あの夜、月明りの下で忍は言った。
「……『誓い』を立てるかどうか…えらんでほしいの」
「……今見たことを『忘れて』…過ごすか」
「…知ったまま…一族とともに、秘密を共有して生きていくか…」
「……『忘れたい』なら…」
「……ちょっとしたおまじないで、忘れさせてあげる…」
「…秘密を共有してくれるなら……血を分けた仲として……私は、きっと一生……高町くんの……」
「……えと……」
「友達でも、きょうだいでも……他のでも」
「……関係はどうであれ……きっと、ずっとそばにいる…」
「………どうかな………?」
そう言って不安げにこっちを見つめる忍に対して、俺は自分の言葉を一つ一つ確かめるように、ゆっくりと答えた。
「俺は、一生を月村と共に生きる」
俺は誓い、そして忍と結ばれた。
その後、月村家の遺産を巡って様々な騒動があったが、父から受け継いだ御神の剣技と、忍の強固な意志と、ノエルのフォローと、それに様々な友人たちの力を借りて、全ての騒動にはとりあえず決着がついた。
そしてこの春、風芽丘を卒業した俺―高町恭也はそれまで住んでいた家を出て、月村家に移り住んだ。
まあ、色々あったが家族も全員祝福して送り出してくれた。
そして俺と忍と、ノエルとねこ。
今はこの三人と一匹で楽しく暮らしている。
高町家のみんなもよく遊びに来るし、引っ越す前から忍の家にはよく来ていたのであまり違和感は無い。
でも、ふと目をやると愛する女性がいるというのはいいものである。
まあ、一応大学には進学したものの俺も忍もそんなに学業に熱心な方ではないので結構のんびりすごしている。
そんなある日、のんびりと読書にいそしんでいると忍に声をかけられた。
「ねえ恭也、何か欲しいものある?」
「どうした?やぶから棒に」
読みかけの本にしおりを挟み、閉じながらそう聞く。
「だって恭也、誕生日でしょ?」
「ああ、そうだが」
そう。明日は俺の誕生日で、19歳になる。
と、言っても一昨日フィアッセから「今度の日曜日、翠屋で恭也のバースデーパーティーをやるから」と言われて始めて気づいたのだが。
例年なら誕生日当日にパーティーを開いてくれていたのだが、当日翠屋は予約のお客さんが入ってしまったので日程をずらしたらしい。
そのかわり高町家のみならずフィリス先生やさざなみ荘の人たちにも声をかけて、盛大なパーティーにしてくれるそうだ。
「やっぱりプレゼントは当日に渡してあげたいし」
「別にみんなといっしょの時でも」
「それじゃつまらないじゃない」
言ってむー、とふくれてみせる。
ようするに『みんなといっしょにプレゼント』と言うのが気に入らないらしい。
まあ、そんな気持ちは嬉しくもあるのだが、急に言われてみてもなかなか思いつかない。
今まではまあ、多少裕福だったかもしれないがどちらかというと一般的な家庭だった高町家に住んでいたのに、そこから総資産数億円の上に専属のメイドまでいる月村家の屋敷に移り住んできたのだ。
何かを欲しいと言うよりも、あるものが多すぎて返さなければいけない気までしたりする。
だから返答も、
「あー、いいぞ。忍の気持ちがこもっていればなんでも」
とかいうありきたりなものになってしまった。
「嫌。初めての誕生日プレゼントなんだからもっと思い出に残るようなものにしないと」
「いや、だからほら。誕生日プレゼントなんて言うものは気持ちがこもっていればなんでもいいのであって」
「やだ」
「いや、やだって言われても」
忍はそう言ってまた難しい顔をして悩み始めた。
おそらく忍は高町家のみんなとは一味違ったプレゼントにしようとして、一生懸命考えているのだろう。
もちろんそれは嬉しいことなんだが、だからと言ってあまり思いつめるのもなんだし、さっきも言ったように、贈り 物と言うのは気持ちがこもっているのであればなんだって嬉しいものである。
「そんな無理しなくてもいいぞ?」
だから、相変わらず真剣な顔をして思い悩む忍に思わずそう声をかけてみたが、それは逆効果だったようだ。
「絶対忘れられない誕生日にしてあげるんだから!」
忍はそう叫んで立ちあがる。
「ノエル、手伝って!」
忍はそう言いながら部屋を出る。
その言葉を聞いたノエルはどうしようかと一瞬悩んだようだが、俺が無言で小さくうなずくと「それでは、失礼します」と一礼した後に部屋を出ていった。
まあ、多少不安はあるが誕生日にくれるプレゼントを一生懸命考えてくれるのだ。邪魔することもないだろう。
とりあえず俺は明日を楽しみに待つことに決め、読書を再開することにした。
忍‘s View
「絶対忘れられない誕生日にしてあげるんだから!」
わたしはそう言い残して恭也の部屋を出てきた。
恭也がわたしのことを気遣って、ああいうことを言ってくれたのはわかっていたけど、なんとなく納得いかなかった。
それに、今度の誕生日は恭也と仲良くなってから始めての誕生日だし、せっかく同棲しているわけだし。
「さて、どうしよっか?」
ノエルといっしょに部屋に戻り、扉を閉めてそう問い掛ける。
実は、プレゼントするものをもう一週間近く前から考えていたんだけど、全然思いつかなかったのだ。
それでもう最後の手段ということで直接恭也に聞いてみたけど、結果はああだったし。
「恭也様でしたら、何をプレゼントされても喜ばれると思いますが」
「それじゃダメなの。もう恭也が心の底から喜びそうなものじゃないと」
そう。高町家からこっちに来てくれた恭也には、最上級の喜びをプレゼントしたい。
別に張り合うわけでもないんだけど、高町家のみんなよりも喜ばれるプレゼントをしたい。
……いや、張り合ってるかも。
悔しいけど高町家の人たちは恭也の好みをよく知ってるだろうから、プレゼントもいいものをくれるだろう。
でも、わたしは恭也の恋人なのだ。
一緒に過ごすようになってから、それどころか会話するようになってから2年も経っていないんだけど、それでも 恋人なんだからこういうイベントは大切にしたい。
そんなことはないと思うけど、自分の家からこっちに来た恭也にはちょっとでも後悔なんてさせたくない。
「プレゼントと言えば、その人の必要としているものか、もしくは収集しているものを差し上げるのが最善の選択かとも思いますが」
「恭也の必要としているものか集めてるもの……」
考えて見るが、なかなか思いつかない。
恭也はあまり多趣味なわけでもないし、あんまり物を欲しがる人間でもない。
「恭也の趣味って言うと……」
「盆栽ですね」
「……盆栽ね」
そう。恭也は一人で暇になるとトレーニングをしているか、庭に出て盆栽の手入れをしているかだ。
ちょっと年に合わない趣味だと思うけど、本人はたいそう楽しそうだったのでまあ、いいんだと思う。
機械いじりが趣味な年頃の女の子もいるわけだし。
でも。
たしかに趣味と言えば盆栽だが、同棲している恋人に初めて贈る誕生日プレゼントが盆栽ってのもちょっと。
「恭也―、お誕生日おめでとー!!」
「ああ、ありがとう」
「それで、恭也にプレゼントがあるの」
「なんだ?」
「じゃーん! 五葉松の盆栽―!!」
そんな誕生日はいやだ。
恭也は喜びそうだけど絶対いやだ。
「他には……」
「恭也様のほかの行動と言えば、トレーニングをしているか忍お嬢様といっしょにいるかですが」
「むー……」
困った。最近はお互い特になにもせずにいっしょに過ごすことが多くて、それはそれで満足してたのだが、まさかこーゆー理由で困るとは。
「他によさそうなものというと、刀でしょうか」
「たしかにねー」
でもまあ、よくわからないけどああいうものは質の悪いものじゃあ意味が無いんだろうし。
とりあえず来年はそれもいいかと思いつつ、別な案を練ることにする。
まだ料理の準備もしていないし、飾りつけもしたい。
どうやら今夜は長くなりそうだ。
恭也's View
ぐぅ〜〜〜〜。
腹が鳴った。
ふと、時計を見るともう夜の9時。
普段であれば食事を終わらせ、ひとっ風呂浴びて汗を流し終わったころである。
しかし、結局忍とノエルはあの時部屋を出ていったまま、戻って来る気配すらない。
何度かあちこちで物音がしていたが、おそらく明日のパーティーのために準備をしてくれているのかと思うと、部屋から出てそれを見に行くのもはばかられた。
しかしそんな物音もしばらく前からなくなり、静かになった。
どうやら二人とも忍の部屋で何かしているようだ。
前に聞いた話によると、忍は別に一食ぐらい抜いても平気らしいし、ノエルにいたってはそもそも食事をしない。
従って今夜は食事をせずに『会議』をするようだが……
ぐぅ〜〜〜〜。
いくら御神の剣士であろうと体を鍛えていようと、俺は普通の人間である。
食事の時間になれば普通に腹も減る。
しかし、自分へのプレゼントのために部屋にこもって話し合っている二人を呼び出すのも気が引ける。
どうやら夕食は俺が何とかしなければいけないらしい。
まあ、別に俺は料理ができないと言うわけではない。
高町家にいたころは晶とレンが、そしてこっちに引っ越してきてからはノエルがいるので料理する機会こそなかったが、門前の小僧がなんとやらで、さすがに凝ったものはできないが、簡単な物であれば作れるようになるものだ。
……まあ、中にはしっかり習っても全く料理のできない奴もいるが。
剣の技術は教えれば教えただけ、いや時にはそれ以上、まさに真綿が水を吸うように上達していくと言うのに料理はからっきしである。
あのままでは下手すると、というか近いうちになのはに抜かれるんじゃないかと思う。
……話が脱線した。
そんなわけで、久しぶりに自分で料理をしてみることにした。
まあ、とりあえず今夜さえ過ごせればいいのだからそんなに凝る必要もない。
そんなことを思いつつ厨房に来てみると、そこにはかなり本格的な調理器具があった。
しかもノエルが使ってるだけあってきっちりと整理整頓されていて、使いやすそうである。
まあ、調理器具は一般家庭というよりどこかの料理店並みのものがそろっているが使い方はさして変わらないようだ。
とりあえずコンロと水道の蛇口の位置を確認してこれまた本格的な−おそらく業務用であろう冷蔵庫を開け、食材を確認する。
がつん。
冷蔵庫の扉が開かない。
がつん、がつん。
そろそろ空腹が限界に近づいていたため見落としていたが、よく見ると冷蔵庫の扉にはメモ用紙が貼り付けてあった。
あまり本人のイメージとは合わない(などというと怒るだろうが)女の子女の子した可愛らしい字体で、忍からのメッセージが書かれている。
『つまみ食い禁止』
……まあ、そうだな。
明日パーティーをやるのであれば、前日に料理の仕込みぐらいは終わらせておくのかもしれない。物によっては冷蔵庫に入れる必要もあるだろうし、せっかく用意したものをつまみ食いされたくもないだろう。
「いや、でもな忍」
周りに誰もいないのはわかっているのだが、言わずにはいられなかった。
「この鍵はどうかと思うぞ」
そう、冷蔵庫にはしっかりと鍵がかけられていた。
まあ、鍵ぐらいは理解できる。
レストランなどでは食材をしっかり管理する必要があるだろうから、鍵つきの冷蔵庫というのもあるだろう。現に翠屋の冷蔵庫にも鍵はついている。
月村家でも、『一族』の人々を呼んでパーティーをすることがあるらしいので、そう言ったことに気を配っているのかもしれない。ノエルであればまあ、うなずける話だ。
しかし。
「始めて見たぞ、こんな厳重な冷蔵庫」
そう。中央にテンキーの配置されたそれは、明らかに電子ロックだった。
しかも市販されているものではないらしく、なんだか電子ロックから伸びたコードが怪しげな缶やらなにやらに接続され、そこはかとなく凶々しい印象まで受ける。
っていうか、自宅の冷蔵庫にトラップを仕掛けてどうする。
まあ、庭先にレーザートラップを仕掛けているるぐらいだから、当然といえば当然なのかもしれないが。
俺も最近、美佐斗さんにいろいろと教えてもらう機会があったので多少ならば心得があるものの、さすがに夕食のために危険を冒す気はしない。
ましてや伸びたコードが『C4』とか書かれた粘土の塊のようなものにつながっているのを見れば当然だろう。
つまみ食いしそこねて爆死というのはあまりに馬鹿みたいだ。
っていうか、さっきの衝撃でトラップが作動しなくて本当によかった。
冷蔵庫をあきらめて周囲を見回してみるが、ノエルの手によってきちんと整理整頓された厨房には何も食べられそうなものは見つからなかった。
冷蔵する必要のないものはおそらく別な貯蔵庫にあるのだろうが、この調子だとそっちにも鍵やトラップは仕掛けられているだろう。
「……寝るか」
ぐぅ〜〜〜〜。
懸命に自己主張する腹の虫を意識の外に追いやり、とりあえず俺は、空腹を紛らわせるために寝てしまうことにした。
ぐぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
寝ることにしたんだってば。
そして次の日の朝。
市街地から多少離れたところに位置し、広い敷地を有する月村家の庭には様々な植物が植えられ、人の喧騒とは縁がないため、鳥や様々な動物たちがしばしの休息を得に来たりもする。
正式に飼われているのはねこだけだが、敷地内ですごしている動物たちはもっと多いだろう。
朝、日が昇ってしばらくすると鳥たちも目を覚まし、鳴きはじめる。
そんな心地よい環境で俺はゆっくりと
ジリリリリリリリリリリ!!!!!!!!
「五月蝿いっ!!!!」
バシン!
いまだかつて聞いたことのないような大音量で鳴り響く目覚ましを止め、むくりと起き上がった。
「……目覚まし?」
そう、枕もとには目覚し時計があった。
しかもなんだか凄いやつが。
「……なんでこういうことには労力を惜しまないんだ、あいつは」
そう。目覚し時計は世間一般の時計屋や電気屋に売っているような強力目覚ましなのだが、これにもなんだかコードやらなにやらが繋がれている。
おそらく俺を確実に目覚めさせるために昨晩改造したのだろう。
そしてまあ、ある意味予想通り忍からのメッセージが貼り付けられていた。
『着替えてすぐに食堂にくるように 忍』
「全く、もう」
おそらく昨晩、俺が眠りに落ちたあとにこっそりとこの目覚し時計を設置したのだろう。
必死になって足音を殺し、楽しそうに枕もとに置いて帰る忍の表情が目に浮かぶ。
そんなことを考えていると、朝の心地よい目覚めを妨害された苛立ちなんかはどこかに行ってしまった。
「じゃあ、急ぎますか」
そうつぶやいてベッドから降り、着替えをはじめる。
昨日の晩は結局なしで過ごしたわけだし、思う存分ご馳走してもらわなければいけないし。
ぐぅ〜〜〜〜。
「いや、もう少しの辛抱だから」
思い出したとたんに鳴り出した腹の虫に、ついそんな声をかけながら俺はいそいそと部屋を出て行った。
そして俺は、たいした時もかけずに食堂の前にたどり着いた。
まあ、いくら広い屋敷といっても建物内だったら5分も歩けば端から端まで行くことはできる。
ましてや食堂は屋敷の中央に位置しているため、そんなに時間はかからない。
食堂の扉は閉められていて、周囲には誰もいないが中からは気配を感じる。
こん、こん。
「どうぞー」
そのまま扉を開けるのも気が引けたのでノックしてみると、中から忍がとてもうれしそうな声で返事を返してくる。
まあ、このまま中に入るとすごいご馳走が並んでいるとか、クラッカーが鳴り響くとか、そんな感じだろうとは思うのだが、特に考えずに扉を開く。
せっかく俺のことを祝おうと趣向を凝らしてくれているのだから、素直にそれを味合わないのは失礼というものだろう。
「恭也、おめでとー!!」
「おめでとうございます」
パァン!パパパパパパパァン!
忍とノエル、二人の祝福の言葉と連発式のクラッカー。
そして食堂には様々な装飾がなされており、テーブルには様々なご馳走が。
無論ケーキも豪華なものがドンと鎮座している。
そんじょそこらの結婚式でもここまでの料理がそろうことはないだろう。
予想していたとはいえ、正直ここまでとは思っていなかったので多少面食らった。
「ふっふーん、今日の料理は私も手伝ったんだから」
忍が得意そうにそう笑みを浮かべ、ノエルもその横で控えめに笑みを浮かべている。
「さあ、恭也はそこのお誕生日席に座って」
忍がそういうと、ノエルが無言で席を引く。
それにつられて席に座り、目の前に出された飲み物を一口飲んでのどを潤して、やっと声を出せるようになった。
「えーと、二人とも」
「今日は恭也の誕生日なんだし、わたしたち二人で精一杯お祝いするから♪」
「よろしくお願いします」
「いや、っていうか」
「何?」
「なんでしょうか」
相変わらず、いつものようにー多少テンションが高いものの普段どおりに過ごす二人に向かってやっとの思いで問いかける。
「何で二人ともYシャツ一枚か」
そう、二人とも素肌の上にYシャツを羽織っただけの姿だった。
「嫌い?」
「いや、そりゃ嫌いじゃないが」
確かに嫌いじゃない。っていうかむしろ好き……いやいや。
「昨日の夜ね、ノエルと二人で色々考えたのよ」
「ああ」
「プレゼントなんだけど、やっぱり今日の明日で凄いもの用意するってのも無理な話しだし」
「いや、だからそんなに無理しなくてもいいと」
「でもね、わたし気づいたの。何かものを渡すだけがプレゼントじゃない、って」
「ああ。そりゃそうかもしれんが」
「と、いうわけで今日は一日この格好でサービスしてみようかと」
「よろしくおねがいします」
言いたいことは山ほどあったはずなのだが、忍に続いてノエルにもそう言われてしまうと、もはや何も言うことはできなかった。
まあ、とにもかくにも色々あったがやっと食事にありつけるわけで。
思い直してみると昨日の昼から何も口にしていなかった上に、目の前にはノエルがその技術の粋を尽くした料理が所狭しと並んでいたりして、俺もそろそろ限界である。
「いただきます」
何とかそれだけ言うと、食器を手にとってご馳走を……
「ノエル」
「はい、何か」
「ナイフとフォークは?」
そう。俺の目の前には取り皿こそあるものの、他の食器は見当たらなかった。
「ノエル、準備して」
「はい、かしこまりました」
俺に続いて、俺の隣に座る忍にそう言われて、ノエルは厨房のほうに戻っていく。
「ノエルにしては珍しいな」
「ん? 何が?」
「いや、こんな些細なミスが。今まで食卓に足りないものがあったことなんて無かったじゃないか」
「ミスだと思う?」
ふっふー、と忍がまた何かたくらんでいるかのような笑みをを浮かべる。
と、するとこれもまた『サービス』の一環なのだろうか。だとするとあまり勘ぐるのも二人に失礼な気もしたので俺は素直に受け入れることにした。
「お待たせしました」
そろそろ空腹が限界を突破し、手づかみで食べられるものは無いだろうかと考え始めたころにノエルは戻ってきた。
ノエルがテーブルの上にナイフとフォークを並べ終わるのも待つのももどかしく、再度「いただきます」と言ってナイフとフォークを手に
「だめよ恭也。今日はサービスするんだって言ったでしょ?」
取ろうとしたところで忍に阻止された。
具体的に言うと伸ばした手をつかまれた。
「いや、サービスは嬉しいがあまり時間が経つと料理が冷えるしな?」
「で、恭也はなにが食べたいの?」
「えーと……そこのローストチキン」
忍に問われ、少し悩んでそう答える。
その言葉を聞くとノエルは無言でチキンを切り分ける。
そして適量を皿にとり、俺の……横に座った?
「はい、どうぞ」
ノエルはその手にフォークを持ち、俺のほうに向ける。その先端には先ほど切り分けたチキンが刺さっていたりする。
「えーと、ノエル?」
「だめよノエル。最初はわたしって決めたじゃない」
「失礼しました。それではどうぞ」
抗議の声をあげた忍にノエルが謝罪し、チキンを乗せた取り皿が俺の目の前を通過して、忍の手に渡る。
「忍?」
「はい、あーん」
「あーんってお前」
「わたしは今恭也のフォークの代わり」
「それがサービスか」
「うん。こんな美女二人に『あーん』してもらうのって最上級のサービスだと思わない?」
「いや、サービスって言うか……」
「やっぱりフォークの代わりじゃなくて、お皿の代わりのほうがよかった?」
「皿?」
「うん。えーと、なんて言うんだっけ。」
「忍お嬢様、それは女体も」
「フォークのほうでお願いします」
「はい、あーん」
「……あーん」
もぐぐもぐ。
「美味しい?」
「ああ」
前日から仕込みを行っただけあり、確かに美味かった。
「じゃあ次はノエルの番ね」
「失礼します」
「あー、ノエル?」
「だって私だけじゃ不公平じゃない」
「いや、不公平っていうか」
「どうぞ」
「いやだからノエルも」
「そうよノエル。こういうときは「あーん」って言わないと」
「いや、だからそうじゃなくてな?」
「あーん」
「ノエル?」
「あーん」
「……あーん」
もぐもぐもぐ。
「はい、次はこっちー」
「……あーん」
もぐもぐもぐ
「それではこちらも」
もぐもぐもぐ。
「これなんかも」
もぐもぐもぐ。
一口食べるたびに次を差し出されるスプーンやフォークを見て、俺は観念して食事を楽しむことにした。
「……げふぅ」
やはり、いくら空腹と意は言っても人間の胃袋には限界があるようだった。
あのあと二人の「あーん」は延々と続き、結局テーブルの上にあった料理を全て胃袋に収めるまで止まることは無かった。
味は当然よかったし、前日からの空腹もあってなんとか食べてはいたのだが、最後のケーキが難物だった。
もともと俺は甘いものが苦手なのだが、まさか自分の誕生日を祝うために作ってくれたケーキに手をつけないわけに行かず、再び「あーん」にあって残らず平らげることになった。
「うー」
今針で突いたら破裂するんじゃないかと思えるほど張った腹をさすりながら、食堂を出る。
とりあえず腹を休めるために自室まで戻ろうかと思ったのだが、もはや階段を上ることすら億劫だったので応接間にあるソファーで少し横になることにする。
ぼふ。
おそらく高級品であろうソファーの上に体を投げ出し、目をつぶる。
食後にすぐ寝ると牛になるとか言われているが、そんなことは気にしない。
とりあえず枕代わりのクッションをなじませるために頭を動か
「んっ……」
……
すごく近くで何か聞こえた気がする。
とりあえず頭をぐりぐりと動かすのをやめて、クッションの位置を手で
「恭也様、あまりそのようなところを触られますと」
目を開いてみると、間近にノエルの顔があった。
そのまま視線を上にずらすと、俺の手はソファーとノエルの間に挟まっていた。平たく言うと尻の下。
つまり、俺はクッションを動かそうとした俺の手はノエルの臀部をまさぐっていたわけであり……
「す、すまん!」
香港映画さながらの勢いで跳ね起き、謝罪する。
「いえ、このような場所でなければ別にかまいませんが……」
「……」
「……」
「……」
「……お部屋に参りますか?」
「……いやいやいやいやいや」
反射的にうなずきそうだった首をなんとかとどめ、大慌てで左右に振る。
そりゃまあ今更何を言うっていうか尻触るどころかもう色々と……
「と、ところで、ノエルはいつからここにいたんだ? 全く気づかなかったんだが」
そう。いくら記憶をたどってみても、応接間にノエルはいなかったはずだ。食事の後には厨房に引っ込み、たぶん食器洗いでもしてたんじゃないかと思う。
俺より先に食堂を出た忍ならともかく、ノエルが俺より先に応接間に来ることなどありえない。
さらに言うなら、俺が応接室に来た時は誰もいなかったはずだ。
視界に存在しなかったのはもちろん、誰の気配もしなかった。
「自動人形はその力を最大限に発揮できれば人の知覚を越えて動くことが可能です。恭也様が優れた剣士とはいえ、集中力を欠いた状態では知覚できなくてもしょうがありません」
「いや、その能力の使い道間違ってないか?」
「メイドは自らの能力の全てを使用して主人に尽くすものなのです」
誇らしげにそう宣言したノエルには気のせいか威厳まで感じられた。
「それでは、どうぞ」
そう言ってノエルはソファーに座りなおし、自らのひざをぽんぽんと叩く。
つまり、膝枕をどうぞということか。
まあ、未だに腹が苦しい状況は変わらず、自分の部屋に行くのが億劫なことに変わりは無い。
ここで休憩して行きたいのは事実なので、ノエルの申し出を断る理由も無い。
「じゃあ、よろしくお願いします」
無言で横になるのもなんだか気がひけたので、そんなことを言いながら横たわる。
主人である俺がそんなことを言ったのが納得いかないのかノエルは一瞬何か言いたそうな顔をしたが、何も言わずに表情を和らげ、こちらを優しく見つめてくる。
「……」
「……」
「……」
「恭也様、何か」
「いや、こう無言で見詰め合っているというのもどうも」
落ち着かない。
ノエルは何も言わずにこっちをじっと見つめているだけで、その視線も不快なものではないが、どうも落ち着かない。
あからさまに顔をそらすのもなんだし、かといって眼をつぶってみるとその分他の感覚が鋭くなり、頭の下のノエルのふとももの感触が。
「……耳掃除をしましょうか」
「え?」
「耳掃除を。以前読んだ本にはそういうことが書いてありました」
「あー、うん。頼む」
耳掃除をしてもらえば、とりあえずノエルとじっと見詰め合わずにすむ。
終わるころにはこの腹も少しはましになっているだろうから、そうすれば自分の部屋でゆっくりできる。
もてなしてくれる二人には悪いが、とりあえず一回部屋で心を落ち着けたい。
「終わりました。反対側をどうぞ」
「ん? ああ」
考え事をしている間に案外時間は経ったらしく、耳掃除は終わっていた。
続いて、反対側を掃除してもらうために寝返りをうつ。
「では、はじめます」
ノエルがそう言ってまた耳掃除をはじめる。
「痛かったら言ってください」
そんなことをノエルは言ってくれるが、俺の耳には入ってこなかった。
白か。
しかもレースの。
いや、何がっていうか今までノエルに膝枕されたまま耳掃除をされていて、寝転がったままの体制で反対の耳を掃除してもらうためにごろんと寝返りをうったわけだ。
さっきまでノエルに背を向けていたので、寝返りをうつと俺の顔は必然的にノエルの側を向くわけで。
つまり俺の目の前にはノエルの下着があった。
しかも至近距離。零距離といっても過言ではない。
困る。非常に困る。
「恭也様?」
「はい、なんでしょうか」
あまりの事態に動転し、思わず敬語でこたえてしまう。
「そのように緊張されずに、楽になさってください」
恭也様はわたしの主人なのですから、とかなんとか続けているようだが、まるで聞こえないっていうかそんな余裕は無い。
っていうか俺はこの状況でリラックスできるほどアレではないし、そうなりたいなどと思いもしない。
とりあえず今は天国だか地獄なんだかよくわからないこの状況が打破されるのを待つだけだ。
そうしたらノエルに礼を言い、二階に上がって一人ゆっくりとしよう。
忍とノエルには悪いがこんな状況が続いてしまうと俺の精神が
「あー! 恭也、何してるの!」
とりあえず状況は打破されるようだ。あまりゆっくりできそうな雰囲気ではないが。
「どうも恭也が部屋に戻ってこないと思って来てみたら」
「いや、どうも誤解されてるようだがこれはな?」
「せっかくの誕生日にわたし一人仲間はずれにして……」
「いやだからそうじゃなくってこれは耳掃除」
「きょ、恭也様、そんなに息を吹きかけられると……」
「……」
「……」
いやノエルさん、そこでそんな悩ましげな声あげられましても。
「わたしも混ざる」
「……はい?」
聞き返した次の瞬間、忍は俺の上に飛びついてきた。
「恭也―♪」
どさっ。
「危ない!耳かきが!耳かきがっ!!」
危ないところで耳の穴を外れ、頬に当たる。
最悪の事態は免れたものの、それはそれで結構痛い。
そんな俺の様子はまるで意にもかいさないかのように忍はノエルの反対側から抱きつき、すりよってくる。
「ちょ、ちょっと待て、今まだ昼にもなってないし!」
「んー、発情期―♪」
「うそつけっ!」
「恭也さま、そんなところで暴れられますと……」
「うがあっ!」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
そして俺は今、屋敷の外で息を整えていた。
あのあと、悪のりした忍を何とか落ち着かせようとしたが全く効果がないっていうかノエルもだんだん妙なことになってきたので逃げてきた。
さすがに俺もこんな朝っぱらからそんなことするって言うのはちょっと。
いや、もう少し日が沈んで夜になってからならいいのかと言うとそれはまあその。
「いかんいかんいかん!」
とりあえず頭の中に広がりかけたピンク色の妄想を払うために、素振りをはじめる。
部屋に戻って取ってきた素振り用の小太刀を取り出し、決められた型をなぞっていく。
もはや習慣となった一連の動作を繰り返していると、やがて心も落ち着いてくる。
あのあと、忍とノエルに挟まれていた俺はなんとかそこから抜け出て、二人が体勢を整えなおす前に逃げ出した。
御神流、奥義の歩法、神速。
極限まで高められた精神と肉体はその能力を最大限に発揮し、色と音の抜け落ちた世界の中で御神の剣士は何人にも追いつけない速度での運動を可能とする。
そう。その相手が人を超えた存在である夜の一族や自動人形であろうとも、追いつくことはできない。
俺にこの歩法を伝えてくれた父さんも、この歩法を編み出した御神のご先祖様も、まさかこんな目的で使われるとは思っていなかっただろうが。
さておき、小太刀を振り、体を動かしていると心も落ち着いてくる。
忍もノエルも、俺の誕生日を祝おうと精一杯やってくれているのだ。
ちょっと手段とかに問題もある気はするが、それはそれとして。
そろそろ昼だし、さっきあれだけ食べたというのにまた腹が減ってきた。
朝の調子から考えると、昼食も豪華なのだろう。
少しでも腹を減らせようと、型の残りを普段より速く、大きな動作で行って、終わらせる。
それのおかげと言うわけでもないだろうが、食欲はだいぶ出てきた。
「よし、戻るか」
「お疲れさまー」
小太刀を鞘に収め、手をぶらぶらとさせているとタオルと水筒を歩差し出される。
「ありがとう」
礼を言ってそれらを受け取り、汗を拭いて水筒から出ているストローに口をつける。
中にはスポーツドリンクが入っていて、渇いたのどには実に心地よかった。
「ノエルが昼ご飯作って待ってるよ」
「よし、それじゃあかえぶふうっ!」
吹いた。
中学校の時、牛乳を飲んでいる時に笑わされて思いっきり吹きだしたことがあったが、ちょうどそんな感じ。
「やーん、汚いよ恭也―」
いつのまにかやって来ていた忍は、そう言って抗議の声を上げながら、俺が吹きだしたスポーツドリンクのせいでぴったりとくっついたシャツを気持ち悪そうに引っ張ったりしている。
「っていうか忍、こんな外でそんな格好を」
「だって朝言ったじゃない。『今日は一日この格好で』って」
「いやでもこんなところにそんな格好でいて誰かに見られたら」
「大丈夫よ。トラップはすべて発動させてあるから、無断で敷地内に入れば一瞬で消し炭」
そう言って誇らしげにVサインを出す忍はさっきも言った通り濡れたシャツがぴったりとくっついて、その人並みはずれたプロポーションを浮き立たせて……
「ところで忍」
「うん?」
「その……下着は……」
「サービス2ってことで」
神速、本日二回目の発動。
父さん、御神のご先祖様、すいません。
あとでどんな償いでもするので今日は許してください。
色と音の抜け落ちた世界の中で、忍を引っつかんで屋敷に戻る。
扉のところでノエルが何かしゃべっているようだが、神速の領域に入っている俺には何も聞こえない。
なんとか屋敷の中に飛び込むと、そのまま床へと突っ伏した。
「ぜはーっ、ぜはーっ、、ぜはーっ……」
「恭也様、大丈夫ですか?」
床の上に突っ伏す俺の横にノエルが屈みこみ、心配そうに聞いてくる。
「と、とりあえず……水を……」
「かしこまりました」
ノエルは俺の頼みを聞くと、いつものようにすたすたと歩き去る。
まあ、格好は未だにYシャツのみなんだが。
「ぜーっ、ぜーっ、ぜーっ」
「恭也、大丈夫?」
「だ、誰の……せいだと……」
そう言って自分の下にいる忍に
「おわあっ!」
『神速』を発動したままここまで駆け込み、その勢いで倒れこんだ俺の下には忍がいた。
しかも走っている間にどこかに引っ掛けて飛んでしまったのか、Yシャツのボタンは外れており、もう羽織っただけといった状態である。
しかも下着を着けてないからあの、その、なんだ。
動けなかった。
忍の上からどいて、一言謝ってから手を貸し、着替えさせればいいのだが、なぜかそんな気が湧かなかった。
俺が硬直していると、忍はゆっくりと目を閉じる。
そして俺は導かれるように忍と……
「「「「「おじゃましまーす!」」」」」
どうやら開けっ放しになっていたドアのところからそんな声が聞こえた。
そこには、
俺が長年ともに暮らしていた人たちが、
手に手に祝いの品やパーティーグッズを持って、
満面の笑みを浮かべたまま、
固まっていた。
「どうしたの? みんな入ってくれないと中に入れないよー」
人の壁の向こうからなのはのそんな声が聞こえて、時は動き出した。
「ど、どうもお邪魔しました……」
「いや、ちょっと待てきっと誤解してると思うから」
「そうだよね。恭也ももう大人なんだしね……」
「いやだからフィアッセ」
「ねーねー、みんなどうしたのー?」
「あかん、なのちゃんは見たらあかん」
「だからレン、ちょっとでいいから話を聞け?」
「すいません師匠、気をきかせないで……」
「いやだから誤解だって」
「恭也」
さすがに母さんは冷静で、俺のほうに歩み寄り、かがみこんで優しく声をかけてくれた。
「かーさん……」
「その格好で何言っても説得力ないよ?」
ふと見ると、
濡れたYシャツ一枚だけの恋人の上に覆い被さっていて、
そのYシャツはボタンが全部はだけていて、
俺は荒い息をついていたりする。
「いや、だからこれには深いわけが」
「恭也様、お水をお持ちしました」
「ありがとう」
そう言って俺はノエルから水を受け取り、一気に飲み干す。
そしてまたみんなのほうに目を向けると……
ノエルを見て、再度固まっていた。
「おい、みんな?」
呼びかけてみるが、返事は無い。
そんななか、また母さんがすたすたと歩き、ノエルの肩に手をかける。
「こんな息子だけど、よろしく頼みますね」
「はい。誠心誠意尽くさせていただきます」
「ちょっと待て! 絶対誤解してるだろっ!」
「はいみんな、帰るわよー」
そう言って母さんがぱんぱんと手を叩くと、みんなはくるりと後ろを向き、
「それじゃあね、恭ちゃん」
「お幸せにー」
「失礼しましたー」
「ねえ、だからなにがー?」
「だからなのちゃんは見たらあかんて」
口々にそう言って外に出て行く。
「いや、ちょっとだから!」
「恭也」
去っていくみんなに追いすがろうとする俺の前で、母さんが振り返ってそう声をかける。
「若いからって、ほどほどにね」
「だから話しをっ!」
俺の絶叫をよそに、いつもノエルが手入れをしている扉は、なぜか今日はギギィー、とか音を立てて閉ざされた。
「話を聞けーっ!!!」
閉ざされた扉は、何もこたえてくれなかった。
ちなみに次の日曜日のパーティーでも誤解は全く解けずにいたことを付け加えておく。
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