ぽん。ぽぽぽぽぽぽぽん。ぽん。ぽぽぽぽぽぽぽん。
ぴひゃ〜〜〜〜〜〜〜。
志貴が目覚めると、そんな音楽が聞こえてきた。
よく正月番組とかで流れるあれである。
普段とは幾分違ったシチュエーションで目覚め、もぞりと起き上がった後に目をこすり、眼鏡をかける。
「明けましておめでとうございます。志貴さま」
「ああ、えーと。おはよう翡翠」
志貴は、半分寝ぼけたような頭で何とかいつも通りの挨拶を返すが、翡翠は珍しく、不満そうに眉をひそめて繰り返す。
「明けましておめでとうございます。志貴さま」
「あー……明けましておめでとう。翡翠」
志貴がそう返すと、満足げな顔をして、また深々とお辞儀をする。
「本年も、よろしくお願いいたします」
「ああ、いや。こちらこそよろしく」
ここが和室だったなら三つ指ついてお辞儀しそうな勢いの翡翠をみて、慌てて志貴もそう返す。
さらに、ベッドの上だったので思わず正座してお辞儀してしまう。
「……志貴さま、志貴さまはわたしの主人なのですから、そんなことなさらないでください」
「あ、ごめん」
困ったような翡翠の声を聞き、慌ててもとの体勢に戻る。
「それでは、下で秋葉さまがお待ちしていますので、お早めにいらっしゃって下さい」
「ああ、はい」
まだ普段の感覚を取り戻せないのか、幾分ギクシャクとしながらそんな反応を返す志貴を見て、翡翠はまた眉をひそめるが、それ以上は何も言わずに一礼して部屋を出ようとする。
「ああ、翡翠」
「はい?」
翡翠が部屋を出ようとしたところで志貴に呼びとめられ、振り返る。
「さっきの、なんと言うかあの音楽は?」
「ああ、これですか?」
志貴が問いかけると、翡翠は出口の脇に置かれた、結構古い型のラジカセを持ち上げ、再生ボタンを押す。
カチッ
ぽん。ぽぽぽぽぽぽぽん。ぽん。ぽぽぽぽぽぽぽん。
ぴひゃ〜〜〜〜〜〜〜。
カチッ
一通り音楽が流れたところで、翡翠の指が停止ボタンを押す。
そして、続けて巻戻しボタン。
シャーーーーーーーーー。
「……それは?」
「いえ、姉さんが『普通の家庭では、お正月と言えばこの音楽が流れてるものなんですよー』と、言っていましたので」
……やっぱりか。
まあ、翡翠や秋葉がこんな事を思いつくとは思わなかったのである意味確信していたが。
「……お気に召しませんでしたか?」
翡翠が不安そうにこちらを見ている。
「いや、そんなことないよ。ありがとう、翡翠」
「それはよかったです。それでは、失礼します」
志貴が慌ててフォローすると、翡翠は安心したようにいつもの挨拶を返して部屋を出る。
ぽん。ぽぽぽぽぽぽぽん。ぽん。ぽぽぽぽぽぽぽん。
ぴひゃ〜〜〜〜〜〜〜。
……再生ボタンを押しながら。
「……さて、それじゃあ起きるか」
時計を見るとまだ朝の8時で、普段の志貴ならもう一眠りするところだが、今朝はさすがに目が覚めてしまったので起きることにした。
さっきの翡翠をみる限りだと、まだ色々ありそうだし。
「みんな、基本的にお祭り好きだからなあ……」
そんな事を呟きながら、普段着に着替えて部屋を出た。
「あ、志貴さん。あけましておめでとうございます」
階段を降りると、玄関ホールに見慣れない女性がいた。
トレーナーにジーンズ。足元を見るとスニーカー。
その赤毛の女性が向日葵のような笑顔を浮かべて、親しげに話しかけてくる。
「どうしたんですか?正月の朝からボーッとしちゃって」
「あー、えーっと」
「体調が悪いなら、お薬にしましょうか?」
「ごめんなさい琥珀さん。今日は至って健康です」
両手に注射器を構えたところで琥珀だと気づいた。
即座に謝っておく。
「ちぇ」
「えーと。それで、琥珀さんはどうしてそういう格好なんですか?」
「え?似合いませんか?」
「いや、そんな事はないですけど、普段見慣れないと言うかなんと言うか」
そう。琥珀は普段から割烹着を着ている。
それは、料理の時だろうと、庭の手入れをしている時だろうと、外出して買い物している時だろうと、志貴に怪しげな薬を注射しようとしている時だろうと変わらない。
一度、その上に黒いローブを着込んでいた時があった気もするが、まあそれは気のせいと言うことで。
「まあ、確かに普段はこんな服着ませんからねー」
そう言って、くるりと回る。
普段は黒を基調とした割烹着を着込んでいるため、琥珀の服装は結構「重い」イメージがあった。
それだけに、今の明るい色のトレーナーとストレートのジーンズ、そしてスニーカーと言う姿はとても新鮮であった。
志貴が少しの間ぼーっと見とれていると、琥珀はいつもの楽しそうな笑みを浮かべて続ける。
「まあ、今日は事情がありまして」
「事情?」
「ええ。まあ、とりあえずは居間のほうへどうぞ。秋葉さまももう少しで準備ができると思いますから」
「準備?」
「いいですから。まあまあまあまあまあ」
「ちょ、ちょっと琥珀さん?」
服装が変わったせいか、いつもよりほんの少し強引な感じがする琥珀に押されるようにして、志貴は居間のほうへ向かった。
「それでは、どうぞー」
琥珀が、まるでショーか何かの司会のようにそう言いながら、居間の扉を開いた。
そこは……
和室だった。
志貴の記憶によると、居間は洋間だったはずだ。
豪奢な絨毯と、テーブル、ソファー、それに暖炉。
朝夕、秋葉や翡翠、琥珀たちと会話を楽しんだその部屋は確かに洋間だったはずだ。
ぽん。ぽぽぽぽぽぽぽん。ぽん。ぽぽぽぽぽぽぽん。
ぴひゃ〜〜〜〜〜〜〜。
翡翠のラジカセから流れる気の抜けた曲を聞いて気を取り直し、再度周りを見渡す。
20畳ちかくはありそうな部屋の中に畳が敷かれ、真ん中にはコタツが有って、部屋の隅にはテレビも置いてある。コタツの上には、丁寧にミカンまで置いてある。
部屋の向こう側には何やら急ごしらえの壁が作られ、襖まである。
しかし、天井を見上げてみるといつも通りの照明が吊ってあるし、壁には暖炉があるし、畳も部屋中に敷き詰められているわけではなく、隅のほうはいつも通りの床が見えていて、靴のまま移動できるようにはなっている。
……どうやら、居間に畳を敷き、コタツを置いて強引に和室を作り上げたようだ。
「志貴さま、秋葉さまはまだいらっしゃらないようですので、そちらでお待ち下さい」
「ああ、はい」
翡翠に促され、言われるままにコタツのほうに向かう。畳の側まで行くとスリッパを脱ぎ、久しぶりに畳の感触を味わう。
「そういや、最近離れにも行ってなかったなあ……」
そんな事を呟きながら中央に位置するコタツのほうに向かい、そのままコタツの中に足を入れる。
「おわっ。掘りコタツ?」
「はい。昨日志貴さまが眠られた後に、業者の方を呼んで大急ぎで作っていただきました」
「はあ」
平然と言う翡翠に生返事を返す。
しかしまあ、なんだかんだ言っても冬のコタツは気持ちがいい。思わず溶けてしまいそうになる。
「うー。これは?」
「はい。姉さんが『普通の家庭ではお正月と言えばコタツなんですよー』と言ってましたので」
「うー。こればっかりは琥珀さんに感謝かなー」
久しぶりのコタツの中で、いつもよりも更にだらけてそう言い、真ん中の籠に入っているミカンの皮をむく。
「それは、姉さんが『普通の家庭ではコタツと言えばミカンなんですよー』と」
「うんー。これも琥珀さんに感謝だー」
翡翠の言葉を最後まで聞かずに、志貴はそう呟いてミカンを口に放り込む。
「志貴さま、まだ朝食前ですが」
慌てて翡翠がそう咎めるが、だらけきった志貴に敵はいない。
「まあまあそう言わず。翡翠もどう?」
そう言って志貴は剥いたミカンを一つ手に持ち、振ってみせる。
それを見た翡翠は、一瞬動揺したものの、すぐにいつもの表情に戻って繰り返す。
「まだ朝食前ですので、あまり食べられないほうがいいと思いますが」
「翡翠といっしょに食べたいんだけどなー」
翡翠の声を聞いて、志貴はさも残念そうにコタツに突っ伏す。
「志貴さま……」
「翡翠にも、『コタツでミカン』を味あわせてあげたかったのになー。あーあ、残念だなー」
困ったような顔をして色々と言おうとする翡翠に言葉を言わせることなく、コタツに突っ伏したまま「残念だなー」攻撃を続ける。
しばらく続けていると、翡翠は観念したように「それでは、失礼します」と呟いて靴を脱ぎ、畳に上がる。
コタツの前まで来ると、志貴は「さあどうぞ」と言いながら自分の左隣の布団を上げる。
翡翠はそれを見て、少し顔を赤らめながらもまた「失礼します」と呟いて、スカートが皺にならないように注意しながらコタツの中に足を入れる。
そして、ミカンのほうに手を伸ばそうと思ったところで、志貴に止められた。
「志貴さま?」
「違うだろ、翡翠。あーん」
いぶかしげに志貴のほうを見た翡翠に対し、まるで悪戯する子供のような笑みを浮かべながら、翡翠にそんな事を言う。
「……っ!」
予想外の出来事に顔を真っ赤にする翡翠。しかし、志貴は全く容赦をしない。
「ほら、あーん」
悪戯っ子のような笑みを浮かべながら、繰り返す。
顔を真っ赤にしてうつむく翡翠を見詰めながら。
しかし、翡翠は顔を真っ赤にしてうつむいたまま動こうとはしない。
すると、志貴は次の攻撃に出た。
「そうだよな。翡翠も僕の手からなんか食べたくないよな」
「……っ!」
寂しそうにそう呟き、そっぽを向いてうな垂れる志貴を見て、翡翠は慌てた。
自分の心無い行動によって主人の心を傷付けたことに。
ってうか、志貴に嫌われたくないし。
「いいよ、翡翠。ごめん。僕が悪かったよ」
「志貴さま……」
翡翠は必死になって、何かフォローしようとは思うのだが、元来口下手なので言葉が上手く出てこない。
そうこうしている間も、志貴は寂しそうに突っ伏してぶつぶつと何か言っている。
それを見た翡翠はしばらく悩んだ後に、
「あぁ……ん……」
顔をこれ以上無いと言うぐらいに真っ赤にして、恥ずかしさに耐えるように目をつぶりながらおずおずと口を開ける。
途端に志貴は元気に跳ね起き、悪戯っ子のような……訂正。実際に悪戯しているので悪戯っ子の笑みを浮かべながら、右手に持ったミカンを翡翠の口のほうに持っていく。
「ほら、あー」
スパァン!
「お待たせしました!秋葉さまご入場でーす!!」
部屋の向こう側にあった襖が勢い良く開き、服のせいか相変わらずいつもよりもハイテンションな琥珀が現われ、続いて秋葉が入ってくる。
志貴と翡翠は「あーん」の体勢のまましばし固まっていたが、秋葉の顔を見ると翡翠は慌ててコタツから出て、靴を履いて部屋の隅に行く。
そして、そこにおいてあったラジカセを手に取る。
ぽん。ぽぽぽぽぽぽぽん。ぽん。ぽぽぽぽぽぽぽん。
ぴひゃ〜〜〜〜〜〜〜。
カチャッ。シャァーーーーーーー。カチ。
例の曲が流れ、停止した後に巻き戻し、テープがトップまで行ったらしいラジカセは自動的に巻き戻しを止め、停止する。
「兄さん、そこで翡翠と何をしていたんですか?」
なんとなく髪の毛が赤っぽく見える秋葉にそう聞かれ、志貴はやっと自分が「あーん」の体勢のまま、右手に剥いたミカンを持った間抜けな格好だったことに気づく。
ぱく。もぐもぐもぐ。
とりあえず、証拠を隠滅してみる。
「秋葉、正月から騒がしいのはどうかと思うぞ?」
とりあえず、交渉してみる。
2分後、2002年初檻髪発動。
「全く。どうして兄さんは少し目を離すとこうなんですか」
まあ、秋葉も一応手加減はしていたらしく、志貴もなんとか九死に一生を得ることができた。
そんなこんなで、志貴に対する折檻(秋葉による檻髪)が終わった後に4人でコタツに入っている。
まあ、先ほどと違って、コタツの上には琥珀特性のおせち料理が並んでいるが。
「そうですよ。秋葉さまの『出』のタイミングを計ってたら、志貴さん、あんなこと始めちゃうんですもの。
その先まで行っちゃったらどうしようかと思っちゃいました」
「琥珀さん!」
「ね、姉さん!」
あははー。と、いつもの笑顔で爆弾発言をする琥珀に対し、志貴と翡翠が真っ赤になって反論する。
それを見て秋葉の顔もちょっぴり赤らんだりするが、それ以上のことは起きなかった。
「まあ、いいです。せっかくのお正月なんですから騒がしくするのは止めにしましょう」
そう言って秋葉はコタツから音も無く抜け出て志貴のとなりまで来て、お屠蘇の入った入れ物を手に持ち、揺らしながら志貴に言う。
「どうですか、兄さん?」
そう言って優しく微笑む秋葉は……奇麗だった。志貴は素直にそう思った。
たしかに秋葉は同年代の女性の平均と比べてみても、胸は小さい。
しかし、それだけに晴れ着が良く似合い、流れるような黒の長髪もあいまって日本人形のようにも見える。
……そう。秋葉は晴れ着だった。おそらく「正月」ということでわざわざ取り寄せたのだろう。
しかも、そう言ったことは何も知らない志貴が見てもかなりいいものであることはわかる。
「さあ、どうぞ」
「あ、ああ」
志貴が何も反応を返さないでいると、秋葉は繰り返しお屠蘇を勧め、志貴も進められるままに杯を出す。
志貴も飲めないわけではないので、くぴくぴと飲み干し、一息つく。
「ぷふぅ〜」
一息ついてみたが、秋葉はかわらずに自分の隣に座り、何かを待つように志貴のほうを見つめている。
「……」
「……」
間が持たない。
「あ、そ、そうだ。秋葉もどうだ?」
苦し紛れにそんな事を言い、秋葉の横においてあったお屠蘇を取る。
少し驚いたような顔をした秋葉だったが、次の瞬間にはまた落ち着いた顔に戻る。
「では、いただきます」
そう言ってまた優しく微笑み、杯を持つ。
志貴は、少しどぎまぎしながら杯に酒をそそぐ。
「本当はいけないんですよね。わたしたち未成年なんですから」
くいっと飲み干した秋葉にそう言われ、普段なら「あんなに飲んどいていまさら未成年もないだろ」とか言うところなのだが、普段と違う秋葉を見て、志貴はただ「ああ、そうだな」と返すのが精一杯だった。
「……」
「……」
いや、間が持たない。
「あ、兄さんももう一杯飲まれますか?」
「あ、ああ。貰おうかな」
沈黙した場を何とかしようと、秋葉がそう言って志貴の横に置かれていたお屠蘇を取る。
志貴も、慌てて杯で受ける。
そして、一息ついた後にまた飲み干す。
「……」
「……」
だから、間が持たないってば。
「え、ええと。秋葉、まだいけるだろ?」
「え、ええ。それじゃあもう一杯」
「志貴さんも秋葉さまも、初々しいですねー」
コタツの反対側では、自分の作ったおせち料理をつまみながら琥珀がそんなことを呟いていた。
「志貴さまはぼくねんじんですから」
珍しく、翡翠がはっきりと志貴を非難する言葉を発した。
「せっかく秋葉さまの晴れ着を目立たせようと思ってお洋服を着たのに、あんまり意味なかったんですかねえ」
「しきさまはぼくねんじんですから」
……翡翠は酔っているのかもしれない。
―1時間後−
「さあ、どうぞ兄さん」
「あ、ああ。秋葉もどうだ?」
……まだ続いていた。
くぴくぴくぴくぴ……
まあ、先ほどと違うことはと言えば、とうとう酔いつぶれたらしい翡翠がソファーで寝息を立てていることと、さすがに志貴と秋葉も酒がまわってきて、顔が赤くなっていることぐらいだろうか。
2人で酒を勧めあい、注ぎあい、飲み合う。
杯に注がれた酒を飲み干し、顔を上げると自分と同じように酒を飲む秋葉がいる。
「あー、秋葉」
「兄さん」
「はい?」
間が持ないので話し掛けようとしたら、秋葉のほうから声をかけてきた。
「何か私に、言うことはありませんか?」
酒のせいか頬を赤くしながら、そんなことを聞いてくる。
「え?」
「ほら、今日はお正月ですし」
予想外の問いかけにとっさに言葉を返せずにいると、よくわからないフォローが入る。
いや、フォローなのかどうかもわからないが。
そんなことを考えている間も、秋葉は頬を赤らめたまま、こっちをじっと見つめてくる。
秋葉がこう言ってくるということは、何か言い忘れていることがあるんだろう。
新年早々から二度も三度も檻髪をくらいたくはないので、考え直してみる。
「ヒントです。今日は何の日でしょう」
ヒントまで貰った。秋葉も焦っているらしい。
今までの経験から言って、余り考え込んでいると命に関わってくる。
『考えろ、考えろ、考えろ!』
酔った頭を必死に働かせる。
頭の中に正月に関するものが次々と浮かぶ。
おせち料理、門松、初詣、獅子舞、羽根突き。
正月番組に親戚周り、それに……。
「ああ」
やっと結論に達した志貴は、コタツから出てすっくと立ち上がる。
「兄さん?」
「ごめん秋葉。ちょっと待っててくれ」
不思議そうに問いかけてくる秋葉にそう言い残し、二階の自分の部屋へと駆け上がっていった。
「いやあ、ごめんごめん。待たせちゃったかな?」
「いえ、そんなにたいした時間じゃありませんでしたし……」
二階から戻ってきた志貴はやけに陽気で、秋葉はそれを見ていぶかしげな顔をしていた。
「さて、と」
志貴はそう言うと、コタツに入らずに畳の上に正座する。
「秋葉」
「は、はいっ!」
正座した志貴に呼びかけられ、秋葉も慌ててコタツから足を出し、正座しなおす。
いつになく慌て、それでも志貴にたいしてみっともないところを見せないでおこうとする秋葉を見て微笑ましく思う。
そして、秋葉が正座するのを待ってから、志貴は秋葉に声をかける。
「今朝から何だかばたばたしてて、言い忘れてたよ。明けましておめでとう。秋葉」
「え、ええ。おめでとうございます」
志貴の挨拶に何だか拍子抜けしたように、秋葉も挨拶を返す。
それを見て、志貴はくすりと笑って言葉を続ける。
「いや、秋葉がせっかく色々と用意してくれたのに、うっかりしてたよ。ごめんな、本当に」
「い、いえ。兄さんが気付いてくだされば、それだけで十分です」
「はっはっは。秋葉も子供だなあ」
「な、なんですか突然! 女性に向かって」
「ごめんごめん。それじゃあ」
そう言って志貴は自分の胸ポケットから小さな封筒を取り出す。
「はい、これ」
「……はい?」
志貴が差し出した封筒を受け取る。
封筒には、筆ペンで「遠野秋葉様」と書いてある。いまさっき慌てて書いたものらしく、インクも乾ききっていない。
志貴を見てみると、ニコニコと笑っている。
秋葉が封筒を開き、中を見ると……紙幣が入っていた。
千円札が2枚で合計二千円。
「はっはっは。秋葉もお年玉が欲しいなんて、まだまだ子供だなあ」
「……」
「あ、額のことは聞かないぞ?普段の小遣いも少ないし、バイトもさせてもらえないからこれが精一杯だ」
「……」
「こう言うこともあるんだから、俺にもバイトさせなきゃダメだぞ」
おどけて、琥珀の得意な「琥珀さん怒っています」のポーズを真似しながら言ってみた。
「……」
「秋葉?」
ふと見てみると、秋葉は志貴からのお年玉を握りしめ、プルプルと震えていた。
「あのー、秋葉……さん?」
「あーあ。ダメですよ志貴さん。秋葉さまは晴れ着のことを誉めてほしかったのに」
秋葉の様子を見て自分が何か過ちを犯したことに気付いて確認しようとした志貴に対して、コタツの反対側から琥珀の声が届く。
「せっかく私も今日は割烹着をやめて秋葉さまをフォローしましたのに。やれやれって感じですね」
「あ。秋葉。うん。綺麗だよ、本当に」
「ダメですよ志貴さん。覆水盆に帰らずです。秋葉様のフラグは立てられませんでした」
「いや琥珀さん、フラグって」
「志貴さまはぼくねんじんですからー」
「翡翠もどさくさにまぎれて凄いこといわないっ!」
コタツの向こう側に叫んでいると、秋葉がゆらり、と立ち上がる。
まだ髪の毛は黒い。逃げるならば今しかない。志貴はそう判断し、立ちあが
「兄さん」
「は、はいっ!」
立ち上がろうとしたところで秋葉に声をかけられて正座しなおした。
「兄さんの言いたいことはよくわかりました」
「い、いや。秋葉の晴れ着は本当に似合ってるし、本当に綺麗だったぞ?」
「いいえ。今さらフォローしていただかなくても結構です」
髪は未だに黒いままだが、志貴の前ですっくと立ち上がり、見下ろしてくる秋葉にはかなりの威圧感があった。
「兄さん……」
「い、いや。話し合いってのは大切だと」
「問答無用です。琥珀っ!!」
「はい、秋葉さま」
秋葉に呼ばれると、さっきまでコタツの向こう側で和んでいたはずの琥珀が瞬時に秋葉の後ろに控える。
「いや秋葉、ちょっと」
「Yシャツを用意しなさい」
「はい。かしこまりました」
「いや、だから地下室……え?」
「お待たせしました。Yシャツです」
「ごくろうさま」
「いやあの、ちょっと?」
てっきり、いつものように紐を引かれて地下室送りだとばかり思っていた志貴が少しの間唖然としていると、琥珀がめまぐるしく動いて秋葉にYシャツを渡す。
「いいんです兄さん。兄さんの言いたいことはよくわかりました」
「あの、秋葉さん?」
「正月なので普段とは違う魅力で兄さんを誘惑し、あわよくば既成事実と思いましたが、どうやら間違いだったようです」
「いや、それは確かに間違いだと思うけど」
「やはり、兄さんを誘惑するには裸Yシャツで生足ですね」
「ちょっと待てえっ!!」
「大丈夫です。痛くしたりはしませんから」
そう言ったと思うかと秋葉の髪が一瞬紅く染まり、今まで来ていた晴れ着が瞬時に消えてなくなる。自分の晴れ着を「略奪」したのだろう。
「ちょ、ちょっと琥珀さん!秋葉で遊ばないで、そろそろ」
なんだか涎をすすりそうな感じでにじり寄ってくる秋葉を何とかしようと、琥珀に助けを
「さあ翡翠ちゃん。翡翠ちゃんも早く着替えて交ざらないと」
「ってもう着替え終わってるしっ!!」
しかも、翡翠の着替えを手伝う余裕っぷり。
「さあ兄さん、観念してください」
「あ、秋葉。琥珀さんは止めなくていいのかっ!?」
せめて自分に振りかぶる危険を減らそうと、秋葉にそう呼びかける。
「……まあ、お正月ですから特別によしとします」
「さすが秋葉さま、気前がいいですねー」
「志貴さま、ふつつかものですが」
「ちょっと待てぇー!!!!」
ぽん。ぽぽぽぽぽぽぽん。ぽん。ぽぽぽぽぽぽぽん。
ぴひゃ〜〜〜〜〜〜〜。
新年の遠野家に、志貴の絶叫が響き渡った。
「……ぐわー……」
次に志貴が目覚めたのは、夕方だった。
むくりと起き上がって周りを見回してみると、畳の上には秋葉と翡翠と琥珀が倒れていた。
いくら暖房が効いてるとはいっても、3人ともYシャツしか着ていないので寒そうに見える。
「兄さん……」
「志貴さん……」
「しきさまはぼくねんじんです……」
「はいはい」
3人の寝言を聞き、苦笑いを浮かべつつも毛布を持ってきて、それぞれにかける。
そして、志貴はまたコタツにもどる。
「みんな、今年もよろしくな」
志貴はミカンを食べながら、本当に幸せそうに、そうつぶやいた。
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