次に志貴が目を覚ましたのは、見慣れた自室だった。
「まったくもう、琥珀さんは」
ぶつぶつと一人で文句を言う。
琥珀は、いつも騒動を大きくしては自分で終結させて楽しんでいる。
まあ、その騒動で何か困ることになっても何とかしてくれるのでいい気もするが、琥珀の楽しみに付き合わされる方としては溜まったものではない。
今回もきっともう終わりで、アルクェイドもシエルも自分の家に帰らされているのだろう。
遠野家の当主は秋葉であり、長男は自分なのだが、一番の力を持っているのは琥珀のような気がする。

コン、コン、コン。

ぼんやりと考え事をしていると、遠慮がちに扉を叩く音が聞こえた。
「翡翠?」
まあ、自分の部屋に来る人間―というか、この館には自分以外に3人しか住んでないわけなので、ノックの音で大体誰が来たのかぐらいはわかる。
「いえ、わたしです」
……前言撤回。まさか秋葉がこんなに遠慮がちにノックしてくるとは思わなかった。
「ああ、開いてるよ」
とりあえず起き上がり、そう返事を返す。
ベッドの中に入ったままでは何なので、枕元のスタンドに灯をともし、一応布団から這い出てそのままベッドに腰をかける。
森で着ていた服ではなく、いつもの寝間着姿ではあったが、誰が着替えさせたかは気にしないことにする。心労の種は少ないに限る。
そのまましばらく待つが、秋葉が入ってくる気配はない。
「秋葉?」
「……今行きます。」
志貴が問いかけると、扉の向こうから秋葉の声がかえってきた。
どうやらまだ扉の向こうにはいるようだが、そう言う声を聞いた後も、いくら待っても入ってくる気配はない。
しかし、志貴も今更布団に潜り直すわけにもいかず、結果としてベッドに腰掛けたまま、ぴくりとも動けずにいた。



「兄さん、おじゃまします」
たっぷり10分近く沈黙が続いた後に扉の向こうから秋葉の声が聞こえ、ガチャ、とノブが回って扉が開く。
ギィ〜〜〜〜〜〜〜。
手入れが行き届いている遠野家において、ドアが開く時にそんな音を立てるわけはないのだが、そんな感じでドアは開いた。
そして、薄暗い真っ暗な廊下から、秋葉がしずしずと部屋の中に入ってくる。
「……おじゃま、します。」
秋葉が頬を赤く染め、恥ずかしそうにうつむきながら志貴の部屋に入ってくると言う光景はかなり珍しいものではあったが、志貴にはそんなことを気にしていられる余裕はなかった。

……ナンデスカートヲハイテイマセンカ?

そう。秋葉はどこから持ってきたのかは知らないが、男物のYシャツを着ていた。
そして、その下には何もはいていなかった。

……ナマアシ

『いかんっ!』
いや、本当に激しくいかん。義理とはいえ妹のあられもない姿に欲情してたりしたら世間さまになんと言われるか。
まあ、血は繋がっていないしここいら一帯に遠野の家にどうこう言う度胸のある人間はいないだろうが。

……いかんいかん。世間様がどうとかいう問題ではなく、それは人として大問題だろう。
確かに大問題だ。大問題かも。大問題なのか?


「……兄さん?」
志貴が良く分からない思考を繰り返しているのを見て、秋葉は志貴の側まで寄ってきて声をかけてくる。
「ああ、ごめん」
いかんいかん。志貴は頭をぶんぶんと振って混乱しつつある頭を静めさせた。
わかってはいたことだが、自分はこういった格好に弱くて、冷静ではいられないようだ。
一度、大きく深呼吸をして秋葉の声がした方を見る。
「いや、本当にごめん。まだどうやら寝ぼけてるみたい……ぶっ!!」
「に、兄さん!」
志貴を心配した秋葉は床にひざまずき、下から志貴の顔を覗き込んでいた。
まあ、秋葉が下から見上げているのだから志貴は上から見下ろすことになる。
すると、志貴の目に飛び込んでくるのは心配そうな秋葉の顔と、第2ボタンまで外されたYシャツの間から見える秋葉の小ぶりな胸。

……ナマチチ。

「いかんっ!いや本当にそれはいかんっ!!!」
志貴は叫ぶとベッドがら部屋の反対の方に飛び退く。
「いかんいかんいかんっ!!!」

「……どうしたんですか?兄さん」
志貴が部屋の隅で頭を振り、必死でその脳裏にこびりつく秋葉の映像を消し去ろうとしているのに、そんなことにはまるで気付かないで秋葉は無防備に近づいてくる。
そして、秋葉が一歩歩くたびにワイシャツのすそからはちらちらと美しい肌が見え隠れしている。
いや、スカートをはいていないのだから当然太ももあたりまではしっかりと見ることができ、今さら肌を少し見たところでどうと言うことも無いはずだが……。

パンツハハイテイルノカドウナノカ。

「いかんっ!!」
何かいけない方向に動きつつある脳を必死に制御して、地面にうずくまるようにして秋葉から意識をそらす。
目を閉じ、耳をふさいで、なんとかこの場を乗り切ろうとする。
秋葉が何か話し掛けてきているが、わーわーと騒いで聞かないようにする。
これ以上、秋葉とコミュニケーションを取るとヤバい。猛烈にヤバい。

しばらくそうしていると、秋葉の声がしなくなった。
「……秋葉、帰った、のか?」
そう声をかけながら、ゆっくりと、恐る恐る志貴が振り向く。
そこには、かわらず秋葉が立っていて、
……泣いていた。

「あ、秋葉?」
見間違いではない。秋葉は立ったまま、本当に悲しそうな顔をして涙を流していた。
「おい、秋葉。どうしたんだよ一体」
志貴は、遠野家に戻ってきてから、秋葉のいろいろな表情を見てきたつもりだった。
笑った顔、穏やかな顔、怒った顔、拗ねた顔。
しかし、秋葉が涙を流すのを見るのは初めてだった。
「おい、秋葉」
さすがに放っておけなくなり、秋葉のほうに歩み寄って呼びかける。
しかし、秋葉はうぐうぐとすすり泣くだけで、一向に返事を返そうとはしない。
いや、返そうとはしているようだが、うまく言葉が出て来ないようだ。
「あ。秋葉?」
まさかこんな状況に自分が出会うとは思わなかったので、志貴はおろおろとうろたえるばかりだった。
それでも、志貴が目の前でおろおろとしているのを見て安心したのか、しばらくすると嗚咽に混じって喋り出す。
「兄さん……どうせ……ひっく」
「え?」
「兄さんは……のほうが……」
「ごめん秋葉。もう少し落ち着いて話してくれないか。何を言ってるのかわからないよ」
志貴は、できるだけ秋葉にプレッシャーを感じさせないように優しく、ゆっくりとそう言った。
そのかいあってか、次に秋葉がしゃべった言葉ははっきりと聞き取れた。
「兄さんは、どうせ巨乳やシスターの方が好きなんだ」
……聞き取れなきゃ良かった。
いや、そんなどう反応するべきかわからないことを言われても困る。
「いや秋葉、あれはたまたま持ってただけでな?」
「たまたま持ってて37冊ですか」
「ぐ」
いくら泣きじゃくろうが、冷静でいなかろうが、秋葉は秋葉だった。そのあまりに的確すぎるツッコミは微塵のすきも感じさせない。
しかし、そのツッコミに言葉を失ったままでは、この状況は一向に進展しない。
志貴はその頭脳をフル回転させ、必死に言葉を選びながら反論しようとする。
「いやでも秋葉。あれは言うなれば手当たり次第に手に入れたもので。そう、言いにくいことではあるが成人男子のやむを得ない事情と言うものが」
「兄さんはまだ17歳なのだから成人男子と言うたとえは的確ではありませんね」
……秋葉と論争をしようと思ったのがそもそも間違いなんだろうか。
まだ目を涙で潤ませながらも的確なツッコミを入れてくる秋葉を前に、志貴はそう思った。
自分もそれなりに勉強はできるし、言語能力に乏しいと言うことも無いはずだ。
いや、むしろ言い争いになって負けたことは数少ないと思う。
まあ、上には上がいるということだろうか。
これ以上無いと言うぐらい果てしなくはるかに上の方な気もするが。

「……でも秋葉、その格好はどうかと思うぞ」
志貴は、論点をずらすことにした。
まともに論争をしていては勝ち目が無いので、せめて現在一番問題になっていることを解決しなければ。
「……なかったし」
「なに?」
また声が小さく、聞き取れない。
志貴が問い詰めても、秋葉はうつむいたままごにょごにょと言うばかりではっきりと聞こえない。
さっきからの例をかんがみるに、聞き取れたら聞き取れたで問題になるのは予想がつくのだが、それでも聞かないことには反論できない。
「ごめん、秋葉。もう少しはっきりとしゃべってくれないか?」
「妹ものが……なかったから」
くらっ。
めまいがした。そのまま倒れてしまおうかとも思ったが、そうもいくまい。
「いや、秋葉さん。妹ものが無いのとその格好とにどんな関連性が」
「……兄さんが好きだっていうから」
くらくらっ。
拗ねたように呟く秋葉の言葉を聞き、今度こそ本当に倒れてしまおうかと思った。
「……いや、一体誰がそんなことを」
「乾さんです。この前のお昼休み、兄さんが飲み物を買いに行ってる間に」
……生まれて始めて人間に対して殺意を覚えた。
殺す。それはもう17分割どころか100分割ぐらいして完膚なきまでに殺す。
「……嫌い、なんですか?」
志貴の中の七夜志貴がむくむくと目覚める中、秋葉が不安げに聞いてくる。
「いや、そんなことはないけど」
「じゃあ、なんでこっちを見てくれないんですかっ!」

ヤバいから。
秋葉がそんな格好をして、不安げに上目遣いでこっちを見て来て、今は夜で他に誰もいない自分の寝室にいるってことが果てしなくやばいから。

「いや、嫁入り前の娘がそんなかっこうしちゃいけません。すぐに服を着なさい」
「兄さん、こっちを見てくださいっ!」
必死に秋葉から意識をそらし、なんとか言う事ができた理性的なコメントもあっさり無視され、秋葉は詰め寄ってくる。

だからまずいって。

そんなことを考えながら志貴は必死に目をそらすのだが、秋葉はそんなことなどおかまいなしに近づいてきて、とうとう志貴の方を掴む。
「兄さん、こっちを見てください!」
「いや、落ち着け秋葉!」
ぐらっ。
2人で言い争い、体勢が不安定になる。
そして、志貴はベッドのふちにぶつかって体勢を崩し、そのままベッドの上に仰向けに倒れこんだ。
秋葉もそれにつられ、ベッドの上に倒れこむ。
志貴と向かい合わせの状態だったので、ちょうど志貴の上に覆い被さるかたちで。

「……」
「……」

時が止まった。
あまりの急展開に志貴も秋葉も声が出ない。

「……兄さんは」
先に沈黙を破ったのは秋葉だった。
「兄さんは、いったい誰を選ぶんですか」

核心だった。
ここ最近、志貴が遠野の家に帰ってきて以来の騒動の、ほぼ全てを解決する核心の質問だった。
今の関係を崩すまいと、その問いから必死に目をそらしていた志貴の前にとうとうその問いがつきつけられた。
「秋葉……」
下手な答えはできない。
その問いの当事者の一人である秋葉に対し、いいかげんなことを言うわけにはいかない。
しばらくの沈黙の後、志貴は口を開く。
「秋葉、俺は……」
「私は」
まるで志貴の言葉を遮るかのように秋葉が声を出す。
「私は、兄さんと一緒にいる為になら、どんな事だってできます」
そう言って秋葉はその手を下の方に伸ばす。
そして、志貴のズボンに手をかける。
「あ、秋葉っ!?」
「兄さんの本は読んだんです。兄さんの望むことなら、どんなことだってできます」
志貴は慌てて秋葉の動きを止めようとするが、秋葉は熱に浮かされたような表情のまま、動きを止めようとはしない。
「や、やめろ秋葉っ!!」
もはや、やばいとかやばくないとかそう言った問題ではなかった。
今、一気に最後の一線を越えようとしている。
不利な体勢ながらも必死にもがき、秋葉の下から抜け出ようとする。
秋葉はそんな兄を逃がすまいと、必死に押さえつける。
しばらくそんなことを繰り返し、互いに疲れたのか動きが止まる。
はあっ……はあっ……はあっ……
志貴は息を整え、秋葉に声をかける。
「秋葉、そろそろ諦めて自分の部屋に……」
「兄さんは、私がいやなんですか?」
ぽたっ。
志貴の言葉をさえぎり、秋葉が不安そうに聞いてくるのと同時に、志貴の頬に温かい雫が落ちてくる。
ぽたっ、ぽたっ。
「秋葉……泣いて……るのか?」
志貴の上に覆い被さり、押さえつけていた秋葉の目から涙がこぼれてきていた。
「8年、待ったんです」
流れる涙をぬぐおうともしないで、秋葉は言葉を続ける。
「8年前、反転したシキが私を殺そうとして。兄さんが私をかばって死んで。私のからだから命が流れ出して、兄さんの中に流れ込んでいって。兄さんは何とか命を取り留めてくれたけど、そのまま有間の家へと行ってしまって。私は兄さんの命を感じながら、兄さんの帰りを8年の間待ち続けたんです。」
「兄さんが帰ってきて、この家で一緒に暮らせることになって。本当に嬉しかったんです。翡翠も、琥珀も、私といっしょに本当に喜んだんです。」
「それなのに、兄さんは夜になるとふらふらと出かけて。出かけるどころか命の危なくなるようなことをしてきて。兄さんの体は普通じゃないんですよ!?私の命を2人でわけあっているんだから、いつ死んでもおかしくないんです!ただでさえ死にやすい人が、どうしてわざわざ死にそうな場所に行くんですか!」
「秋葉……」
全く、口を挟めなかった。反論しようとは思っていたのに、涙を流して、必死になって叫ぶ秋葉を見ると反論することができなかった。
秋葉や翡翠、それに琥珀も、自分に対して行為を抱いていてくれることはうすうす感じていた。
でも、それがいわゆる「家族愛」と違うかどうかは、自信が持てなかった。
それだから、今まで半ば意識して「家族として」接してきた。いや、接するように努力してきた。
まさか、そんな自分の態度が秋葉をそこまで思いつめさせているとは思わなかった。
「秋葉……」
もう一度そう呼び掛け、秋葉の頬に流れる涙を手でぬぐう。
「ごめん、秋葉。本当にごめん」
「にい……さん……」
志貴にぬぐわれて、初めて自分が涙を流してることに気がついたかのように、秋葉は慌ててごしごしと涙をぬぐう。
そして、ひとしきりぬぐい終わった後に慌ててベッドから起き上がる。
「ご、ごめんなさい兄さん!どうやら、琥珀の薬が抜けきってないみたいで何だか良くわからないことをいっちゃいましたね。わたし、自分の部屋に戻りますからっ!」
一息でそこまで言うと、そのままベッドからおり、自分の部屋に向かおうとする。
「それじゃっ!」
顔に明るい笑みを浮かべて自分から離れて行こうとする秋葉を見た時、志貴は思わず秋葉の手を掴んでいた。
「ど、どうしたんですか?兄さん」
多少焦ったような声を出して秋葉が聞いてくるが、志貴も自分の行動の意味がわからなかった。ただ、自分から離れて行く秋葉を見ていたら、体が勝手に動いてしまったのだ。
「兄さん、秋葉は部屋に戻りますから。それに、こんなところをアルクェイドさんやシエルさんに見られたら」
「無理、しなくていいんだ」
そうだ。秋葉は明るく微笑んで部屋を出ていこうとしたけれど、その後ろ姿は、どう見ても悲しそうだった。
そう、8年前、まだシキも反転しておらず、3人で楽しく遊んでいた時。
自由時間が終わって、習い事の時間になり、屋敷の人間に連れて行かれる時も、秋葉は明るく笑って別れていった。
自分がいなくなった後に残る、2人の兄に自分が悲しんでいることを気づかせないように。
自分が悲しんでいることを知り、自分が大好きな兄が悲しい思いをしないように。
「な、何を言ってるんですか兄さん?そろそろ部屋に帰らないと」
「そんなに信用できないか?」
秋葉の言葉を遮り、志貴がそう言う。
「兄さん……」
「秋葉がなんと思おうと、俺は秋葉のことを大切に思っているんだ」
何も考えていないのに、言葉が自然に出てきた。
「無理するなって。いくら秋葉が当主だって、遠野家で一番の年上は俺なんだから。」
「兄さぁん!!」
志貴の言葉を聞き、秋葉が自分の体を投げ出してくる。
どさっ。
ベッドの上で再び2人は折り重なる。
しかし、今度は志貴も秋葉を拒絶することはなく、その手を背中にまわして優しく抱きしめる。
「兄さん、兄さん、兄さん……」
「うん、秋葉。ごめんな、俺が悪かったよ」
泣きじゃくり、自分にぎゅうぎゅうと抱きついてくる秋葉を抱きしめながら、優しく声をかけつづける。
しばらくそうしていると秋葉も落ち着いたのか、志貴の胸に押し付けていた顔を上げ、志貴を見詰める。
「……ごめんなさい」
「ん?」
秋葉が謝罪してくるが、わざとまるで聞こえてないかのように振る舞う。
そなな白々しい態度を見て、秋葉は思わずくすりと笑い声をもらす。
「兄さんは、本当に優しいんですね。こんなにかわいげのない妹なのに」
「そんなことはないぞ。普段怒られてばかりだから、そういう風に笑う秋葉はとってもかわいいよ」
「ありがとうございます。とりあえずはお礼を言わせていただきますね」
「お、やっといつもの調子が戻ってきたか?」
「もう!兄さんったら!」
そんな調子でなごやかに過ごす。今までの騒動はまるで嘘だったかのように、普段よりもなごやかに。

「でも、兄さん」
「ん?」
「さっきの私の言葉は……嘘じゃありませんよ」
「あー、うん。わかってる」
秋葉の衝撃的な発言にも志貴は冷静に答えを返す。
あの言葉が嘘には聞こえなかったし、自分の返すべき言葉も決まっている。
「兄さん」
「大丈夫だよ秋葉」
不安そうに問い掛けてくる秋葉を抱きしめ、志貴はそう言う。
そして、少したった後に手の力をゆるめる。
秋葉も、自分のするべき事が分かっているかのように体勢を変え、体を上の方にずらす。
そして互いに目を閉じ、2人の唇がゆっくりと近づいていく……

ごしゃっ!バキィィィン!

……遠野家始まって以来ではないかと思える甘ったるい空気の中、そんな音が響いた。
慌てて志貴が目を開けると、そこには破壊された扉と、秋葉の赤い髪に貫かれ、宙に浮いているブロンズ像。

ちなみに、今朝秋葉が投げつけたものとは別物だ。
さすがに遠野家は資産家なだけあって、館中にこういった美術的に価値の高い調度品が配置され、それらは毎日翡翠の手によって磨かれている。

……まあ、作った芸術家も磨いている翡翠も、このような利用のされ方は不本意だろうが。

さておき。
状況を整理するに、扉の向こうから、信じられない腕力でブロンズ像が投げつけられ、ブロンズ像は頑丈な樫の扉を粉砕し、志貴と秋葉の方に飛んできたらしい。
そして、それを秋葉の能力、攻防一体の紅い髪の結界「檻髪」が貫き、危ういところでブロンズ像を貫き、空中に静止させたらしい。

「ふふふふふ。甘いですね、秋葉さん」
「そう、月姫オフィシャルはだワイである私たちに勝てると思った?」

どがあっ!

そんな音を立てて扉を蹴り開け、部屋の中に入ってきた女性が2人。アルクェイドとシエルである。
ちなみに、さっきのブロンズ像でダメージを受けていた扉は駄目押しといわんばかりに破壊され、床に転がっている。
「えーと、2人とも、何?」
あまりの状況の変化についていききれず、思わずそんなことを聞いてしまう。
「妹!志貴の寝込みを襲い、そんな格好で誘惑しようなんて」
「そう、ヴァチカンの法王様が許しても、私たちが許すわけにはいきません!」
……無視かい。
「それに、胸が無いのにそんなかっこうしても色気がないにゃー」
ぷぷ。
アルクェイドがそう言って笑ったとたん、その脳天にブロンズ像が直撃した。

ぐばしゃ!
「ぐ、ぐおおおおおおおおおお」
さすがのアルクェイドも油断していたのか防御が間に合わず、「檻髪」によって貫かれていたブロンズ像をモロにくらって、かなりのダメージを受けて苦しんでいる。
「黙りなさい、この泥棒猫」
その髪をまた紅く染め、まるで生き物のようにひゅんひゅんと動かしながら秋葉が告げる。
ちなみに、ブロンズ像はもはやブロンズの欠片の山と化した。。
そんな凄まじい衝撃を受けて、生きていられるアルクェイドもさすがといえばさすがだが。
「やっとの思いで兄さんをその気にさせたというのに……。
 私と兄さんはこれからめでたく結ばれるんですから、部外者はとっとと帰って下さい。いまなら特別に不法侵入も器物破損も見逃して差し上げます」
「いや、結ばれるって秋葉」
「ふふふ、甘いですね。私もアルクェイドさんも、そもそも正式な手続きを取って入国したわけじゃないんですから、日本の法律なんて知りません」
「いや先輩、多分そこが問題なのではなく」
「ふふん、不法入国ならなおのこと。入国審査局に通報される前に早く帰りなさい」
……完全に無視かい。
一応、自分が原因で争いが始まりそうなのでそれなりに努力しようと思ったのだが、もはや手後れらしい。
誰一人として志貴の言葉を聞こうとはしてくれないようだ。
そんなことを考えている間も言い争いは続いている。
「ふふん。埋葬機関の人間には、法王庁から権限が与えられているのです。入国管理局なんてぺぺぺのぺー、です」
「で、その格好は埋葬機関のユニフォームだとでも言うんですか?」
そう。シエルも、そしていまだに痛みが引かないのか、頭を抑えてうずくまったままのアルクェイドもYシャツ1枚しか着ていなかった。
秋葉とは違い、凹凸のはっきりとした体つきでそんな格好をされると、それはまた凄くくらくらとしてしまうんだが、今はそんなものに目を奪われているわけにはいかない。
「ふふん。日本の昔のことわざでこういうのがあるということを聞きました。『目には目を。歯に歯はを』そう。裸Yシャツで遠野くんを誘惑する恋敵に対抗するには、裸Yシャツが効果的なのです!」
「それはハムラビ法典です」


「……とにかくっ!遠野くんを裸Yシャツで誘惑するなら誘惑するで、抜け駆け無しで正々堂々と勝負しようということです!」
秋葉の容赦ないツッコミにも負けずにシエルが叫ぶ。
それと同時に、やっとダメージが回復したのかアルクェイドも立ち上がり、それに続く。
「そういうこと。まあ、妹が自分に自信が持てなくて抜け駆けしないと勝てる自信が無いって言うならしょうがないけど」
秋葉のプライドを刺激するようにそう告げると、ふふん、と鼻で笑う。
まあ、そうまで言われてしまっては逃げるわけにはいかない。
「……わかりました。兄さんに選んでもらいましょう。」
3人がその目に決意の光を宿らせつつ、睨み合う。
そして、一斉に志貴のほうへと向き直る。
「さあ」
「誰か一人を」
「選んでください」


「ほら、志貴さん。翡翠ちゃんったら、志貴さんの為に顔真っ赤にしながらこんなかっこうしてるんですよー?」
「姉さん……」
「いや、そうおっしゃられましても」
「だって、メイドさんがはだワイで姉妹どんぶりですよー?嫌いなんですか?」
「姉さん……」
「いや、好きか嫌いかと選択を迫られれば嫌いではないのですが」
世紀の選択をせまられた志貴はといえば、翡翠と琥珀に迫られ、わたわたとしていた。
ちなみに、翡翠も琥珀も裸にYシャツ1枚といった格好で、志貴の鼻の下はしっかりと伸びていた。

「兄さんっ!」
「志貴!」
「遠野くんっ!」
「はいっ!」

3人に怒鳴られ、志貴はまた3人のほうへと向き直る。

そして、間髪あけずに、秋葉は自分たちの使用人に詰め寄る。
「琥珀、翡翠。あなたたちは何をしているんですか?」
「いえ、ちょっと志貴さんの誘惑を」
琥珀はいつも通りの笑顔でこたえる。
「……わたしに、『志貴さんを誘惑するなら、裸Yシャツが一番ですよ秋葉さまっ!』と教えてくれたのはあなたじゃなかったかしら?」
「ええ、確かに言いました。でも、わたしも翡翠ちゃんも志貴さんのことが好きですから。負けるわけにはいかないなー、と。」
「……」
当然のことという感じの琥珀に、秋葉も思わず言葉を失う。
ふと、横を見てみるとアルクェイドとシエルも同じように唖然とした表情だ。
「ま、まさか」
「ええ。お二人とも、秋葉さまが志貴さんを誘惑してる時に実力行使に入ろうとしていましたので、ちょっとアドバイスを」
「な、なんで」
「いや、やっぱり正々堂々恨みっこなしでいたいじゃないですかー」
秋葉の問いを最後まで言わせることなく、次々と朗らかに応える琥珀。
まあ、良く考えてみればそうだった。琥珀のアドバイスに裏があるなんて、考えてみればありそうな話だったのだ。
「と、いうことでみなさんの衣装が揃ったところで私と翡翠ちゃんも参加させていただいたんですけど……だめですよ皆さん。着こなしがなってません」
めっ、と。琥珀が得意の、いたずらっ子をしかるようなポーズを取る。
そして、今まで琥珀の後ろで恥ずかしそうに、顔を赤くして立っていた翡翠を前に押す。
「ね、姉さん」
「見て下さい。翡翠ちゃんの裸Yシャツは、自らの優位な点を最大限に活かすために、カチューシャはつけたままです。これによって『メイドさんの裸Yシャツ』という、素晴らしい取り合わせの前に志貴さんは萌え萌えです。」
そして、周りの反応など全く気にしてないかのように琥珀は続ける。
「アルクェイドさんもシエルさんもわかってません。お2人ともプロポーションがいいんですから、ボタンはもう少し大胆に外して下さい。胸の谷間なんか見えると志貴さんはめろめろなはずです」
そう言いながら、唖然とするアルクェイドとシエルのYシャツのボタンを外す。
第4ボタンぐらいまで外されたYシャツは今にも脱げそうになり、2人とも胸が大幅に露出される。
「次に、秋葉さまです」
相手の反応を待つこともなく、次の獲物である秋葉のほうににじり寄ってくる。
「こ、こは」
「秋葉さまのプロポーションは控えめなんですから、前はあんまり開けちゃ駄目です。それより、こっちの」
秋葉の言葉を全く無視して、後ろからYシャツを引っ張り出す。
「裾が短めのシャツを着てください。志貴さんが大好きな生足が強調されて、これでもうくらくらなはずです。」
そう言って、秋葉に新しいシャツを手渡す。
「そしてわたしは、このだぼだぼなシャツを使わせていただきます。この余った袖辺りが志貴さんのハートを直撃です」
そう告げると、改めて一同を見渡す。

「さあ、これで全員の持ち味は最大限に発揮されます。これで、みんなで正々堂々と志貴さんを誘惑しあいましょう」
その言葉を聞き、琥珀以外の4人が志貴の方を向く。
「萌え萌え……」
「めろめろ……」
「くらくら……」
「と、いうことです志貴さん。たっぷりと堪能してください」
また、にっこりと満面の笑みを浮かべて志貴のほうに琥珀が近づいてくる。
「萌え萌え……」
「めろめろ……」
「くらくら……」
それに続いて、志貴に詰め寄る4人。
「い、いやみんな。冷静になろうよ。ね?」
あまりに尋常じゃない状況に、志貴は慌ててそんなことを呟き、後ずさる。
しかし、いくら豪邸と名高い遠野家でも一部屋では限界がある。すぐに部屋のかどに追いつめられる。
「志貴さまが萌え萌え……」
「志貴がめろめろ……」
「遠野くんがめろめろ……」
「兄さんがくらくら……」
「さあ、覚悟してくださいねー♪」

「うわぁぁぁぁぁっ!!!」
遠野の家に志貴の絶叫が響きわたった。



―数日後―
繁華街にあるこぢんまりとした喫茶店。
そこの、通りに面した席に志貴は座っていた。
「うわー、それは大変でしたねー。」
志貴の向かい側に座っていた少女、瀬尾晶は本当に感心したようにそういった。
彼女は秋葉が以前在学していた浅上女学院での後輩であり、とある事件で知り合って以来、休みの日などにこうしてちょくちょく会っている。
有彦あたりに知られたらいらぬ勘繰りを去れそうだが、志貴としてはそういうつもりで会っているわけではなく、まあなんというか、別居している妹とたまに会う。そういった感じが一番近いのかもしれない。
まあ、志貴には秋葉というれっきとした妹がいるのだが……
あの妹は会ってて心が休まらない。
と、いうか志貴が親しくしている女性のうち、こうやって休みの日に会って普通の高校生らしく過ごせる相手は他にいない。
まあ、晶のほうもどうやら好意を抱いてくれてはいるようなので、暇な休みの日などはこうしていっしょに食事をしたり、ちょっとした買い物をしたりということも少なくはない。
「いや、本当に。琥珀さんには困ったものだというかなんというか」
本当に脱力して、そう言った。
まあ、さすがに全てをそのまま話すわけにはいかないので、所々を端折ったり脚色したりはしているが。
「それで、本はどうなったんですか?」
「ああ、どさくさにまぎれて回収しておいた。いや、せっかく晶ちゃんにもらった本だしね。」
「いえ、いいんですよ。あっちこっちから廻ってくるんですけど、わたしが持ってても意味ないし……」
そう言って本の内容を思い出したのか、顔を真っ赤にする。
それを見て志貴は微笑ましく思う。
ああ、なんて平和な休日なんだろう。やはり、一般的な学生の休日とはこうあるべきじゃないだろうか。
志貴がそんなことをしみじみと思っていると、晶も気を取り直して話しかけてくる。
「でも、もうしまう場所が無いんじゃないですか?」
「まあね。でも、なんとか場所は作ったよ。」
「どこにしまったんですか?」
「うん。床の隅のほうをちょこっとくりぬいて、そこに入れてみた。結構うまくできて、ちょっと見ただけじゃわからないようになってるんだ」
「うわー。でも、志貴さんの家って床とかすっごく丈夫そうじゃないですか。大変だったんじゃないですか?」
「あら。瀬尾は知らないの?兄さんは物を切ったり壊したりすることにかけては天下一品な腕前なのよ?」
「へー、凄いんですねー」
「おいおい。それじゃまるで俺が他にはまるでのうがない人間みたいじゃないか」
「あら、すいません。そうですよね。兄さんは女性をたぶらかすのも得意でしたっけ」
「ちょっと待ってくれ秋葉。そういう、他人に誤解を招きそうなことは」
「そうですよー。志貴さんは他にも……」


「「え?」」
2人の声がハモった。ふと見ると、同じテーブルにもう一人座っている。

「ああ、挨拶が遅れてましたね。こんにちは。通りを歩いていたら楽しそうだったので、合い席させていただきました」
「あ、秋葉お前いつから!?」
「ええ。兄さんがあの本を隠す場所を作ったあたりでしょうか」
「と、とととと、遠野先輩!?」
「あら、だめよ瀬尾。いくら親しい間柄とは言っても挨拶ぐらいはきちんとしなくては」
突然の出来事に焦りまくる2人に対して、あくまで冷静に、それどころかにこやかな笑みすら浮かべて返答をする秋葉。
端から見ると微笑ましい光景だろう。
こっそり会っていた男女が共通の知り合いに見つかり、慌ててごまかそうとする。ありそうな話ではある。
「いやあの、これはですね。深いわけがありましてですね」
「何を脅えているの?私と瀬尾の仲じゃないの。そんなに脅えないでもいいのよ?」
晶は相変らず慌てふためいており、パニック寸前と言った感じだ。
しかし、そんな晶をみても秋葉は反応を変えることなく、相手を威圧しないような優しい声で話しかけてくる。
「あ、あのあのあの……」
「ええ、私も多少は成長したと自負しているんですから。」
秋葉のその言葉を聞き、やっと晶も安堵のため息をつく。
幸いながら、秋葉は怒っていないようだ。
志貴とこっそり(まあ、断りを入れてもかわらないと思うが)会っていたので怒られるのかと思っていたが、そんなことは
「例、私の知らないところで兄さんと会っていようと、兄さんにあんな本をプレゼントしようと、共通の話題で盛り上がろうと、ケーキをこれで3つもご馳走してもらおうと、ましてや何時の間にやら兄さんを下の名前で呼ぶようになっていようと、わたしは全然怒ったりしてないわよ、ええ本当に」
「浅上にいたころとなんにも変わり無いじゃないですかっ!!」
怒っていた。これ以上ないというぐらい怒っていた。
端から見ると怒っているように見えないが、秋葉と少し付き合った人間ならわかる。今の秋葉は本気で怒っている。下手すると命の保証はない。
「失礼ね。以前の私と思ってもらっては困るわ。瀬尾にはこれからわたしの成長を見てもらわなければ行けないのだから」
「……どんな成長ですか?」
絶望の海に沈みそうになりながらも、秋葉に聞き返す。慎重に慎重に、極力刺激しないように。
「今の私だったら浅上女学院の全権力を3日のうちに握る自信があるわ」
「そんな成長しなくていいですっ!!!!!」
思わずそう叫び返すと同時に、秋葉の手が晶の襟首をむんずと掴む。
「ほら、瀬尾。今まで兄さんといっしょにいたんだから、今度は私にも付き合ってもらわないと」
そういいながらも、晶の返答を待つこと無しに秋葉は外に向かって歩き出す。
その手は晶の首根っこを掴み、人一人分の重量が加算されたというのに歩くペースは全く落とさずに。
晶は引きずられながら、最後の望みを託して志貴にむかって助けを求める。
「た、たすけてくださ〜い」
「ごめん、晶ちゃん。無理」
即答だった。
まあ、世の中「無理」と断言できることは結構あるが、その中でもこれは最上級の「無理」。
怒った秋葉に歯向かうぐらいならネロとロアとシキ3人同時に戦ってもいいぐらいだ。
なんというか、秋葉には勝てない。

「そ、そんなぁ〜」
涙ぐみ、こっちを見つめる晶に対して、志貴ができることはただひとつだけだった。
「秋葉、あんまり無茶するなよ」
「ええ。考慮しておきます。さあ、行くわよ、瀬尾」
「た〜す〜けぇ〜て〜」」

そして、秋葉と晶は店から出て、いずこかへと歩いていった。

その後、志貴は何があったかを聞くことはできなかったし、聞く気も起きなかったが、その後1週間志貴は外出できず、自室の床は全て張り替えられたのであった。


後書きのような気がするもの

はい、またまた多分こんばんは。
管理人のはだワイSS第3弾。今度は月姫です。

……ごめんなさい。書き始めてから4ヶ月ぐらいかけたのにこんな出来です。すいません……
一応、コンセプトとして「月姫全キャラではだワイ大集合」だったんだけど、あんのじょう秋葉が目立ちまくりです。
さらに、オチはさっちんのはずだったのにアキラちゃんです。
いや、萌えの力って恐ろしいですね(笑)

さておき、多少変更はあったもののなんとか書けたかな、と。
ラストの方がいまいちしっくりこなかったりもしますが。

まあ、これをいい経験に次のに活かそうかとー。

と、いうわけで。途中のをよんで、感想をくれた某氏たちに感謝しつつ。

2001.11.17 右近