出した。
「何で2枚減ってるのかは聞かないでおいてあげる」
「葵!」
またそう言って怒る会長の手から入場券を数枚抜き取ると、即座に携帯電話で誰かに連絡している。
「うん、そう。チケット手に入ったから。」
まあ、明日は休日だし、葵さんも誰かと遊びに行くんだろう。
「わかった。そんじゃ8時半に駅の改札前で」
「「え?」」
思わず聞き返してしまった僕と会長を見ると、少し怪訝そうな顔をしながら葵さんは電話を切った。
「もしかして、待ち合わせ場所いっしょだった?」
「あ、はい」
しまったと思った時は遅かった。
思わず反射的に返してしまったその声に葵さんは面白そうににやりと笑い、会長はその目を吊り上げて怒りをあらわにする。
いや、本当にしまった。
「大丈夫。わたしも友達何人かと行くんだし、あんたたちのデートの邪魔したりはしないから」
『『……嘘だ』』
僕と会長は目を合わせ、同時にそう思ったけど今更待ち合わせ場所を買えるわけにもいかないので、果てしなく不安だったけどそのまま当日を迎えることになった。
まあ、そんな心配も結果的には杞憂に終わったんだけど。
どうも休日にテーマパークに行こうと言う人間はたいそう多いらしくて、さらに新しいアトラクションが始まるともなれば倍率ドンさらに倍って感じで電車の中は、それはもう大変なことになっていた。
おかげで、待ち合わせ場所で会った葵さんたちに多少からかわれたけども、人の波に流されて途中の駅で何度か乗り降りしたりしてるうちにものののみごとにはぐれることに成功した。
まあ、それでも何とかがんばってお姉ちゃんとははぐれないですんだけど。
「会長、大丈夫ー……」
葵さんとははぐれたけど、二人っきりじゃないからとりあえず『会長』って呼んでみる。「う、うん……」
電車の中にぎっちりと詰め込まれて、息をするのも辛かったけどそう聞いてみると、会長の返事も今にも消えそうな声だった。
快速運転のこの電車だと、あとはもう目的地まで停車することは無いので、会長とはぐれる心配もないし、あっちこっちに流されることも無いだろうからとりあえず一安心。
もぞもぞ
「会長?」
もぞもぞもぞ
「会長?」
人心地ついて気が付いたんだけど、さっきから会長がやけにもぞもぞと動いている。
もぞもぞもぞもぞもぞ
「どうしたの?」
「……た」
「え?」
「パッドがずれた」
「ええっ!?」
「しっ。大きい声出さないでっ。バレちゃうでしょっ」
そう言われて慌ててあたりを見回してみると、周りの乗客は『五月蝿い』と言った感じでにらんでくる人がいるものの、会長の言葉を聞いていた人はいないみたいだった。
「ど、どうするの!? あと5分ぐらいで着いちゃうよ?」
「だからさっきから直そうと思ってがんばってるんじゃないっ!」
そう言って会長はまたもぞもぞと動き出すけど、満員電車の中では両手を満足に動かすことはできないみたいだ。
しかもこう見ていると段々とずれが大きくなって状況が悪化していっているような気がする。
「か、会長!」
「しょうがないわ」
「ど、どうするんですか?」
「……て」
「え?」
「……優くん直して」
「えええっ!?」
また周囲からにらまれたので慌てて声のトーンを落とす。
「なななな直せって胸パッドだよ?」
「……しょうがないでしょっ! こんなすし詰めの電車じゃ両手うまく使えないし」
「……でも」
「いいから早くっして! もう時間無いんだから!」
言われて窓の外を見ると刻一刻と目的地は近づいてくる。
確かに躊躇している余裕は無いから、ここはひとつ意を決して手早く直すことにする。
「えとそれじゃあ、失礼します」
「う、うん」
二人で息を飲み、緊張しながら不自由な手を少しずつ動かして
むに。
「あんっ!」
思いっきり触っちゃった。
しかもパッドといっしょにブラもずれてたところを思いっきり。
「へ、変なとこ触らないでよっ!」
「ご、ごめん。でも電車がっ!」
ゆれる電車−しかもすし詰めの満員電車の中で周囲に気づかれないように慣れない作業をするっていうのはとても難しい。
いや、『恋人のブラからずれ落ちそうなパッドを元の位置に戻して形を整える』と言う作業に慣れたくはないけど。
しかも今のでまたパッドがずれて、いよいよのっぴきならない状態になってしまったみたいだ。
「ご、ごめん会長! 次はちゃんとやるから!」
「う、うん。お願い」
僕の失敗に一度は気を悪くした会長だったけど、僕がそう言うとまた落ち着いたのか、思うように体勢を変えられない中で、なんとか作業しやすいようにとがんばってくれる。
『もう、失敗は許されない!』
電車はいよいよ目的地に近づき、窓の外からは観覧車が見える。
ラストチャンス。
意識を集中して、服の上からずれかけたパッド手を添え、下のほうから一気に、それでいて正確に!!!
ギギギギギギギギィィィーーーーーーー。
「おおおおおおおおっ!?」
電車が急停車した。
すし詰めなのが幸いして、転んだりはしなかったがそれでも車内では悲鳴のようなものが上がった。
『申し訳ありません。ただいま、線路内に人が立ち入ったとの連絡がありましたので、一旦停車します』
ざわざわざわ
車内で愚痴ともなんともつかない声があがる中、僕とお姉ちゃんは途方にくれていた。
僕の目の前には、顔を真っ赤にして胸を押さえるお姉ちゃん。
そして僕の右手には、ほのかな温かみの残る、
お姉ちゃんの胸パッド。
なにがどうなったかよくわからないけど、さっきの急ブレーキでなんかこんなことになっちゃったらしい。
「ちょちょちょちょちょっと、優くん!!」
「ご、ごめんお姉ちゃん!」
人前だけどもう呼び名を気にしてる余裕なんか無かった。
いやちょっとこれはなんというか絶体絶命、楠優16年の人生ピンチランキング初登場ダントツ第一位って感じ。
そんなことを考えていた僕が我に返ったのは再び流れた車内放送だった。
『お待たせしてしまい、申し訳ありません。線路内の安全が確認されましたので、まもなく発車します』
その方そうに偽りはなく、駆動音と共に電車は走り出す。
目的地に刻一刻と近づいていく。
「って言うかっ!」
絶体絶命である。
僕の右手にある胸パッド。
胸パッドがここにあるということはお姉ちゃんの胸には当然無いわけで、そうすると必然的に胸はナチュラルな状態であるぺったんこな状態なわけで。
「あ、いたいた。おーい」
こんなときに限ってはぐれたはずの葵さんに見つかったりするわけで。
『次は○○〜、○○〜、お出口は右側になっております』
もうすぐ駅なわけで。
電車が止まって駅に降りたら葵さんたちにお姉ちゃんの胸のサイズがばれるわけでそれは絶対避けないといけないわけで。
「うわわわわ、どうしよどうしよ!?」
それをわかっているので、若干パニくりながらあたふたと慌てるお姉ちゃんを前にして、僕は決断した。
「お姉ちゃん、ごめん!」
「え?」
あっけにとられるお姉ちゃんを無理矢理ドアの方に押し付け、その後ろから覆い被さるような体勢になりながら、シャツの襟元のボタンを2個ほど外して襟口からパッドを突っ込んだ。
「ひゃあんっ!」
お姉ちゃんの上げた色っぽい悲鳴に盛り上がってくる気持ちを必死に押さえて、ブラの下まで手を進める。
「ちょ、ちょっといくらなんでも」
「お姉ちゃん、声あげると気づかれるから!」
「で、でもぉ……」
顔を真っ赤にして振り向いて、涙目で見上げてくるお姉ちゃんの顔にまたむらむらと来たけど必死に押さえ込む。
「ほら、時間が無いんだから!」
僕の声にびくっと驚き、黙りこむお姉ちゃん。
大人しくしてる間にパッドをブラの中に……
「ねぇ、お尻に当たってる……」
「いいから黙ってて!!」
「○○〜、○○〜、本日は電車が遅れてしまい、大変ご迷惑をおかけしました……」
独特の抑揚で流れる駅の構内放送を聞きながら、僕とお姉ちゃんは駅のベンチで虚脱していた。
終わった。
いや、何とか危ないところだったけど胸パッドは無事に戻った。
「はい、おつかれさま〜」
「あ、どうも」
「ありがと」
電車を降りたところで合流した葵さんにジュースを貰ってお礼を言う。
さすがに緊張して喉がからからだったので、渡されたスポーツドリンクはそんな体に染み入るように広がって、喉の渇きを癒してくれる。
「でも、あんたらさあ。もうちょっと控えた方がいいよ?」
「「……?」」
意味がわからない。
「いや、さすがにあれだけぎゅうぎゅう詰めで押し付けられてりゃそんな気になるのわかるけどさあ」
さっぱりわからない。
一瞬胸パッドのことがバレたのかと思ったけど、口ぶりからするとそういうわけではないみたいだし。
「ねえ葵。何の話?」
スポーツドリンクの缶に口をつけたまま悩んでいるとお姉ちゃん−あーいやいや今は葵さんが目の前にいるから会長って言わないと−会長が葵さんにそう聞いた。
葵さんはその質問を聞くと若干言いづらそうに、でもとても楽しそうに答えてくれた。
「いや、満員電車で痴漢プレイ」
ぶううううっっっ!!!
スポーツドリンクを思いっきり吹いた。
さらにはむせた。
呼吸ができない。
「あああああああ葵、あなたいったいなにを!」
「いやだってさあ、あの急停車の時にやっと見つけたと思ったら二人とも『しまった』って顔して顔そらすし、発進したと思ったらドアのとこでなんかもぞもぞやってるし」
「いやそれはちょっとほら、あの急停車で変な姿勢になっちゃったから!」
「そそそそそそうよ葵、それでちょっと無理矢理姿勢を変えただけで」
なんとか呼吸を整えてお姉ちゃんと二人で必死になって弁解するけど、葵さんはまだ何かあるのかにやっと意地悪そうに笑って指差した。
「だって、シャツのボタン掛け間違えてるよ?」
「「ええええええええっ!?」」
「しかもボタン一個外れてるし」
本当だった。
パッド直した後慌ててシャツ直したんだけど、その時失敗したっぽい。
「まあ、ほら。とっといて」
会長が慌ててシャツのボタンをかけ直していると、葵さんは一枚の封筒をくれた。
封筒には「楠優、柊聖殿」とか毛筆の綺麗な字で書かれている。
「こ、これは?」
「あ、うん。本当はもうちょっと後で渡そうと思ったんだけど、ひょっとして今すぐ必要かなって思って」
言われて開けて見ると中には紙が一枚。
『○○ホテル 宿泊券 1302号室(ツイン)』
「ああああああ葵さん!!」
「おっ幸せに〜♪」
それだけ言い残し、葵さんはちょっと離れたところにいた友達と一緒に行ってしまった。
右手に宿泊券を持ったまま呆然としていると、ボタンをかけなおした会長が側に来た。
「全く葵さんも、困ったもんだよね」
ははははは、と力なく笑ってみるけど、会長はうつむいたまま何も言おうとしない。
「……お姉ちゃん?」
「……る?」
「え?」
「……どうする?」
「えと、『どうする?』って言われても……」
困惑して僕がそう言うと、会長は意を決したように顔を上げて僕に問い掛ける。
「宿泊券……使う?」
顔を真っ赤にしたお姉ちゃんが、目を潤ませながら、下から見上げてきて、さらに直しきれなかったシャツの襟のところがちょっと乱れてたりすると、僕の返事はひとつしかありえないわけで。
まあ、休み明けの生徒会室で葵さんの追及をかわしきるのはとてつもなく大変だった。
楠優16年の人生ピンチランキング第二位って感じで。