「しかし、いつ来ても殺風景なところだな……」
志貴は、広大な城の中でひとりごちた。
そう。ここはアルクェイドの固有結界、千年城ブリュンスタッド。
しかしここは実際にどこかに存在する千年城ではなく、アルクェイドの夢の中に存在する千年城ブリュンスタッド。
従ってその風景はアルクェイドの記憶をもとに構成され、アルクェイドと深く関るものでなくてはこの場には存在できない。
例えば遠野志貴。
アルクェイドを「殺した」人間であり、アルクェイドが最も愛する存在。
例えばミハイル=ロア=バルダムヨォン。
アルクェイドに自らの血を与えて狂わせた死徒であり、アルクェイドが最も憎む存在。
そしてー
「久しいな、人間」
朱い月のブリュンスタッド。
アルクェイドの力の根元であり、アルクェイドに最も近い存在。
「いや、確かに久しぶりだけど−」
「なんだ、お主は私に会うためにここに来たのだとばかり思っていたが」
「いや、確かにその通りなんだけど−」
「なにか申したいことがあるなら申せ。そのような態度をとられると、私もいささか不快だ」
「じゃあ、一つ聞かせてもらっていいか?」
「うむ」
「なんでお前はー」
そう。
「なんでお前は、そんな格好なんだ」
そう。
そこにいた朱い月は、Yシャツ一枚だった。
「気にいらぬか?」
志貴の問いにそう返しながら、朱い月は自分の衣装を見つめ直す。
裸の上にYシャツ一枚、すなわち裸Yシャツ。
Yシャツの前のボタンこそしっかりと閉められているものの、下には何も履いていない。下着がどうかは見えないのでさだかではないが、素足。
まさに雪のように白いその足が眩しいことこの上なし。
「いや、だからなんでそんな格好を」
「客をもてなすのは城主として当然の務めだと思うのだが?」
「まあ、そりゃそうかもしれないけど」
「この城に来る客と言えば、そなたぐらいしかおらぬからな。本来ならば晩餐でも共にしたいところではあるが、ここには使用人もおらぬのでな」
言いながら朱い月は歩み寄ってくる。
「せめて服装だけでも客人の好みに合わせるか、と思ったのだが。 気に食わぬか?」
そう言って微笑んだその顔は、いつも見慣れているアルクェイドの笑顔とは違った。
アルクェイドの笑顔は、自分の喜びを他人に伝えようとする子供の笑み。
それに対して朱い月のそれは、男を誘う女性の笑みだった。
まあ、なんというか。
アルクェイドと同じ顔を持つ朱い月は凄く美人なわけで。
そんな女性に挑発的に微笑まれたりしたら、困る。
「いや、気に食わないってことはないんだが」
「こういう衣装が好きなのではなかったのか?」
「っていうか、何でお前が?」
「この城ではすることもないのでな、戯れにアレの記憶を覗くこともある」
「えーと」
「そなたはアレの部屋で、この姿を見て大層狼狽していたようだったが?」
「いや、あの、その」
「そう、思い出したぞ。 特に脚を見ていたな」
慌てふためく志貴を前に、妖艶に笑ってYシャツの裾を少し持ち上げる。
ごくり。
もはや見慣れたと言っても過言ではないアルクェイドの肌だと言うのに、仕種ひとつで印象ががらりと変わってくる。
頭の中では目をそらそうと思っているのに、ぴくりとも動かない体。
魅入られた。
そう、今ならアルクェイドの美しさに魅せられ、死徒へと堕ちたロアの気持ちが良く分かる。
「ここには私とそなたしかおらぬのだ。 何も気に病む必要はない」
「いや、そんなお前急に何を」
「ほんの戯れだ」
「いや、戯れってお前」
「私も女なのだ。 恥をかかせるものではないぞ?」
くすり、と。
また男を誘うような、挑発的な笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
「いや、そんなこと急に言われても」
「これは夢の中の出来事なのだ。 ここで何をしようと、それは朝には露と消える夢の中の出来事でしかないのだよ」
「それはそうかもしれないけどー」
どん。
にじり寄る朱い月との距離を保つように後ずさっていたのだが、とうとう壁際まで来てしまった。
この場をどう打開するか、突然の出来事に混乱する頭の中を必死に整理していると、やがて朱い月はすぐ目の前にたどりつく。
「現世では、決して味わえぬほどの快楽をそなたに与えようー」
目の前にいた朱い月がしどけなく俺に抱き付き、耳元でそんな言葉を甘くささやかれた時。
俺の理性は、彼方へと追いやられた。
「いつもアレを可愛がってくれているからな。 今日はその礼をさせてもらおう」
そう言って朱い月は、自らの唇の周りをぺろりと嘗め回す。
下品な印象を受けるはずのそんな行為も、朱い月がするととても美しく、蟲惑的に感じる。
Yシャツのボタンを一つ一つ、まるで焦らすように外しながら志貴の横たわるベッドに上がってくる。
豪奢なベッドは二人分の重みに負けてわずかに沈み、まるで布団に体が飲みこまれたような、そんな錯覚を覚える。
「……ベッド?」
そう。さっきまで志貴と朱い月は石造りの、殺風景なホールに居たはずだ。
そこには何の調度品も、ましてや天蓋つきのベッドなんてどこにも無かった。
それどころか周囲を見回すと、そこはさまざまな調度品が飾られた寝室だった。
「空想具現化だ。お主もアレが行使するのを見ていただろう?」
「いやお前、そんな能力をこんなことに」
「それとも寝所ではなく、さきほどの場所でそのままのほうが好みだったか?」
そんな問いに答えの言葉を発することができずにいると、その間にも朱い月は志貴の来ていたシャツのボタンをひとつずつ外していき、やがて完全に外してしまう。
「この傷のおかげで、私はそなたと出会えたのだなー」
そう言って、八年前に四季につけられた傷痕、遠野志貴に直死の魔眼を与えるきっかけとなった傷をまじまじと見つめている。
「いや、出会ったのはお前じゃなくてー」
アルクェイドだろう。
そんなことを言おうとしたが、言葉を発することができなかった。
ぞくりと、まさにさっき言われた通りに今まで味わったことの無い、現世では味わうことなどできないのではないかと思えるほどの刺激が志貴の体を走り抜けたのだ。
言葉を発することすらできずに傷の方に目をむけると、朱い月が−真祖の祖である高貴な姫君が胸の傷痕を舐めていた。
まるで何か、淫らなケモノのように。
「あまり喋るな。 今日はそなたは黙って寝ていれば良いのだ。 全てを私に任せるといい」
そう言うとまた胸元に顔を埋め、傷痕をゆっくりと舐める。
ただぴちゃ、ぴちゃと唾液が鳴らす音を聴きながら、まるで何か別な生物のように這い回る朱い月の舌を見つめることしかできなかった。
そのまま朱い月の舌は胸をくまなく這い回り、やがて首筋を経て顔の方へと上がってくる。
「どうした? まだこれからだぞ?」
あまりの快楽に声を発することもできずにいる俺を見て朱い月が笑い、体の上にゆっくりと覆い被さってくる。
いつのまにかそのボタンをすべて外し、前が開かれたシャツの中に隠されていた朱い月の体が直に押しつけられる。
「そう。夜はこれからだ」
朱い月の豊かな双丘と、その先端の突起を自分の胸に直に感じていると甘い声でそう囁きかけてくる。
「お前―」
「アルクェイドだ」
「え?」
「アルクェイドだ。 このような時は名前で呼び合うものだろう?」
「ああ、わかったよアルクェイド」
「そうだ、志貴―」
互いの名を始めて呼び合い、二人は見つめ合った。
そして何も言わずに朱い月―いや、アルクェイドを自分の腕で優しく、そして力強く抱きしめる。
「んんっ」
初めて喘ぎ声を上げさせたことにちょっとした優越感を覚えつつ、催促するようにその両腕にまた力を込める。
「仕様の無い」
まるで駄々をこねる子供に対するようにそう微笑み、アルクェイドの顔がゆっくりと近づいてくる。
そして、その美しい黄金色の瞳をみつめたまま、唇を交わし
ドガァァァッッ!!!
突如、寝室の壁面が弾け飛んだ。
「なにしてるのよ貴方はっ!!!」
「無粋ことを聞くものではないぞ」
崩れた壁の向こうから現れたものに対して平然とそう答えると、朱い月はそれを遮るかのようにくちづけてきた。
「ああーっっ!!」
なんだか抗議の声があがるが、そんなことを気にかけている余裕はなかった。
朱い月の舌が口の中に入ってきて、俺の口の中を舐り尽くす。
その舌が口の中を這うたびに、さっきまでとはまるで比べ物にはならない、まるで神経に直接快楽を流し込むかのような刺激が走りぬける。
「離れなさいっ!!」
「そうは言ってもな。この人間もそんなことは望んでいないようだぞ」
朱い月はそう言うと、その美しい指先を下へと伸ばしてくる。
「っーーーーー」
その白い指がズボンの上から俺自身を軽くなぞっただけで、弾けそうになる。
耐えられない。
物足りない。
直に触れて、直に撫でて、俺に快楽を与えて欲しい。
「離れなさいって言ってるでしょっ!」
そんな叫び声が上がったかと思うと、体が宙に待った。
いや、実際に空を飛んだわけじゃなく、誰かに腕をつかまれ、ベッドの中から引きずり出された。
「あっ」
心地よく柔らかい布団と、暖かき甘い香りのする朱い月の体から引き剥がされて反射的にそんな声をあげると、顔を両手につかまれて引きずり上げられた。
そしてそのまま目の前に立たされる。
「大丈夫? 志貴」
「アル……クェイド?」
そう。そこにいたのは俺が良く知るアルクェイドだった。
「お前、玉座の間に封じられてたんじゃあ」
「あれ? 引きちぎっちゃった」
そうこともなげに言うアルクェイドを見てみると、確かにアルクェイドの手足にはまだ太い鎖が巻きついていて、少し動くたびにジャラジャラと音を鳴らしている。
っていうか、そんな簡単に破れるもんなのか、あの封印。
「あのままじっとしてると、志貴が大変なことになりそうだったしね」
それだけ言うと、また朱い月のほうに向き直る。
「第一、なんのつもりよあなたはっ!!!」
「司祭が言っていた。 この身は『朱い月の具現ではなく、アルクェイド=ブリュンスタッドの側面に過ぎない』と」
「だからなによ」
アルクェイドの怒りの声などまるで気にもしてないかのように、平然と返答する朱い月。
それに対して俺をぎゅっと抱きしめ、ふくれながら言うアルク。
ぎゅっと抱きしめられるとなんだかアルクの胸の感触が気持ちいいけれど、なんだかそんなこと考えてる場合じゃなさげ。
言うならば一触即発。
「よって私の感性はおぬしに近い。 考え方は違っても、好き、嫌いといったものの感じ方に関しては同じと言っても過言ではない」
「ひょっとして」
「そういうことだ」
そして、緊張の糸はぷつりと切れる。
「私は、その人間―遠野志貴に好意を抱いている」
瞬間、アルクェイドと朱い月の瞳が黄金色に光り輝き、周囲の空間がざわめき、動き始める。
二人の間で炎が渦巻き、カマイタチが乱れ飛び、水分は氷結し、地は割れ、天が裂ける。
「志貴はわたしのものよっ!」
「私はそなたの側面だと言ったであろう」
「だから?」
「そなたのものは私のものだ」
「そんなのダメに決まってるでしょうがっ!」
ああ、二人とも。
言い争うのはいいけど、もちっと周りのことに気を使ってくれー
俺は、二つの空想具現化の真っ只中で、体がバラバラになるのを感じながらそんなことを考えていたー
Repeat Again−
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