人生は出会いと別れの繰り返しである。
その言葉が誰の言葉だったか――実在の人物だったか、ドラマの中だったか、あるいはアニメやゲームの中だったかは知らないけど、その言葉は間違いないと思う。
そして、あたしの中で忘れられない出会いと言えば。間違いなく、小学校のことだろう。
あの頃あたしは――その、なんだ。自分で言うのも何だけど、嫌なヤツだったと思う。それこそアニメや漫画に出てくるような『嫌なお嬢様』そのものだった気がする。
自分でいうのもなんだけど、というか事実なのではっきり言うとウチは金持ちである。通っていた聖祥大付属小は私立のいわゆる『名門校』であり、学費だってバカにならない金額なので生徒の家のほとんどは裕福だったりしたんだけど、ウチはそこから群を抜いて金持ちだった。
そんなわけで、当時六歳で『自分の力』と『自分の親の力』の区別もつかなかったバカなあたしは、自分にこびへつらう自分と同じぐらい嫌なやつを引き連れてぶいぶい言わせていたのだ。思い出すと本当に典型的な『嫌なお嬢様』で嫌になる。
そしてそんな典型的な『嫌なお嬢様』が何をするかというとそれもまた典型的で。クラスで自分にこびへつらわない奴らを、その、なんだ。いじめたのだ。
その時の自分を思い出すと穴を掘って埋まりたくなるけど、事実なんだからしょうがない。
そしてそんなある日の屋上。いつもいじめていた子を、特に理由もなくいじめていた時。
いじめられていた子のカチューシャを取り上げ、からかっていた時。その子は現れたのだ。
「やめなさい!」という叫び声と共に。
そう。嫌なお嬢様がクラスメイトをいじめていた時に現れる存在。その時のその子は――後で聞いた話だけど、いじめられていた子もそう思ったらしいし、そしていじめていた当人であるあたしですら思ったのだ。
『漫画の主人公みたい』と。
まあそんなことを思っても素直に従うわけはなく。「それを返してあげて!」とか実にまっとうな意見を言われても、確かあたし「うるさいわね、関係ないでしょ!」とか言ったんだったと思う。そして何だか勢い余って「何よこんなぼろいカチューシャ」とかなんとか口に出した瞬間、その子に殴られた。さすがに平手だったけど、それはかなり本気の平手だった。
その後「痛い? でも大事なものを取られちゃった人の心はもっともっと痛いんだよ」とか実にいい台詞で諭されたんだけど、現実はドラマや漫画とは違う。一発殴られたからと言ってあたしが止まるわけはなく、とりあえずビンタしかえした後に取っ組み合いの大喧嘩になった。
あのまま喧嘩が続いていたら怪我の一つや二つはしたと思うんだけど、幸いながらそこまでエスカレートする前に止められたの。お互いほっぺたは赤くなっていたけど。
ちなみに、あたしのその子――ああもう、まどろっこしい。あたしとなのはの初めての喧嘩を止めたのは誰かというと、事の発端であった大人しい気弱な子――月村すずかその人だった。それまで聞いたこともない大きな声で「やめてー!」と叫ばれ、しかもその後「喧嘩はやめて」とか言われて涙まで流されたので、今度はあたしとなのはがすずかをなだめることになり、結果として喧嘩はうやむやになって、とりあえずカチューシャは返してその日は別れて、まあさすがに『喧嘩が終わったら友達だ』とか頭の悪い熱血ものみたいな展開にはならなかったけど、それでもなんとなくあたしは初めてあたしに正面から突っかかってきたなのはと、そして頭に血が上ったあたしたち二人を鎮めたすずかと話すようになり。やがて、恥ずかしい言い方にはなるけど、はじめての――そしてかけがえのない親友になったのだ。
そしてその後、なのはやすずかの家の人たちにも会って。三年生の時にはフェイトやはやてとも会って。他にも色んな出会いはあったけど、やっぱりあたしにとって忘れられない出会いはなのはとすずかとの出会いだと思う。
しかしまあ、出会いがあれば別れもあるわけで。
なのはは――そしてフェイトとはやては何というか冗談みたいだけど『魔法使い』らしくて、中学卒業と同時に『管理局』とかいう魔法の国のどっかの組織に就職して、あろうことかそのまま魔法の国に引っ越してしまった。
まあ、就職先の場所と種類を詳しく考えなければ『中学卒業と同時に就職して引っ越し』というのはこのご時世珍しい気もするけど、まあ有り得ないと言うことはない。
あの三人は一足先に大人になったということなんだろうか。
今でも連絡は取り合っているし、たまにこっちに帰ってきたりもするけど、ふとした時に『社会人』なんだなあと思ったりもする。いや、空を飛んでなんか杖からビーム撃つのが社会人かとか言う疑問はさておいて。
あたしとすずかはと言うと聖祥大附属小学校から中学〜高校と順調に進学していて、多分このまま大学まで進学するんだろう。なのはたちと比べるとなんだか負けた気もするけど、あれはあの子たちが異常なのだ。
まあともかく、あたしとすずかはごく普通なスクールライフというものを送っている。まあそれなりに出会いも別れもあった。とはいってもそれは恋愛関係とかではなく――いやまあ女子高生なんだからそろそろ恋愛の一つもしてもいい頃だろうなあとか思ったりもするけど、まあ確かに告白されたりしたことがないとは言わないけど、どうにもピンと来ないのでそういう出会いとか別れはない。でもなのはにはユーノがいるし、この前聞いた話だとフェイトなんて養子っぽいのまでいたな。フェイトは「養子じゃなくて保護者になっただけだよ」とか言っていたけど、問題はそこではない。
なんだろう、あたし一人取り残されているような気がしてきた。
「はぁ」
思わず、部屋で一人ため息をつく。
なのはが前に来た時「ほぇー。すっごい広い部屋」と言って驚いていたこの部屋は、一人だと広すぎる。
いや、そうじゃない。物心ついた頃からこの部屋だったし、事実今までだってこの部屋を普通に使っていたのだ。この部屋が広すぎると感じるのは、寂しいから。
そう。なのはとフェイトとはやてがいなくなり――そして、最近。すずかとも会えていない。
なんだか最近会ってもよそよそしいしことが多いなあとか思っていたら、ここ数日は学校も休んでいる。
メールもしてみたけど、「一週間もすれば治るから」と言う返事が返ってきただけだった。
迷惑かと思いつつ電話もしてみたけど、「ちょっと待ってくれれば大丈夫だから」と言ってどうにも要領を得なかった。
でも、すずかはあたしに何か隠している。伊達に十年以上も親友していないのだ。メールじゃさすがにわからなかったけど、例え電話越しだって声を聞けばそれくらいのことすぐわかる。
すずかは嘘をついていない。声を聞いてそれもわかった。だからすずかの言うとおり、このまま待っていればすずかはいつものようにあたしの隣に戻ってきてくれるのかもしれない。でも、あたしはもうただ待っているだけなんてまっぴらだ。
小学三年のあの時。後で聞いたら、どうやらフェイトと魔法関係で色々あったらしいあの時。なのはは一人頑張っていて、あたしは何の力にもなれなかった。
確かにあの時はしょうがなかったし、結果的にはそれで良かったんだろうけど。
「鮫島!」
「はい、お嬢様」
だからあたしは、今度こそは立ち上がる。
あの時。なのはとフェイトから、二人の間にあった事件のことを聞いた時に、自分が何も出来なかったのがとても悔しかった。
だから今度は、なのはとフェイトが――そしてはやてもいないところで、すずかの問題を解決しよう。そしてそのことをここにいない三人に報告して、悔しがらせてやろう。
「車を出してちょうだい」
「かしこまりました」
「行き先は――」
「月村様のお宅でよろしいでしょうか?」
「ええ。大至急よ」
何が起きているのかわからない。問題になっていることがわからないんだから、ここで悩んでいたって何も解決できやしない。
だからあたしは――アリサ・バニングスは、動くことにした。
まず、すずかに会おう。すずかが本当に病気だったとしても、それならなおのことお見舞いしなければ。
そしてもし、何か問題があるというのなら。
なのはは、フェイトやはやてのために全力全開で頑張ったって言っていた。
だからあたしだって。すずかのために
全力全開で頑張ってやろう。
「ごめんね。すずか、まだちょっと部屋から出てこれないのよ」
すずかの家では、まるであたしが来ることを事前に察知していたかのようなノエルさんに出迎えられて、案内されてきた部屋にはこれまた当然のように忍さんが待っていた。
いや、最近はほとんどドイツで過ごしているとはいえこの家は忍さんの名義になっているはずだからそれは当然なのかもしれないけど。
「風邪、ですか?」
「いや、そうじゃないんだけどね。まあちょっとした病気」
あたしからの問いにそうとぼけた感じで答えて、忍さんはティーカップに口をつけた。
――忍さんも隠し事をしている。
あたしより十歳年上の、すずかがこのまま育ったらこうなるのかなと思うすずかのお姉さんは、嘘をつくのがとても上手い。
いやまあそれは多分忍さんが特別嘘つくのが上手いというわけではなく、「忍はアリサより十年も余計に年くってるんだから当然だろ」という恭也さんの言うとおり、人生経験の差なんだろう。ちなみにその話をした直後、恭也さんは忍さんに鬼の形相でボコられていた。恭也さんってなんとかいう流派の師範だって話を聞いた気がするんだけど、やっぱり奥さんには勝てないものなんだろうか。なのはのお父さんもそうだったし。
さておき、そんな忍さんの嘘をあたしみたいな小娘がこんなにあっさり見破れるというのは珍しい。というか、むしろおかしい。
というか、この状況自体がおかしいのだ。
すずかの様子がおかしくなって、学校を休み始めるのとほとんど同じぐらいの時に突然忍さんたちがドイツから帰国してきた。
まあ、それ自体は何もおかしくない。何だか仕事の都合とかで最近は半分ぐらいドイツで過ごしているけど、逆に言えば日本で半分は過ごしているのだ。だからまあ、自分の妹が寝込んでいる時に仕事の都合がついたって言うなら、帰国してきてもおかしくはない。
でも、である。忍さんは今、月村忍ではなく高町忍なのだ。忍さんは大学卒業を待ちかねたように恭也さん――なのはのお兄さんと結婚して名字も変わって、一年後には子供も産んだ。それ自体は正直誰も驚かなかったというか、あたしやすずかにとって見れば大学卒業まで結婚を待ったことの方が驚きだったりしたんだけど、なんだかんだで今は息子二人に娘一人のお母さんなのだ。恭也さんとはたまに喧嘩しているけど、基本的に仲がいいというか未だにラブラブな二人なのだ。それはもう正直そばで見ていると当てられそうなぐらい。
そんな二人だというのに、ここにいるのは忍さんとそのお付きのメイドであるノエルさんだけ。
試しに「恭也さんたちはいないんですか?」って聞いてみたら、至極あっさりと「子供たち連れて向こうの家にいるのよ」と返された。しかもそれは帰国してからずっとだと言う。
『忍さんはすずかが心配なのでこっちに残った』とも考えられるけど、それなら恭也さんたちも残ってるはずだ。普通に考えると『子供が騒ぐと良くない』って言う理由が一番ありそうだけど、今回は――というかこの家ではそれはないはずだ。ウチも広いけど、この家も割と尋常じゃないぐらい広い。極端な話、すずかが寝ている階で騒がなきゃ全然大丈夫だろう。
だから多分、忍さんは忍さんだけで――いやまあ、ノエルさんもいるしファリンは部屋ですずかを看病しているって言うから忍さんだけってワケじゃないけど、とにかく限られたメンバーでここに残ってなきゃいけない理由があったのだ。
「お医者さんは――」
「あ、うん。病気って言っても、なんていうか遺伝性のものなのよ。ウチの一族なら誰でもかかるもので」
「じゃあ、本当にすぐ治るんですね」
「うん。とりあえずあと二日もすれば、とりあえず落ち着くと思うわ」
「『とりあえず』って――」
要領を得ない。
目の前で話しているのは忍さんじゃないんじゃないかと思うほど、普段の忍さんとは違ってなんだかはっきりしなかった。
間違いない、何か隠し事をしている。そして、あたしがそれに感づいたとしてもうろたえたりはしない。そう、間違いなく忍さんはあたしを試している。
だったら、受けて立とう。今日のあたしは全力全開なのだ。
なのはは、正直頭悪いと思う。学校の成績がどうとかじゃなく、なんというか普段の言動というか生き方というか。
なのはは絶対『賢い生き方』はできないだろう。でも、だからこそ。今日のあたしは。かけがえのない親友のために全力全開で頑張ると決めたあたしは、なのはを見習おう。
「すずかに会わせてもらってもいいですか?」
直球勝負。
話しながら色々考えてはみたけど、忍さん相手に小細工でどうこうできる自信はないし、それになにより、あたしはすずかに会いに来たのだ。忍さんじゃない。
普段のあたしとは違う、そんな言葉を聞いた忍さんはちょっと驚いたみたいだけど、それでもすぐに問いかけてきた。
「一つだけ、聞いてもいい?」
「はい」
「アリサちゃんにとって、すずかって――」
「とっても大切な存在です」
忍さんの言葉を最後まで聞くこともなく、素直に自分が思ったことをそう伝える。
普段だったら恥ずかしくて言えないような言葉だったけど、あたしは堂々と宣言して、そのまま忍さんを真っ正面から見つめた。
そしてその後、何分経ったのか。実際には数秒だったのかも知れないけど、しばらくしてから忍さんは息をついた。
「負けたわ」
「それじゃあ」
「うん。すずかの部屋の場所はわかるわよね?」
「勿論!」
嬉しくなってしまい、思わず弾んだような口調でそうこたえたあたしを見て忍さんはクスリと笑った。
「じゃあ、すずかのことをお願いね」
「はい!」
そして忍さんとノエルさんに見送られ、あたしはすずかの部屋に向かった。
勝手知ったる何とやら。忍さんに言った言葉は嘘じゃなく、あたしは迷うことなくすずかの部屋にたどり着いた。まあ広い屋敷とは言っても迷路になったりトラップが仕掛けられたりしているワケじゃないから場所さえ知ってりゃ誰でも来られるんだろうけど。
さておき、あたしは目の前にある扉の前で軽く深呼吸をする。
その扉自体は見慣れたものだったし、開けるのが難しいとかいうこともないんだけど。
そうだ。これはただの扉だ。いつも、遊びに来た時に開け閉めするただの扉だ。忍さんに啖呵を切ってここに来たって言うのに、こんなところで怖じ気づくわけにはいかない。
「よし」
だからあたしはそう呟いて、気合いを入れ直してからノックをする。
「はい」
「あたし――アリサだけど」
「あ、すみません。今開けますね」
「ううん、あたしが開けるわ」
中から、すずかの看病をしているのであろうファリンの声が聞こえたけど、あたしはそう言って扉を開けた。せっかく気合いを入れ直したって言うのに、ここでファリンに開けて貰ったら台無しである。
扉の中は、当然のごとく見慣れたすずかの部屋だった。ただ、普段と違うのはベッドの横に置かれた椅子にはファリンが座り、そのそばのテーブルに看護用なのか水差しや小物が置かれていることだろうか。
看病疲れからか、ファリンはなんだか頬が上気させてしっとり汗までかいていた。正直なところ、せっかくここまで来たんだからすずかと二人で話したいけど、こんな一生懸命な――多分、いや間違いなく『すずかのお付きのメイドだから』という以上の理由で看病していたファリンを追い出すのも忍びなくて、どう言い出そうかと思っていたらファリンの方から席を立った。
「それでは、すずかお嬢様をお願いします」
「……いいの?」
こっちとしてはありがたい申し出だったけど、あんまりな気がしてそう聞き返す。でもファリンは、いつもとは違う落ち着いた表情で答えを返してくれた。
「忍お嬢様と姉さんには会われたんですよね?」
「うん」
「じゃあ、わたしのほうから言うことはありません。すずかお嬢様もアリサさんに会いたがっていましたし」
「……ファリン」
「お嬢様、素直になって下さい」
ベッドの中から弱々しく呼びかけるすずかにそう告げると、ファリンは一礼して部屋を出て行った。
かくして、この部屋にはあたしとすずかだけ。
普段ならいるはずの飼い猫たちも、さすがに今日は部屋にはいない。
とりあえず、さっきまでファリンが使っていた椅子に座る。
すると目の前にはすずかのベッドがあり、その上には――
「何でこの期に及んで布団の中に潜り込んでるのよ」
さっきまでは確かに顔を見せていたというのに、二人っきりになったとたんに掛け布団を頭まですっぽり被ったすずかがいた。
「だって……」
「『だって』じゃないっつーの。自分から出てこないって言うなら引っぺがすわよ?」
「あ、ごめん。ちょっと待って」
冗談半分でそう言うと、すずかは慌てながらそう答えを返す。
何だか声が熱っぽい気もするけど、その反応は確かにあたしが知っている月村すずかのものだったので、とりあえず安心できた。
さすがのあたしも一応病人らしいすずかの布団を引っぺがす気なんて無いけど、それでもこのまま顔を合わせず会話するというのはあまり気分がよろしくない。
半分冗談と言うことは半分本気と言うことでもあるので、いざとなったら本当に引っぺがそうかと思い始めた頃、相変わらず布団を被ったままではあったけどすずかが話し始めた。
「わたし、アリサちゃんに隠してることがあるの」
「ふうん」
あたしの反応に不安になったのか、布団越しにもわかるほど一瞬びくりと震えてから言葉を続ける。
「……怒らない?」
「とりあえず、内容聞いてからね。ここまでもったいつけられて、しょーもないことだったらその時怒るわ」
まあ、そんなことを言いつつ怒ることは決めていたりするんだけど。嫌別に本気で怒るってワケじゃないけど、少しぐらい怒って見せてもバチは当たらないだろう。
というかすずかが隠し事をしてると言っても、なのはたちの『じつはわたしたち魔法少女で、次元をまたいだ犯罪者の人たちと日夜戦ってるんです』というのに比べたらかわいいものだろう。あれはさすがにこの何でもありの海鳴で生まれ育ったあたしもびっくりだった。忍者とか超能力者とかならともかく、魔法少女って。しかも魔法少女なのに杖から何だか凄いビームを撃って敵と戦っているって。もうどこから突っ込めばいいのかわからなかったけど、とにかくそれは事実らしくてびっくりしつつも信じるしかなかった。
まあとにかく、そんなことに比べたら驚くことなんてほとんどない。忍さんが『遺伝性の病気』とか言っていたし、別にすずかが背中から羽根はやして超能力を使ったぐらいじゃ驚かない自信はある。
「さあ、言ってみなさい」
まるで追い詰めるかのようにそう告げると、すずかはおずおずと顔を出し、そのままゆっくりと体を起こした。
「って、起きて大丈夫なの?」
「うん。別に病気ってわけでもないから……」
すずかはそう言ってにっこりと笑うけど、息は荒いし頬も赤いし目も潤んでいる。ひょっとしてただ単に風邪ひいてるんじゃないだろうか。確かにここまで色々あって『実は風邪ひいてるの』とか言われたらびっくりだけど、とか何だかまとまりのないことを考えている間にすずかは覚悟を決めたらしく、あたしを真っ正面から見つめながら口を開いた。
「わたし、人間じゃないの」
「……え?」
さすがに驚いた。
隠し事って言われた時点で色々考えたけど、さすがにそれは想定外だった。
「えーと、ギャグ?」
「ううん。本気で」
一応お約束の反応をしてみたけど、すげなくそう返された。
言いながらすずかの表情は油断無く観察していたけど、どう見ても本気だった。
「本当は『夜の一族』っていうんだけど……アリサちゃんにわかりやすく言うと、吸血鬼なの」
「えとごめん、ちょっと待って」
「うん」
さすがに驚いた。驚くというか正直信じられなかったけど、すずかはどう見ても嘘や冗談を言っているわけじゃない。
それならそれは事実なんだろう。
そうだ。前に忍さんと恭也さんの友達だっていって退魔師の人を紹介して貰ったことがあるし、まあ確かにあの時は何かの冗談だと思って流したけど、退魔師がいるなら吸血鬼がいたっておかしくないだろう。
「……ていうことは、忍さんも?」
「うん。お姉ちゃんそうだし、勿論お父さんもお母さんも」
次々明かされる新事実に驚きつつもなんとか頭の中を整理する。すずかは『吸血鬼』って言っていたけど、それはわかりやすく説明してくれただけで、その言葉から連想されるそのものじゃないんだろう。別に陽の光浴びたら灰になるとかいうこともないし、クリスマスに教会のミサに言って賛美歌歌ったこともあるし。
「ちなみに、ファリンとノエルはロボット」
衝撃の新事実がオンパレードだった。
いやまあそう言われてみたら二人ともちっとも年取ってないし、おかしいなと思ったこともあったけど。
「ちょっと考えさせて」
「うん」
何とかそれだけ言って椅子に座り込むと、すずかは胸のつかえが取れたかのようにスッキリした表情でそう答えてくれた。まあ未だに熱っぽく見えるけど、正直今はそれを気にしている余裕がない。
「アリサちゃん、お水いる?」
「ごめん、ちょうだい」
「うん」
そう言ってすずかはファリンが残していった水差しからコップに水をつぎ、あたしに渡してくれた。何だか当初予定していた光景とはまるで逆だけど、そんなこと気にしている余裕はないのでそのまま冷たい水を一気に飲み干して頭を落ち着ける。
チッ、チッ、チッと時計の針が立てる音だけが聞こえる中、やがてすずかが口を開いた。
「驚かせちゃったね」
「ああ、うん。それは確かに驚いた」
まあ、考えてみればおかしいことはおかしかったのだ。大してトレーニングしているわけでもないのに、すずかの運動能力は凄かったし。恭也さんと一緒にトレーニングできるフェイトと運動能力でタメはれるって言うのはどう考えても普通じゃない。
でも――
「それで、もう一つアリサちゃんに言わなきゃいけないことがあるの」
必死になって頭の中を整理していたけど、すずかはそのまま言葉を続ける。
「この秘密を知った人には、選んでもらわなきゃいけないの」
「選ぶ?」
「うん。この秘密を共有してわたしたちといっしょに生きるか――全てを忘れるか」
「忘れるって」
「この秘密のことだけ忘れて、今まで通り生きていくか。別にアリサちゃんに何か危害を加えるワケじゃなくて、ちょっと――」
「そうじゃなくて」
「え?」
あたしの言葉に耳を貸さず、何だか一人でとくとくと語り始めた親友に今度こそ少し腹を立てて、あたしはすずかの言葉を遮った。
「なんでそこで『忘れる』って選択肢が出てくるのよ」
「え? いやだって、わたし人間じゃ――」
ああもう本当に腹が立つ。
「『人間じゃない』って言っても闇に潜んで生き血をすすったりとかそんなことはないんでしょ? あたしたちと一緒で普通に食事もするし、翠屋のケーキは美味しいって思うんでしょ?」
「うん。そうだけど……」
「それに今更何よ。そんなこと言ったらユーノとかクロノやフェイトだって何とか言う異世界から来たって話しだし、はやての家の四人も人間じゃないじゃない」
そう。そんなことを気にして一人悩んでいたすずかと、何よりそんな些細なことを聞いたぐらいでうろたえた自分に腹が立つ。
「例えあんたが吸血鬼だろうとロボだろうと、幽霊だろうと超能力者だろうと化け猫だろうと関係ないわよ! あたしと、あたしとあんたの絆ってヤツをなめるなこのバカ!」
そしてそんな気持ちをたたきつけるようにそう叫ぶと、すずかをぎゅっと抱きしめた。
「いっしょに生きてやるわよ。嫌だっていっても離さないから覚悟しなさい」
そして何とかそう告げると、すずかもあたしの背中に手をまわした。
「ごめんね。そして――ありがとう」
「うん」
ぎゅ、と。お互い力を込めて抱きしめ合い、どれぐらいの時間が経ったのか。何となく離れがたくてそのままでいたら、すずかが口を開いた。
「あと、アリサちゃんに言ってないことが一つだけあるの」
「何よ。ここまで来たんだから全部言って楽になっちゃいなさい」
「うん。お姉ちゃんに『病気』のことは聞いた?」
「ああ、うん。そう言えば遺伝性のものとか何とか言ってたけど」
そういやそんな説明をされていた。ついさっきの衝撃の告白ですっかり忘れていたけど。
「それもある意味嘘じゃないの。『遺伝性』っていうのはさっき言った夜の一族の体質に関わることなんだけど」
「えーと。それはわかったけど、一ついいかな」
「何?」
「なんであたしの背中をまさぐってるのかしら?」
そう。すずかはなんだかさっきにも増して熱っぽく、まるであたしの耳元にささやきかけるように言いながら、あたしの背中に回した手を動かしていた。
「それはね」
そう言うのと同時に、ぷつりと言う音が聞こえた。背中の方から。ちょうどすずかがまさぐっていたあたりから。と言うかもっと具体的に言うとブラのホックのあるあたりから。
「ひゃわっ!?」
思わずそんな変な声を出してしまったけど、しょうがないと思う。と言うか何であたしのブラを。
「『夜の一族』として年を経ると、体質が変わってある症状が出るようになるの」
「ええと、それがなにか聞きたいとは思うけどまずブラをっていうかすずか、今度は何でパジャマのボタンを――」
「アリサちゃんにもわかりやすい言葉で説明をすると――」
そう言ってあたしから一度体を離して――そして何故か自分の着ていたパジャマの前のボタンを外し始め、だらしなく開いた襟元からは同性から見てもたまに密かに『それは反則じゃない?』などと嫉妬したりもした豊かな胸の谷間が見えて。
「『発情期』っていうの」
そんな衝撃の――ある意味本日一番の衝撃的発言を聞かされたりした。
「もう最近アリサちゃんのこと考えるだけで」
「いや、いくら親友だからってそんな赤裸々な告白は!」
思わぬピンチに逃げたらいいのか止めたらいいのか――色々考えてみたんだけど、どう考えてもすずかから逃げおおせることができるわけもなく。
「大丈夫」
「何が?」
なんかもう息が荒いというか明らかに何か手遅れな感じがするハァハァという熱い吐息をつきながらにじり寄ってくるすずかに、何とかそれだけ聞き返した。
「最後はこうなると思って、最近ファリンで練習してたから」
「ファリンが頬赤くしてたのはそのせいかーっ!!」
「おお、わが妹ながら――」
「忍お嬢様」
「何?」
そしてここは時を同じくして忍の工房。月村邸の地下にあるその部屋では普段ノエルやファリンのメンテナンスを行ったり、忍が趣味の――というレベルではない気がするが、とにかく工作を行ったりしている場所なわけだが、今日は何も作っていなかった。
「何をしてらっしゃるんでしょう」
「『何』ってこうやって廷内に仕掛けてある隠しカメラを使って妹の成長をリアルタイムで――」
そこまで言ったところでファリンが投げたスパナが忍の前のモニターに突き刺さった。
「あー! 何するのよ!」
「『何するのよ』じゃありません! 姉さんも一緒に何やってるんですか!」
「忍お嬢様のおっしゃることですから」
「今すぐやめないと高町家に電話して恭也さんに来て貰います」
「えー、告げ口かっこ悪ーい」
そしてファリンの言葉に素直に従う忍ではなく、そんな風にぶーぶーと文句を垂れる。そろそろそう言う態度はどうかと思うが、そんなことは今はどうでもいい。
「どうしてもやめないというのであれば、なのはさんに連絡しますが」
「あ、はい。もうやめます……」
忍にとって恭也は夫であるのでまあなんとでも誤魔化せる自信はあるが、何だか現在異世界で働いてるらしい義妹はちょっと無理だった。いや、話せば何とかなる気もするけどガンダムより強そうな人にこんなことで怒られるわけには。
「録画したデータも全て削除して下さい」
「えー」
「リンディさん、お久しぶりです。実はなのはさんにお話ししたいことが――」
「すいません、消します消します! ノエル!」
「かしこまりました」
いつの間にか自分の主を手玉に取るようになった妹に感慨深い物を感じながら、ノエルはレコーダーを操作した。
『ちょ、そこは。助け――』
まだ生きていた音声回線も切断しながら。
「すずかお嬢様、お幸せに」
かくしてこの日、月村家には家族が一人増えたのである。
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