朝食後のお茶会の時間。
普段は秋葉が一人食後の紅茶をたしなむだけなのだが、今日は奇跡がおきたのか翡翠の努力が実ったのか、志貴が秋葉とそう変わらない時間に起きて食事をとって、時間があるので四人で過ごしている。
「でも志貴さん、今日はずいぶん早く起きられましたねえ」
「うん。昨日は比較的早く寝たからね」
「いつもそうだったら翡翠ちゃんも喜びますのに」
「姉さん、そんな」
「ごめんな翡翠。いつも苦労かけちゃって」
「志貴さままで……」
翡翠と琥珀はメイドなので席に着いたりはしないが、志貴や秋葉との会話には参加する。
それならいっしょに席に着いてもいいんじゃないかと思い、志貴が提案したこともあるけど、それは二人に断られた。
やはりメイドと言う自分の職業には、それ以外の人間にはわからない誇りとかがあるらしい。
「でも、昨日は本当にゆっくり寝れたなあ」
「アルクェイドさまとシエルさまは、相打ちになって裏庭で昏倒してらっしゃったようです」
「あの二人もなあ……」
「でも、志貴さんがよく眠られるんでしたらセキュリティシステム強化しましょうか。あのお二人以外に侵入者の人なんかいませんし、どーんと凄いやつを」
「姉さん、あんまり物騒なものは……」
「甘いです翡翠ちゃん。主人の安眠を守るためでしたら、修羅と化すのがメイドの勤め」
本当に活き活きとした楽しそうな表情でそんなことを言う。
「というわけでシステムの見直しをしようと思うんですが」
「……」
琥珀は自分の主人に伺いを立てるが、返事が無い。
「秋葉さま?」
「……」
「あーきーはーさーまー?」
「な、何!?」
「どうされたんですか? 心ここにあらずって感じですけど」
「そ、そんなことないわよ? ちょっと考え事をしていただけで」
明らかに狼狽しているが、秋葉はそれを認めようとしない。
「秋葉さま、お体の具合でも……」
「大丈夫よ。翡翠も琥珀も、どうしたのかしら?」
「秋葉、本当に大丈夫か?」
「兄さんまで。私は兄さんと違って常日頃から規則正しい生活を送っているんですから、健康を害することなんてあるわけ無いじゃないですか」
「いや、でもお前さっきからティーカップ持ってるけど全然紅茶飲もうとしないし」
志貴にそう指摘されて自分のカップを見てみると、確かに紅茶は全く減っていないし、冷め切っている。
「何か悩み事でもあるんなら……」
志貴が言いかけると、その手に持った紅茶を一気に飲み干した。
「さ、さあそろそろ学校に行かないと遅刻しますよ?」
「いや、まだ全然余裕はある……」
「遠野家の長男たるもの、余裕を持って行動しなければいけないのです!」
「またそんなお前とってつけたように」
「琥珀、翡翠。私と兄さんは出かけますから、後のことはよろしくね」
「秋葉さま、セキュリティのお話は……」
「え、ええ。琥珀に任せるから、うまくやっといてちょうだい」
「は、はい。お任せください」
「秋葉ちょっと待て、鞄がまだ……」
「それじゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
「いやだから鞄」
志貴の抗議は完全に無視され、秋葉(とそれに引きずられた志貴は)あっという間に出かけてしまった。
後に残ったのは空のティーカップと志貴の忘れた学生鞄。
「姉さん、どうしましょう」
「……まあ、一日ぐらい鞄無しでも大丈夫でしょう」
翡翠と琥珀は、そんなことを話しながら呆然としていることしかできなかった。
深夜、遠野邸裏庭。
高い塀と広大な敷地に囲まれ、普段から世間との喧騒からはかけ離れた場所では、人知を超えた戦いが始まろうとしていた。
「ふん、得意の不意打ちは止めたのかしら?」
満月の下、そう言って不適に笑う白の吸血姫アルクェイド・ブリュンスタッド。
その眼はすでに金色に輝いている。
「それはこっちの台詞です。昨晩は不覚をとりましたが、今日はあなたの好きにはさせません」
そう言って獲物を狙う狩猟者のごとく目を凝らす、埋葬機関の処刑人『弓の』シエル。
その手には第七聖典が携えられ、全身の魔術的紋様がぼんやりと光を放つ。
「今日は久しぶりに、全力で行かせてもらうわ。二度と志貴の前に立てないようにしてあげるわ、教会の狗」
「珍しく気が合いますね。今日はこちらも遠慮する気はありません。いかな真祖といえども蘇ることの出来ぬよう、魂すらも打ち砕いて差し上げましょう、吸血鬼」
もう夏は過ぎ、肌寒さすら感じる気温の中でも二人の間の空気はじりじりと緊張を増し、錯覚か陽炎すら見える気がする。
そしてどこか遠く、おそらくは屋敷から離れた町のほうで聞こえた野良犬の遠吠えをきっかけに、二人は弾かれたように飛び出した。
「シィァァァァッ!!!!」
「フゥゥゥゥゥッ!!!!」
互いに、獣のような呼吸で目の前にいる敵に襲い掛かり、情け容赦のない全力の一撃を繰り出す。
初撃は互いにかわし、至近距離の間合いの中での戦いに移る。
眼前の敵、その一挙手一動作すら見逃さぬように全ての感覚を集中する。
そして互いに、コンマ数秒のずれもなく同時に第二撃を−
繰り出すところで倒れ付した。
「ま、また……?」
「昨晩と同じ……」
二人とも、この世界でも有数の戦闘力と普通の人間とは比べ物にならない回復力を持ってはいるが、完全に無警戒だった周囲からの攻撃をもろに受けたせいか、立ち上がることすらおぼつかない。
さくっ。
おそらく二人を打ち倒したであろう人影が物陰から姿をあらわす。
全身黒くぴったりとした素材のボディスーツを身にまとい、その眼の部分には暗視用であろうなにか機械的なゴーグルが装着されている。
「あ、あなた……」
「いったいどういう……」
倒れた二人はその人影に対して呼びかけるが、その黒い人影は一瞥することすらなく前に進んでいく。
そして、二人から少し離れたところにあった屋敷に近づくと、ゴーグルについたスイッチを操作する。
古めかしいつくりではあるものの、ゴーグルを通して見ると屋敷の周囲、特にその人影が目的とする場所には十重二十重に赤外線のセンサーが張り巡らされているのがわかる。
周囲に音が漏れないように、口の中で悪態をつきながら慎重に赤外線を避け、目的地に一歩一歩近づいて行く。
僅か数メートルの距離に十数分かけて進み、目的地のそばにある木の場所までたどり着いたところでやっと一息ついた。
そしてまた気を取り直したかのように視線を上に上げ、上空には赤外線が張り巡らされていないことを確認するとそのゴーグルを外し、傍らにある木を上る。
ずる……ぺたん
黒い人影は木登りが得意では無いようで、一メートルも上らないうちにずり落ちてきた。
少しの間呆然としていたが、やがて気を取り直したのかまた木を上る。
ずる…………ぺたん。
ちょっと進歩した。
一メートルぐらいは上った。
目的の枝は三メートルぐらいの場所にあるので、あと二メートル。
ずれかけた手袋をもう一度はめなおし、一度深呼吸して呼吸を整えた後にまた木を上る。
ずる…………ぺたん。
さっきと同じところでずり落ちた。
無言でもう一度上り始める。
ずる…………ぺたん。
ずる…………ぺたん。
ずる…………ぺたん。
ずる………………ぺたん。
ずる…………ぺたん。
ずる…………ぺたん。
ずる……ぺたん。
ずる…………ぺたん。
ずる………………ぺたん。
――――――しばらくお待ちください――――――
紆余曲折の末、人影は目的の枝までたどり着いた。
まあその体を包んでいたボディスーツは所々破れたり、その下にできた小さな傷からは血がにじんでいたりするけども目的は達成した。
最初は一メートルも上れなかった木を上り、この短時間で(といっても優に数時間は経っていたが)目的地まで到達したのである。偉いぞ人影。
さて、やっとたどり着いた枝から屋敷の中を覗き込むと、窓とカーテンが開け放たれ、室内に家人が寝ているのが見てとれた。
「……?」
首を捻る人影。
もう夏というわけでも無いのに窓とカーテンを開け放って寝るというのはどうもおかしい気がする。
ましてや、今朝方「防犯体制を強化しよう」という話をしていたのだ。いくらセンサーを増やしたからといっても窓が開けっ放しというのはそれ以前の問題だ。
少し考え込んだりもしたが、まあ好都合な話ではあるので気にしないことにした。
今いる枝はその窓の近くまでのび、枝を伝っていけばほとんど危険もなく室内に進入することが可能だろう。
意を決して人影は立ち上がり−思わず下を見てしまってへっぴり腰になりつつも−一歩一歩目的の場所に近づいて行く。
そして、窓と枝とが最接近する場所までたどり着くと、思い切ってジャンプした。
がつどてっずしゃ
ジャンプしたらさんに足を引っ掛けて顔面から思いっきりダイブするはめになった。
あまりの痛さに涙目になるが、そんなことを言っている場合ではない。
かなり大きな音がしたにもかかわらず、ベッドで寝る男は全く持って眼を覚ます気配が感じられない。
人影は何故かため息をつくと、室内に一歩
うぃーよん、うぃーよん、うぃーよん、うぃーよん
踏み出した瞬間、屋敷中に大音量で警告音が鳴り響き、室内でも赤い警告灯が光を放った。
「え? え? え?」
「な、なんだなんだ?」
突然の出来事に人影と、さすがに目を覚ました家人−遠野志貴がうろたえていると、人影足元で『カチッ』という音が鳴り、人影は一気に吊りあげられた。
「な、なんなのこれはー!?」
どうやら絨毯の下に敷いてあったらしいネットに絨毯ごと吊りあげられたらしい。
「御用御用、御用ですよー」
何が起きたのか理解できず、志貴と吊りあげられた人影がうろたえていると扉が勢いよく開かれ、琥珀さんが駆け込んできた。
しかもその手には『御用』とか書かれた提灯と十手まで持って。
「志貴さんの部屋に侵入しようなんざふてぇ野郎です。御用にしちゃいますよ−」
琥珀の後ろには、あくまでハイテンションな姉に隠れるように翡翠も控えていた。
その手にはやっぱり『御用』って書かれた提灯を持って。っていうか多分持たされて。
「琥珀……さん?」
「ほらほら、なに呆然としてるんですか志貴さん。せっかく侵入者を捕まえたんですからもっと盛り上がって頂かないと」
「いや、そうじゃなくて」
「あの、姉さん」
「なーに? 翡翠ちゃん」
「侵入者の方なのですが……」
「あ、うん。どうかしたの?」
言われて捕獲されている侵入者の方を見てみると。
「……何してるんですか? 秋葉さま」
「……とりあえず降ろしてくれないかしら」
秋葉は憮然とした顔でそう言った。
普段とは違う、全身をぴっちりと包んだボディスーツだけども、そのおかげで特徴的な体型を見せながら。
「兄さん、何か失礼なことを考えていませんか?」
「いやいやいやそんなことは」
「で? なんで秋葉が俺の部屋に窓から忍び込んだんだ?」
とりあえず秋葉を下に降ろして、事情聴取をすることにした。
俺はベッドに腰掛けて、秋葉には椅子に座ってもらって。
「そうですよねえ。夜這いするならドア開けで堂々と入ればいいんですし」
「翡翠、琥珀さんといっしょに席外してもらえるかな」
「かしこまりました」
「えー、志貴さん一人でこんな」
「姉さんは少し黙っていた方がいいと思います」
「翡翠ちゃん、ひどいですー」
「……」
翡翠が琥珀さんの首根っこ掴んで部屋を出るのを確認してから事情聴取を再開する。
「で、なんでだ?」
「……」
「秋葉」
「……」
「秋葉?」
「……て」
「ん?」
「兄さんのYシャツが欲しくて……」
「なんでまたそんなものを……」
そう聞くと、秋葉はぽつりぽつりと話し出した。
「最近、文通をしているんですけど……」
「はあ」
このインターネットやEメール全盛の時代に文通というのも凄い気がするが、秋葉らしいといえば秋葉らしい気もする。
もっとも、遠野家にはパソコンなんてハイテクかつデジタルなものは置いていないが。
テレビは琥珀さんの部屋に一台あるだけだし、電話機なんて未だに黒電話だし。
「その文通相手の子が……」
「ん?」
「その子の兄さんの……その、Yシャツを寝間着がわりに使ってると聞いて、その……」
それだけ言うと秋葉はうつむいてしまった。
その長い髪に隠れて顔は見れないが、きっと真っ赤になっているだろう。
思わずくすりと笑ってしまったが、秋葉は顔を上げようとはしない。
「まさか『ください』なんて言えないし、屋敷の中から行くと琥珀たちに見つかりそうだったし……」
しゅんとする秋葉を横に見ながら、立ち上がる。
怒られるとでも思ったのかまだうつむいてる秋葉の横を通りすぎると、部屋の反対側に向かう。そして。
「ほら」
まだうつむいてる秋葉の上からYシャツをかけてやる。
「に、兄さん?」
「誕生日おめでとう、秋葉」
「え?」
「なんだよ忘れてたのか? 今日は秋葉の誕生日だろ?」
「え?」
「あ……」
言われて始めて気がついたのか、秋葉が顔を上げた。
「やっと顔見せてくれたな、秋葉」
「兄さん……」
「もう一回。誕生日おめでとう、秋葉。こんな使い古しのYシャツなんかがプレゼントで悪いけどな」
そういうと、さっき渡したYシャツに顔をうずめて首を横にふった。
「いえ、いいえ……」
俺はそんな秋葉の頭を撫でてやる。
「これだけじゃ申し訳ないし、他に何かあれば聞いてやるぞ? あ、あんま高いのは勘弁な」
ちょっとおどけてそう言ってやると、秋葉はYシャツに顔をうずめたまままたぼそぼそと話し始めた。
「じゃあ、もうひとつ……」
「ん?」
次の日の朝。
琥珀は珍しく電話なんぞをしていた。
「はい、はい。そういうわけなので、申し訳ありませんがよろしくお願いします」
ガチャン
「姉さん?」
「翡翠ちゃん、志貴さんと秋葉さまは?」
「お部屋に」
「じゃあ、私たちも今日一日はゆっくり休ませてもらいましょうか」
「はい」
そして志貴の部屋。
「秋葉、もう少し離れないか?」
「ダメです」
「でも……」
「今日一日はわたしの抱き枕になってくれるって約束じゃ無いですか」
そう、秋葉の『もうひとつ』は『一日抱き枕になっていてください』だった。
「でもさぁ……」
「ダメです」
「でも、そんな格好でしがみつかれるとこう、変な気分になるというか……」
「兄さんのYシャツを寝間着にして、兄さんを抱き枕にして寝るんです。昨日の夜は全然眠れなかったんですから」
「いや、それは秋葉のせいじゃないかと思うんだけど……」
「いいから黙っていてください。今日一日兄さんは私の抱き枕なんですから」
「でもさぁ……」
「兄さんもいっしょに寝てしまえばいいんですよ」
そう言ってまた抱きついて目をつぶる秋葉。
さっきの言葉は嘘では無いらしく、やがてすやすやと寝息を立て始めた。
「まあ、いいか」
そうつぶやいて、眠る秋葉の髪をゆっくりとなでる。
「誕生日おめでとう、秋葉」
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