諦めの悪い恋だから

 演奏を終えた風見由飛――花鳥由飛は一人廊下を歩いていた。
 割と早足で。と言うかスキップ踏みそうな足取りで。
 あの演奏を終えた後、お客さんからは一応拍手を受けたけど教授たちに色々と絞られた。しかし、そんなことを気にする由飛ではない。ていうかそんなこと気にするとは教授たちだって思っていないので、そこそこ注意はされたけどすぐに解放された。
 「まあ、こうやって叱ることも最後になると思いますが」と言っていた教授がいたけど、あれは寂しさからの言葉だったのか安堵からだったのか。きっとその両方だったんだろう。
 まあそんな感じである意味卒業式に相応しい教授たちとの別れをした後、多分卒業式には相応しくないステップで――もはやスキップ踏みそうどころか完璧にスキップ踏んで由飛は一人廊下を急いでいた。
 その表情は晴れ晴れとしたとても幸せそうなもので、今まで通っていた学校の友人や講師たちと分かれる悲しみより、これから待ち受ける未来への希望に満ち溢れていた。
 途中でであった同級生や講師たちにも満面の笑顔で挨拶を交わし、別れを惜しんだりしつつもその歩みは止まらない。
 擬音一つで言い表すと、正にるんたったと言う感じで由飛は歩き続けていた。
 やがて、目的地に到着する。
「みんな、お待たせー」
 ガチャリと扉を開けると、そこには由飛の卒業を祝いに来てくれた仲間たちが勢ぞろいしていた。
「由飛ちゃん、おめでとう」
「由飛ちゃん、お疲れー」
「由飛さん、凄かったよー」
 口々にそう声をかけられる。
 ファミーユの仲間――その名前が示す通り、もう家族と言ってもいいほどの仲間たちの温かい言葉、そして惜しみない拍手。
「みんな、ありがとう」
 由飛も仲間たちの言葉を聞き、素直にお礼の言葉を返す。
 そして一人一人、確かめるかのようにぐるりと見回して、
「で、仁は?」
 由飛の問いに、由飛以外の三人は一斉に目を逸らした。
「玲愛ちゃんは?」
 由飛の問いに、由飛以外の三人は、それはもう一斉に目を逸らしまくった。





 さてそのころ、話題の人物――つまり俺こと高村仁と花鳥玲愛がどこで何をしているのかと言うと。
 俺の部屋でテーブル挟んで差し向かいで見つめ合っていた。
 と言うか玲愛に一方的に睨まれていた。
 いや、見つめられているって言った方が言葉の響きは綺麗なんだけど、今までの関係からこいつにじっと見られると睨まれているような印象が。
 さて、なんで俺と玲愛がこんなことになっているのかと言うと。
 話は三十分前ぐらいに遡る。


「やられた…完璧に最初からやらかすつもりだったんだ……」
 玲愛が呆然と――つうかまあ皆が呆然としている中、由飛はピアノの演奏を終わらせた。
 勿論その曲は課題曲として発表された『エオリアン・ハープ』などではなく、花鳥由飛作詞・作曲のあの曲。
 まあ演奏自体はさすがと言う感じだったので客席からはとりあえず拍手が贈られているが、来賓席にいる多分由飛の演奏目当てにきただろう音楽関係のお偉方やら大学の教授やらは混乱していた。幸いにも演奏順はラストだったので混乱しながらも式自体は進んでいるが。
 まあ勿論あんな演奏気かされたこちらも混乱しているわけで。いや、俺個人としては嬉しいんだけどまさかこんな大舞台でしでかすとは思わ――なくもなかったが、それでもまさかと思っていたのでびっくりした。
 それは俺以外も同じみたいで一緒に演奏を聞きに来ていた恵麻姉さん、かすりさん、明日香ちゃんの三人も拍手はしているが、まだちょっと呆然としている。
 ……三人?
 ああ、一人忘れていた。
 今舞台の上で一発しでかした花鳥由飛の妹であるところの花鳥玲愛は、さすがにもう呆然としていなかった。
 というか、何故か舞台を睨んでいた。
 由飛がもう退場した舞台は幕が下り、今は誰もいないのだが、それでもそこにいる誰かに自分の意志をぶつけるかのように。
 そのまま何か考えているようだったが、すぐにこちらに振り向いた。
「仁、ちょっと」
「何だよ」
「ちょっとこっち来なさい」
「どうして」
「いいから!」
 そんなやり取りの後俺は半ば引きずるように外に連れ出され、駐車場まで引きずられて行ってあれよあれよと言う間に一台の車に押し込められた。
 ちなみに俺は助手席で玲愛が運転席。
「いやだから何のつもりだ」
「いいからシートベルト締めなさい。あと、話してると――」
「え?」
「舌噛むわよ」
 その言葉を聞いた直後に車はスキール音を残して発車した。
 そして爆走。そう、まさに『爆走』と言う単語が相応しい大爆走。
花鳥玲愛はその外見と裏腹に地味な行動するやつだと思っていたが、車の運転は外見通り派手だった。というかもう乗りたくないですいやマジで。
 で、やっと止まったと思ったらそのまま引きずり出されて今に至る。


 チクタクと時計の秒針が時を刻む音だけが響く中、俺と玲愛はにらめっこを継続していた。相手を笑わせようとは思っていない、ただみつめあうだけのにらめっこ。不毛だ。これ以上なく不毛だ。
 つうか、なんでこんな縮こまらにゃならんのだ。
 考えて見るまでもなくこの部屋は俺の部屋なわけで、それはつまり俺は家主ということだ。
 まあ威張り散らしたいとかそんなつもりはまるで無いが、少なくとも質問することぐらいは許されてもいいはずだ。
 よし、理論武装完了。
 軽く呼吸をして気分も入れ替えた。よし!
「あの、玲愛さん?」
 恐る恐る問いかけて見たが、返事は無い。
 オーケイブラザー、冷静になれ。
 相手はあの花鳥玲愛だ。そりゃ最近ちょっとは――結構――いやかなり仲良くなっては来たもののそれでも花鳥玲愛だ。
 ファミーユ・ブリックモール店開店初日にケチをつけてきて、以来ことあるごとに張り合った、キュリオ三号店のチーフ。
 普段言いたいことをはっきり言っているこいつが喋らない時は、言いたいことがあるけど何らかの事情があって話せない時だけだ。
 まあ俺を拉致って来他ことから考えても俺に関係していることだとは思うのだが。
 しかし、ここで詰め寄ってみてもどうしようも無いだろう。
 そう思って俺は軽く脚を崩し、玲愛の前にじっと座る。視線だけはそらさず。
 チクタクとまた時計の針の音だけが鳴り響き、どれぐらいの時間が経ったのか――まあせいぜい数分だとは思うんだが、少ししてからやっと玲愛がその口を開いた。
「――からよ」
「え?」
 コイツにしては珍しくぼそぼそとした声なので聞き逃し、問い直してみたが返事は帰ってこなかった。
 やばい。
 今のを聞きのがしたのは、ひょっとしてやばかったのではなかろうか。
 またチクタクという時の針の音だけが鳴り響く。
「――玲愛?」
 意を決してそう呼びかけてみる。
「すまん、さっきの聞こえなかったんだ。出来ればもう一度言って欲しいんだけど――」
 素直にそう言ってみる。
 コイツとは何度も口喧嘩したけども、こう言う時は素直に自分の非を認めるのが一番だ。
 ひょっとしたら文句の一つや二つは飛んでくるかもしれないが、それでも向き合ってにらめっこしているよりは幾分いい。
「どうして、こんなことをしたんだ?」
 ゆっくりと、かみ締めるように。
 そうやって問いかけると、玲愛は再び口を開いた。
「諦めてないからよ」
「……何を?」
 容量を得ない玲愛の言葉にそう問いかけると、玲愛は顔を真っ赤にして叫んだ。
「あんたよあんた! 私はまだあんたのことを諦めていないって言ってるの!」
 そう言ってさらに真っ赤になった顔をそらして向こうをむいた。
 ああ、なるほど。
 玲愛は俺のことを諦めてないから俺を拉致って大爆走――
「うえぇぇぇぇ?」
「なに変な声出してるのよ」
「いや、だってほら。お前、なあ?」
 なにが『なあ?』なのか自分でもわからんがちょっと待て。おちつけ高村仁。
 俺がさっきそこはかとなく苦労して玲愛の口から聞きだしたことを考えて見るに。
 その、なんだ。由飛のあの『演奏』が明らかに俺へのメッセージだったことに対抗して俺を連れ出して衝撃の告白をしたと。
「……ほ、本気でか?」
「こんなこと冗談で言えるわけないでしょ、バカ!」
 怒られた。
 怒られたんだけど。
「えぇぇぇっ?」
「しつこいっ!」
 また怒られた。でもしょうが無いと思う。だってそうだろう。
 コイツとはそりゃ結構長い付き合いで、ファミーユがブリックモールに出展してからだから、もうたっぷり三年になるけど、そんな素振りは――
「本ッ当に鈍いわよね、あんた」
 いやまあ、おれが鈍いとかそんなことはこの際どうでもいい。
 じゃあ何が重要かと聞かれるとその、やっぱりさっきの衝撃の告白なわけで。
 嬉しいか嬉しくないかと聞かれれば俺も男だから嬉しくないわけはなく。
 いやでも、それ以前に。
「俺、由飛と付き合ってるんだぞ」
 そう、玲愛の気持ちは正直嬉しい。
 しかし俺には現実問題として恋人がいるわけで。しかもその恋人はこいつ――花鳥玲愛の姉である花鳥由飛なわけで。
 まさかそれを知らないなんてこともなく、それを承知での発言だとは思うのだが。
「さっき会場で言ったでしょ」
「……何の話だ」
「『姉さんと喧嘩した』って」
「ああ」
 確かに聞いた。
 あのときは『コイツらまだ飽きずに喧嘩してるのか』ぐらいにしか思わなかったが、まさかこの話の展開からすると、何か。原因は。
「そうよ。あんたのことで喧嘩になったのよ」
 マジでか。
 いやちょっと待て。
 俺も男だ、確かにブリックモールでも評判の美人姉妹に取り合われるなんてどこぞのドラマみたいな展開は嬉しくないわけじゃないけどでもちょっと。
「あの演奏の前、控え室に言った時ね」
 まだ考えのまとまらない俺をよそに、玲愛は言葉を続ける。
「あんたのことで軽く言い争いになった時――姉さんが言ったのよ。『玲愛ちゃんに思い知らせてやるんだから』って」
 ああ、なるほど。
 あの演奏の後、あきらかにこっちを見てやけにはっきりとにっこり微笑んだと思ったら。
「しかも、あの演奏の後『どうだっ!』って感じで満面の笑み! あれはあきらかに私に対する宣戦布告よ?」
 ああ、そういう意味もあったのか。
 まあそれだけじゃなく俺やファミーユのみんなに対する笑顔でもあったんだろうけど、少なくとも玲愛に向けた笑顔にはそんな気持ちがこめられていたんだろう。
 まあ、それを瞬時に読み取った玲愛も玲愛だが。
「姉さんがそう言うつもりならもう遠慮はしない」
「いや、俺の意見は?」
 花鳥玲愛は燃え上がっていた。これが漫画だったら背中に炎とか背負いそうなぐらいにめらめらと。
 そして炎はめらめらと燃やしたまま俺の方を見て、口を開いた。
「『何でも言うこと聞く』って言ったわよね?」
「それとこれとは話は別だっ!」
 いや確かに言ったけど。
 あの時――由飛の進級が危なかった時。
 課題曲である『エオリアン・ハープ』が弾けずに窮地に経たされた時。
 あの時こいつの手を借りて由飛を立ち直らせることが出来た。
『手伝ってくれたら、代わりになんでも一ついうことを聞いてやる』
 確かにあの時そんな約束はしたけれど。
「何よ、あの言葉は嘘だったの?」
「出来ることと出来ないことがあるわいっ!」
 双方あい譲らず。
 いや、玲愛はとも書く俺が譲るわけにはいかないわけだが。
 だって俺には由飛がいるし。
 今だって、こうやって目をつぶると由飛の笑顔が――
「じゃあ代わりに」
「ん?」
 言い争っても拉致が開かないと悟ったのか、玲愛はそういうと口を閉じた。
 そして数瞬の間思い悩み――やがて決心したのか口を開く。
「姉さんにしたようなこと、してもいいわよ」
「……いやその、おい」
 何をおっしゃるんでしょうかこのお嬢さんは。
 落ち着け仁、落ち着くんだ。
 ふと冷静になって玲愛を見ると、さっきまでの勢いは何処へやら。俺から目をそらしてその視線は床へと向いている。その頬は真っ赤に染まり、気のせいかその目は潤んで――ってだから落ち着け高村仁!
 おそらく目の前に玲愛がいなければ手近な箸らにでもヘッドバッドかましていただろうが、そういうわけにもいかない。
 だから落ち着け、深呼吸深呼吸。
 ガキじゃないんだ、ここは大人の男らしく冷静になってだな――
「で、でも、あんま変なことしちゃ駄目よ? あくまで姉さんと同じことまでなら許すっていうだけで――」
 冷静になろうと思ったところでそんなことを言われてしまった。
 いやだから。
「まあ、姉さんがしたっていうなら――」
「玲愛」
 とりあえず玲愛の言葉を妨げてそう呼びかける。
 冷静になれ、冷静にだ。
 極力真剣な表情を作り、俺は言葉を続ける。
「いいのか?」
「仁?」
 そして俺の表情を見て問い返す玲愛。
 よし、これだ。このまま押し切ろう。
「この際だからぶっちゃけるけど、結構凄いことしてるぞ、俺たち。本当にいいんだな?」
 今だったらまだ冗談で済む。
 口に出してそうとは言わないが、頭のいいこいつのことだ。それぐらいのことは解ってくれるだろう。
 確かに玲愛は美人だし、なんだかんだ行ってみても気になる存在であることに変わりはない。そんな玲愛にこれ以上詰め寄られると、そろそろ俺の理性とかその他もろもろにも限界が。
 だから俺は精一杯真剣な表情を作って、玲愛の答えを待つ。
 「冗談よ」でも「嘘よ」でもなんだっていい。
 どんな内容であれ、さっきまでの言葉を否定してくれれば俺とこいつと、そして由飛との関係は何も変わらない。
 だというのに。
 玲愛の返答は違っていた。
「……いいわよ」
 ぼそりと。
 ほんとうにぼそりと、玲愛の口から漏れたのは肯定の言葉だった。
「え?」
「いいって言ってるのよ! 文句ある?」
 予想外の反応に思わず聞き返したら、いつもの調子で怒鳴られた。
「いや待て玲愛。あのな――」
 とりあえず、落ち着かせなければ。
 そう思って席を立とうとした俺に、玲愛はテーブルをよけて器用に飛び込んできた。
「いいわよ。仁なら――いい」
 そう言って、ひゅ、と抱きしめられる。
 俺が下で玲愛が上。
 押し倒された状態になっている俺の顔の魔上には玲愛の顔があり、ハーフ特有の綺麗な金髪がさらさらとたれて俺の顔をくすぐる。
 そして「ごめん」と。
 誰に対しての謝罪なのかわからないが、玲愛の口から確かにそんな台詞が聞こえた後。
 俺の顔の上に垂れていた髪の毛は優しく払われ、その形の言い唇が俺の唇の上に――
「こら―――っ!」
 重なりそうになったところで部屋の扉がずばんと開かれ、室内に誰か侵入してきた。
 誰かって言うかまあそれは今更言うまでもなくご察しの通り肩をわなわなと震わせている由飛だったりするわけなのだが。
「なにやってるの玲愛ちゃん!」
「姉さんこそ、なんで人の家にチャイムも鳴らさず入ってくるのよ!」
「ふっふっふ、これなーんだ」
「ひょっとして」
 由飛の右手人差し指でくるくる回るキーホルダー。
 そこについてる二本の鍵は由飛のマンションの鍵と、そして俺の家の合鍵。
「仁、なんであんなもの渡してるのよ!」
「いや、もうつきあって数年なんだからそれぐらい渡すだろう」
 と言うか何故俺が責められにゃならんのか。
「それに姉さん、演奏終わったら打ち上げがあるって」
「もちろんすっぽかして来たよ! 仁の一大事だもん!」
 とりあえず離れなさい、と。
 ギリギリという音がふさわしい感じで俺の体からは玲愛の体が引きはがされ、正直ちょっと残念な気がしたりもしたけどとりあえずそんな場合ではない。
「いや由飛、これはな?」
「仁は黙ってて!」
「はい」
 俺が発言してる場合でもないらしい。
「玲愛ちゃんの気持ちは知ってるけど、仁の恋人は私なの!」
「まあ確かに『今の』恋人は姉さんだけど。私、諦めるつもりはないから」
「玲愛ちゃん!?」
 由飛の卒業が決まり、俺の周囲も落ち着くと思ってたんだけど。
 なんだか当分、俺の周囲は落ち着かないようだ――そりゃまあ俺も男だし嬉しくないって言えば嘘になるけど。
「最後に選ぶのは仁だから」
「仁っ!?」
「いやまあ落ち着け」














 まあそんな騒動が隠し通せるわけもなく、翌日にはキュリオとファミーユで評判になってたりしたのだが。
「じゃあわたしは由飛さん」
「じゃあわたしは玲愛ちゃんに」
「わたしは玲愛を応援しようかな」
「じゃあぼくは仁くんが姉妹丼と言う可能性に」
「「「おおー」」」
「『おおー』じゃねえ!」
 とりあえず周囲はこれ異常なく温かく見守ってくれるらしい。
 見守らなくていいからほっといてくれ。いやマジで。






後書きとおぼしきもの


 そんなわけで、木名瀬さんとこで書いたパルフェ本の原稿を公開。
 三十部しか刷らなかったからさくっと完売したらしいですよ?
 まあさておき、玲愛ルートの由飛は仁のこと諦めると思うのですが、由飛ルートの玲愛は仁のこと諦めて無いと思うのですよ。
 でも由飛ファンの人にはとりあえず謝っておきますごめんなさい。
 しかし俺は言うまでも無く玲愛ファンなので後悔なんかしちゃいない。

2006.09.01 右近