秋葉と志貴の学園生活 第0話「授業参観」

 その日、浅上女学院はいつになく騒然としていた。
 浅上女学院といえば、近隣の県でも名前が知られるほど名門であり、俗に言う『お嬢様学校』である。
 まあそんなわけで生徒には俗に『良家の子女』と呼ばれるような娘が多く、こんなに騒がしくなることは珍しい。
いやまあ別にいまどきの『良家の子女』が淑やかな生徒ばかりかといわれればそんなことは無いのだが、それにしても騒がしい。
 そしてそんな騒がしい教室を見回してみると、ちらほらと生徒や教師以外の人間の姿が確認できる。
 そう。今日は半年に一度の授業参観の日であった。
 浅上がいくらお嬢様学校だからと言っても―――いや、お嬢様学校だからこそ。見られる生徒にとっても、見に来る親にとっても一大イベントとなる。
 そして、今年は昼休み直後の五時間目が授業参観の時間として選ばれたため、昼休みも終了間近になってくると教室の後ろのほうに作られたスペースには父兄が段々と集まりだし、生徒たちも授業の予習をするふりをしながらもちらちらと後ろを気にしていた。
それはこのクラスの中心的な生徒である三人にしてみても、例外ではない。
「うわぁー。だんだんドキドキしてきたよ」
「なんだ、羽居のうちは誰か来るのか?」
「うん。まだ来てないみたいだけど、お母さんが来るって言ってたよ」
「あら、蒼香の家は誰も来ないの?」
「一応『来るな』とは言っておいたんだが……」
 教室のやや前方の窓際、遠野秋葉の席の周りには秋葉の親友でありルームメイトの二人、月姫蒼香と三澤羽居がやってきて、そんな会話をしていた。
蒼香も羽居も、さすがに緊張しているのか動作が微妙にぎこちない。
しかしその向かいにいる秋葉はと言うと普段と同じく余裕綽々って感じで堂々としていたが。
「……なんだか余裕だな、遠野」
「まあね」
すこし不機嫌そうな蒼香の問いにもさらりとそう答える。
普段と変わらず、ひょっとしたら普段よりも悠然とした声で。
「秋葉ちゃんの家からは誰も来ないの?」
「ええ。残念ながら都合がつかないという連絡がありました」
「なんだよ、遠野が熱愛中のお兄様を是非見てみたかったのに」
「蒼香っ!」

キーン、コーン、カーン、コーン……


 蒼香の軽口に秋葉が反論しようとした時に、予鈴のチャイムが鳴った。
 それまでひそひそ声で話していた生徒たちは静まり返り、蒼香と羽居も自分の席へと戻っていく。
 怒りの矛先を失った秋葉は、バツが悪そうに前を向いて自分の席に座りなおす。
『まあ、いいでしょう』
 志貴のことをからかわれたのは少し照れくさいものがあったが、自分の席でいつに無く緊張した面持ちの蒼香を確認していたら気が晴れた。
 なにしろ、秋葉の家の人間は今日授業参観があることすら知らない。
『郵便集積場に侵入までしたんですから』
 秋葉は自分の引き出しの中に『授業参観のご案内』と書かれた封筒があることを確認し、ホッと一息ついていた。




キーン、コーン、カーン、コーン……

 予鈴のチャイムが鳴ってからきっかり五分後、本鈴のチャイムが鳴ると同時に教室の扉が開いて教師が入ってくる。
「起立」
 秋葉が号令に従い、生徒たちはいつにもまして整然と、まるで練習でもしたかのように一斉に立ちあがる。
「礼」
 続く号令に従って、一斉に礼。
「はい、おねがいします」
 黒板の前に立つ女教師の返事を確認すると、全員が顔を上げて姿勢を直す。
「着席して下さい」
 そしてまた全員がそろって席に座る。
「えー。みなさんとは始めまして、ですね」
 そう言われてみればそこに立っているのはいつもの厳しそうな老教師ではなく、まだ年も秋葉たちとさして変わらないような若い女教師だった。
「今朝、事故に遭って入院された山本先生の代理で来ました」
 そう言って眼鏡の女教師はくるりと後ろを振り向き、チョークを手に取って黒板に大きく自分の名前を書く。
「知得留、といいます。みなさんよ―――」
 ガタッ!ダダダダダダダダダダダダ……バタンッ!!
「何してるんですかあなたはっ!!!!」
 眼鏡でショートカットな上にカレー好きな知得留先生の挨拶が終わるのを待たず、席を立った秋葉はシエルを廊下に引きずり出していた。
「いたたたたた……いきなり何をするんですか遠野さん。校内暴力は感心できませんよ?」
「部外者のくせに人の学校にずかずかと入りこんでくるような人に言われたくはありませんっ!!」
「あ。やっぱり、秋葉さんは暗示にかかりきりませんでしたか」
 いつもと変わらない柔らかな笑みを浮かべながら、シエルはあっさりとそう言った。
「そんなことはどうでもいいです! あなたは何をしにきたんですかっ!」
「ああ、秋葉さん人の話はきちんと聞かないといけませんよ? さっきも言った通り事故で入院した山本先生の代理で―――」
「ふざけないでください! さしたる理由も無しに、興味半分でここに来たのでしたらそれ相応の報いは受けてもらいますよ!」
 笑みを絶やすことなく返答するシエルの言葉を遮って、秋葉がそう告げる。
「いえ、今日はかなり重大な用件がありまして」
「それなら、今すぐ説明してもらいましょうか」
「それは構いませんが……いいんですか?」
 そう言われてふと気づくと、教室の中がなんだかざわざわとし始めている。
 それはそうだろう。
 教師が入ってきて、いよいよ授業参観が始まると思った瞬間に生徒が突然教師を廊下へと連れ出したのだ。
 あげくに廊下からはまるで口論するかのような声が聞こえてくる。
 幸いながらまだ誰も閉まった扉を開けて外の状況を確認しようとする人間はいないようだが、それも時間の問題だろう。
「授業が終わったらわかりますよ」
「……わかりました」
 紅く染まりはじめた髪の色を黒く戻し、秋葉はシエルを解放した。
「授業が終わったら、説明していただきます」
「その必要もないと思いますよ」
 秋葉のまるで見る者の心臓をそのまま射抜くような視線をシエルはさらりと受け流し、それだけ言うと教室の扉を開けて中に入る。
「はい、申し訳ありませんでした。授業を始めます」
 先ほどと同じく黒板の前に立ったシエルがそう言ってみても、教室内は今一つ落ち着かない。
「先生、秋葉ちゃんはどうしたんですか?」
「秋葉さんですか。……あ、ちょうど戻ってきたみたいですね」
 羽居からの質問にシエルがそう答えて、一人廊下に残されていた秋葉の方に目配せをしてきた。
 シエルの思い通りに動かされるのは不服だが、ここで逆らってみてもいいことは無いだろう。
そう判断して、秋葉は一度軽く溜息をついてから扉を開ける。
「どうも、お騒がせしました」
 教室に入る時にそれだけ言って、軽く会釈をしてから席につく。
 普通に考えれば事情の説明を求める人間がいてもおかしくないが、そう言った質問は一切行われなかった。
 だってさっきの秋葉が先生を見る目は、敵を見るそれだったし。
 生徒にしてみれば秋葉がらみのいざこざには極力関りたくないし、生徒が(少なくとも表面的には)平然と過ごしているので、親も騒ぎ立てるわけにもいかない。
 まあ、そんな感じで授業は始まった。




「それでは、この部分を訳してもらえますか?」
「ジョンはわたしに対して『人間というのは弱い存在だよ』と告げた、です」
「はい、正解です。ここではジョンが今までの人生から――」
 授業開始は多少騒ぎが起きたものの、その後の授業そのものは思いのほかスムーズに進行していった。
『……考え過ぎだったのかしら』
 授業開始直後はシエルの一挙手一投足に注意を払い、それはもう警戒していた秋葉だったが、授業内容は意外にもマトモだった。
 いや、それどころかいつもの教師と比べると、英語の発音も滑らかですらあった。

 それはそうだろう。
 実は、シエルはああ見えても埋葬機関の任務で世界各国を渡り歩いているのだ。
 任務である死徒の殲滅には現地での調査が必要になることも多く、その関係から各種言語を始めとした様々な知識は身に付けている。
 シエル本人の性格もあり、本人がその気になれば教師としてはかなり有能な人材である。
 まあ、とりあえず授業をめちゃくちゃにされることは内容なので一安心。
 すると、浮かび上がってくるのはもう一つのことだ。
『シエル先輩がこの学院に来る理由というと……』
 死徒狩り。
 秋葉の脳裏に、その単語が浮かび上がる。
 本来シエルは対吸血鬼の組織である、埋葬機関の第七位として数えられている。
 三咲町に来たのもロアの転生先を捜してのことだったし、あの騒動でロアが滅んだあとはいずこともなく居なくなった。
 そのシエルが戻って来たと言うのならば、それは死徒がらみに他ならないだろう。
『でも、まさかこの浅上に?』
 考えたくもない事態である。
 一度は志貴を追って転校したこともあったが、この浅上女学院は秋葉の母校である。
 中等部から数えると五年間。
 遠野志貴と遠野四季、八年前のあの事件で自分の兄を二人同時に失い、沈み込んだ秋葉を救ってくれたのはこの学院である。
 ちらりと周囲を見回すと、気が置けないが自分と共に過ごして来たクラスメイトたち。
 死徒や魔術師などと言う非日常的な世界とは縁のない彼女たちは、授業参観に来てくれた親たちの前で懸命に授業を受けている。
 彼女たちは、秋葉の日常の象徴である。
 遠野志貴にとってあの学園がそうだったように、遠野秋葉にとって浅上女学院は平穏な日常の象徴である。
 ならば、することはひとつ。
『この学院は、私が守らなければ』
 だから秋葉はそう決意する。
 もしこの学院にそんなモノが存在しているとなれば、シエル一人に全てをまかせる気はない。ここは秋葉の学び舎であり、友人たちの集う場所であり、第二の家でもある。
 そこを汚すというのなら、容赦はしない。
 志貴に命を分け与えていない今、秋葉の『力』の全ては秋葉の思うように行使される。
力持つものは、力持たぬものを守る義務がある。
『兄さんに負けるわけにはいきませんからね』
 志貴の優しい笑みを思い浮かべながらそんな事を思う。
 尊敬する兄であり、愛しい人。
 普段はあれだけ頼りないと言うのに、ひとたび自分の大切なものに危機が迫れば自らの存在の全てを賭けるかのように戦い続けた兄。
命を賭けて敵と戦い、最後には秋葉を生かすために自分の命すら投げ出した愛しい人。
 今もこう、思うだけで志貴の姿が鮮明に―――
「おーい。やっほー」
「あ、やっと気づいてくれましたね」
「志貴さま、姉さん。みなさんこっちを見ています」
「ななななな何で兄さんがここにっ!?」
 鮮明に浮かび上がるどころかそこにいた。
 しかもこっちに向かってぶんぶん手を振りつつ呼びかけてくる。
 ついでにその横には翡翠と琥珀までいたりする。
 志貴は一応スーツを着ているけれど、琥珀は割烹着だし翡翠なんかいつものメイド服のままで目立つ目立つ。
「いや、授業参観の日に妹の授業を見に来るって言うのは至極自然な行動だと思うんだが」
「わたしをだまくらかそうなんて、百年早いですよー?」
「わたしは志貴さまのメイドですから」
 三者三様の返答を聞き、秋葉は慌てて机の中を確認する。
 ―――ある。
 秋葉が志貴にこの授業参観を知らせないために隠匿した封筒は確かに存在している。
 この封筒が届かなければ、今日の授業参観を志貴たちが知ることはできない。
 更に言うと、この『お知らせ』は入場許可証の代わりにもなっているから入口の受付に見せないと中には入れないはずだ。
 しかし現実として志貴と翡翠と琥珀はそこにいた。―――とすると、生徒一人につき一枚しか用意されないはずのこの『お知らせ』を何とかして手に入れ、遠野家に届けた人間がいるということだ。
 遠野家から出てこない琥珀を除外すると、該当者は一人しかいない。
「はい、秋葉さん。お兄さんが学校に来てくれて嬉しいのはわかりますけど、あんまり騒いじゃいけませんよ」
 その該当者は、すっごくにこやかにそんなことをほざきやがっていた。

キーン、コーン、カーン、コーン……


「はい、それじゃあ今日の授業はここまでにします」
「起立、礼」
 秋葉が怒りに体を震わせていると、シエルに促された生徒たちは号令に従って挨拶をして一斉に教室の外に出ていった。
 そう。全寮制である浅上においてはある意味「社会」というものが形成されており、様々な暗黙の了解が存在する。
 例えば、門限を破った時は西の門から入ること。生徒会も自治会も、そこだけは監視を甘くしている。
 例えば、寮内娯楽室では基本的にバカラ派と麻雀派に分かれる。その二つのグループは交流したりしない。
 例えば、学園内は生徒会が、寮内では自治会が管理を行う。生徒会の規則は寮内で効果を持ち得ないし、自治会の規則は学園内では意味を持たない。
 そして、例えば。
 さわらぬ秋葉にたたりなし。
 最重要項目である。
 だって命も危ないし。
 そんなわけで、生徒たちは我先にと逃げ出し、授業参観に来ていた人々もそれにつられてぞろぞろと外に出ていった。
「どうしたんですか秋葉さん。せっかくギャラリーも散ったことですしお兄さんと感動の再会って奴をこう、がばーっと」
 ぷちん
 秋葉は切れた。
 楽しそうにそんなことをほざきやがるシエルを見て、そりゃあもう切れた。
「はっはっは。校内暴力はいけませんよー?」
 髪の毛ほのかに紅く染めながらも秋葉が襲い掛かるが、それを鮮やかにかわしつづけるシエル。
「あなたはぁっ!!!」
 ぶんぶか拳を振り回すが、シエルは鮮やかな防御でその全てを捌ききる。
 ダッキング、スウェーバック、パリー、ウィービング。
 攻撃が当たらないことに腹を立て、ただがむしゃらに襲い掛かる秋葉の顔面に突如衝撃が走る。パンという乾いた鋭い打撃音。
 さすがに倒れはしなかったが一瞬視界を失い、ふらふらとする。
「さすがシエル先輩。見事なフリッカーだ」
「ヒットマンスタイルは伊達じゃありませんねー」
「秋葉さまは中距離タイプですから、クロスレンジに入られるとどうも」
「あなたたちもっ!!」
 のんきに解説を始めた自分の身内三人にも一撃くれてやろうと思うのだが、シエルのパンチをかわすのが精一杯で動くことができない。
 しょうがないのでシエルに向き直り、必死にパンチをかわしながら問いかける。
「だからあなたは何しに来たんですかっ!」
「いえ。秋葉さんが家に帰らなくて遠野くんがさみしそうにしてたので、ここはわたしが一肌脱がなければ、と」
「それで本音は?」
「人がせっかく身を引いてさしあげたのに全然帰ってこないなんて、ふざけんじゃねーって感じで」
「余計なお世話ですっ!!」



「あのー、秋葉ちゃんのお兄さんですか?」
「あ、うん。君は?」
「あ、ほらほらー。やっぱりそうだったよー」
「わかったからそう騒ぐなって」
 教室前方での秋葉vsシエルガチンコ無制限一本勝負を観戦していた志貴の前には、いつのまにか浅上の生徒が来ていた。
 なんだかぼんやりした娘と気の強そうな娘。
「えーと、君たちは?」
さっきの質問はさくっと流されたみたいなのでもう一度。
「あ、秋葉ちゃんの友達で、三澤羽居って言いますー」
「月姫蒼香だ。前に一度会ったよな」
 今度はちゃんと志貴の質問に答えてくれる。
 ぼんやりとした娘―――羽居ちゃんは満面の笑顔で、気の強そうな娘―――蒼香ちゃんはなんだか含むような笑みを浮かべて。
「蒼香ちゃん言うな」
「いや、なんで誰にツッコミを?」
「わたしは琥珀といいますー」
「翡翠といいます。遠野家で働かせていただいています」
 例によって志貴の疑問、黙殺。
 ふと気づくと、全員志貴のほうを見ている。
 次の自己紹介は志貴の番らしい。
「えーと、遠野志貴です。一応秋葉の兄をやってます」
「あんたのことは遠野から色々聞いてるよ」
「うん。お兄さんかっこいいから、秋葉ちゃんもアキラちゃんもめろめろなんだよね」
「でも、羽居ちゃんも蒼香ちゃんもかわいいよ?」
 志貴の自己紹介を聞いて、なんだか勝手なことを言いはじめた二人に志貴がそう言った。
 それと同時にいつもの笑顔。
 そう。それは一部の人間(主に吸血姫とか聖職者とか妹とかメイドとか割烹着とか)に恐れられている『女殺しの微笑み』。
ぴろりろりろりん!
三澤羽居のフラグが立った!
ぴろりろりろりん!
月姫蒼香のフラグが立った!
「兄さん! そこで何をしてるんですか!」
「あ、いや秋葉の友達に挨拶を」
 気づいた秋葉が慌てて叫ぶが、時既に遅し。
「遠野、お前はそこで世界タイトル戦でもくりひろげてろ。あたしたちはお兄さんを案内してくるから」
「とりあえず、わたしたちのお部屋にしゅっぱーつ!!」
 蒼香と羽ピン、何時の間にやら志貴の手を取って教室を出るところ。
 ちなみに、翡翠と琥珀は既に廊下で待機してたり。
 主人が部屋を出る前に扉を開けて控えているあたり、さすがはプロのメイド。
「『しゅっぱーつ!!』じゃないです! ってうか兄さんも素直についていかない!」
「いやだって取り込み中みたいだし」
 志貴にそう指摘されて、秋葉は自分が戦闘中だったことを思い出した。
 慌ててシエルのほうに向き直ると、なんだか楽しそうに微笑んで騒動を見物していた。
 秋葉が見ていることに気づくと、「どうぞ、こちらはもう気にせずに」とでもいうかのようにまたにっこりと微笑んだ。
 言いたいことは山ほどあるが、今はそんな暇がない。
「……こっちはもう済みました。それより、わたしに用があるんじゃないですか」
「ああ。」
 秋葉に聞かれ、志貴は秋葉のほうに向き直る。
「秋葉、家に戻ってこないか?」
 志貴の『女殺しの微笑み』発動。
 ちなみにさっきのとは違い、効果範囲は秋葉一人に限定されている。
 破壊力抜群。
 秋葉ちゃん大ピンチ。
「……この前手紙に『春休みに戻る』と書いておいたはずですが」
「いや、そうじゃなくってさあ」
「それに、そう何回も転校できるわけないじゃないですか」
秋葉は何とか耐え切った。
それだけ言うと、そっぽを向く。
「秋葉さまも意地っ張りですねー」
「まあ、あそこで素直に「はい」とおっしゃっていただければ話は早いのですが」
「毎日毎日兄さんの話ばっかしてたのになあ」
「あら、やっぱりそうなんですか?」
「ああ。そりゃあもう鬱陶しいったらありゃしない」
「ねーねー、秋葉ちゃん顔真っ赤だよー」
「外野うるさいっ!!」
秋葉が威嚇していると、志貴に後ろからそっと抱きしめられた。
「にににに兄さん!?」
「頼むよ秋葉。約束したじゃないか」
「どんな約束ですか」
「いや、ここではちょっと」
「いいから言ってください!」
「いいのか?」
「早くっ!」


「いや、ほら。『次はふかふかのベッドでもう一度』って」


 秋葉、真っ赤。
 もう、普段紅くする髪の毛の赤なんて赤じゃねぇ、って感じで凄く真っ赤。
「うわ、志貴さん大胆ですー」
「なんだ遠野、そこまでしておいて意地張ってたのか」
「秋葉さまは頑固ですから」
「だから外野うるさいっ!」
 秋葉が吠えるが、志貴の腕の中にいるためか迫力がいつもよりない。
 って言うか全然ない。
 気を抜くとにやけそうになる顔を抑えるので精一杯だし。
「なあ、頼むよ秋葉」
「しょ、しょうがありませんねっ! 兄さんがそこまで言うなら戻ってあげます」
「やれやれ。これでやっと一件落着ってとこですね」
 いつの間にやら教壇に戻っていたシエルがそう言った。
「それでは、ホームルームはここまでということで」
キーン、コーン、カーン、コーン……
「まあ、なにはともあれ」
「なんですかっ!」
「おかえり、秋葉」
「……ただいま、兄さん」
 チャイムが鳴り響く中、その兄妹はとても幸せそうだった。





えぴろーぐ。

 あの嵐のような授業参観のあと、秋葉は遠野家に戻ってきた。
 色々な理由はあったが、結局のところ最たる理由はせっかく生還したというのに真っ先に自分のところに来てくれなかった志貴に対するあてつけだったので、志貴が迎えに来てくれればもう帰らない理由はない。
 まあ、迎えに来た時に他人の茶々が入ったり余計なギャラリーがいたりもしたがそれも問題ない。
 シエルに対して腹を立てたりもしたが、意地を張ってなかなか会おうとしなかった秋葉のところに志貴を連れてきてくれたのはシエルなわけだし。今となっては感謝している。
 あの騒動の後どこへともなく消えてしまったが、また会うことがあれば礼ぐらいはしようと思う。
 多少手続きに手間取ったものの浅上から志貴のいる学校に転校することもできたし、親しい友人たちも秋葉の新しい門出に祝福の言葉を贈ってくれた。
 万事問題無し。
 これから、自分の愛する兄と二人で過ごす夢のような時間が始まる―――
「お兄さん、遊びに来たよー」
「実はライブのチケットが余ってしまったんだが……」
―――はずだったのだが。
「で、あなたたちは何故ここにいるのかしら?」
 午後のティータイム。
 秋葉は片手にティーカップを持ち、琥珀の入れてくれた紅茶を優雅に飲みながらそう尋ねた。
「今日はお休みだし、遊びに来たんだよー」
「あ、今日はお前に用はない。お前の兄貴をライブに誘いに来ただけだ」
 ピシッ。
「えーと、わたしが寮を出てこの家に戻る時に、あなたたちはなんて言ってくれたかしら?」
「えーと、『お兄さんと仲良くしてねー』って」
「『もうヘソ曲げて戻ってくるなよ』だったかな」
 ピシッ。
「その言葉は、私と兄さんの仲を応援してくれている者だとばかり思っていたのだけれど。間違っていたのかしら?」
「ううん? 応援してるよ?」
「そうだぞ遠野。あたしたちが親友の恋を邪魔すると思っているのか?」
 秋葉の問いに対し、三澤羽居はいつも通り満面の笑みを浮かべて、月姫蒼香は心外だという風にそう答えた。
「じゃあ、あなたたちは何をしているのかしら?」
「だから、お兄さんと遊ぼうと思って」
「だから、お前の兄貴をライブに誘おうと。」

「……」
「……」
「……」
「健忘症か?」
「違うわよっ!!」
 パリーン!
 さっきから悲鳴を上げていた、秋葉のティーカップが粉々に砕け散った。
「だーかーらっ! 私と兄さんの仲を応援してくれるなら、なんで休日にあなたたちがここに来て兄さんにまとわりついているのかって聞いてるのよっ!」
 秋葉が吠えた。
 もう口から火を吹きそうな勢い。
 ちなみに、翡翠と琥珀はとっくに避難している。
 怒り狂った秋葉から逃げることができなければ、遠野家では生きていけないのだ。
 しかし、秋葉の親友二人は平然としていた。
「まあまて、遠野。こっちの話も聞け」
「命乞いなら聞かないわよ」
 秋葉の髪、真っ赤。
 気のせいか体の周りにゆらりと紅色の陽炎が立ち昇っている気もする。
「あたしも羽居も、お前とお前の兄貴が愛し合っているのは理解している。更に言うならお前が幸せになるのは喜ばしいことだし、あたしたちも嬉しい」

「そうだよ。秋葉ちゃんの恋の邪魔をするなんて、そんな命知らずなことはできないよ」
「……ありがとう。それで?」
「ああ、遠野の家は金持ちだよな」
「ええ、まあ」
「お兄さんはその家の長男なんだよね?」
「その通りです」
「つまり、お前の兄貴は『とっても金持ちな遠野家の長男』なんだよな?」
「……それで?」
秋葉がなかなか本題に入ろうとしない親友二人に対して苛立ちはじめたころ、二人は答えた。
「妾ってのもありかなあ、と」
「無しですっ!」
 ノータイム却下。
「じゃあ、二号さん」
「却下!」
「側室」
「だめですっ!」
「愛人」
「許しません!」
「秋葉ちゃんのケチ」
「なんでも独り占めしようっていうのは、良くないと思うぞ?」
「普通です普通っ!! 兄さんも黙ってないで、なんとか言って下さい!」
「月姫さんも三澤さんも、あんまり秋葉をからかわないでやって」
 助けを求めるかのように呼びかけてきた秋葉に対して、志貴はそう言った。
 そして無意識に発動する『女殺しの微笑み』。
 ぴんぴろぴろりろりろりん!
 三澤羽居のフラグ2が立った!
 ぴんぴろぴろりろりろりん!
 月姫蒼香のフラグ2が立った!
「立たなくていいですっ!!」
「あー、駆け落ちって言うのもいいな」
「愛の逃避行ってやつだねー」
「だめですっ!」
「はっはっは。月姫さんも三澤さんも、面白い娘たちだなあ」
 志貴の『女殺しの微笑み』。
「発動しなくていいっ!!」
 その日、二人のフラグがどこまで立ったかは誰も知らない。
「立たなくていいですってば!!!」







後書きとおぼしきもの


 そんなわけで、ちくわんのサイトが移転したので昔投稿してたSSを回収。
 まあそのまま掲載すりゃいいかと思ってたんだけど……ついつい読み直しちゃったので改訂する羽目に。
 でも改訂し出したら切りが無くなっ多野で結局妥協して掲載。ダメダメだ。
 とりあえず、この話の後秋葉と志貴が平和な学園生活を送るわけです。
 ……いや、ホントですよ?
 3話までは一応あので、改訂できしだいあぷしてく予定です。
 それではまた次の秋葉で。

2005.02.10  右近