嘘物語


 ある日、道端で千石と出会った。
 いや別にそれが珍しいとか特別とかいうことはない。確かにあまりないシチュエーションかもしれないけど、同じ町内に住んでいるのだ。偶然出会うことだってある。
 向こうもこっちに気づいたようだけど、驚いたような表情を見せた後うつむいてしまった。
 まあ、千石が恥ずかしがり屋なのはよく知っている。そういうことなら、ここは年上の 僕が率先して声をかけるべきだろう。
「やあ、千ご――」
「暦お兄ちゃん!」
 言葉を遮られた。機先を制されたと言うべきかもしれない。
 しかし、千石がこんなに大きな声を出すというのは珍しい。さっきも言ったが、千石が重度と言っても過言じゃない恥ずかしがり屋なことは周知の事実であり、それを抜きにしても物静かなタイプだ。そんな千石がこんなに大きな声を出すのはめったにないんじゃないかと思う。
 そしてそんな僕の考えは正解だったらしく、千石自身が自分の大きな声に驚きつつもなんとか気を取り直して言葉を続ける。今度はいつも通りのボリュームで。
「撫子ね」
「え? あ、ああ。どうした?」
「撫子、暦お兄ちゃんがどんな趣味でも大丈夫だから――ッ!」
 そう言い放つと猛ダッシュで走り去っていった。いつぞやの羽川から逃げる時みたいに、達急動もかくやと言う速度で。
 ちなみに今の状況を客観的に見ると、男子高校生と女子中学生が道端で出会ったと思ったら女子中学生がなんだか衝撃発言をしてから走って逃げたことになる。実に周囲の視線が痛すぎだった。



「と、いうことがあったんだが」
「本当に阿良々木先輩は町を歩くと美少女に出会うのだな。うらやましい限りだぞ」
「……お前、人の話聞いてたか?」
「何を言うのだ。この私が他ならぬ阿良々木先輩の言葉を聞き流すなんてことがあるわけないではないか!」
「それじゃあ神原。改めて聞くけど、何か知らないか?」
「ふむ。残念ながら私も高校二年生だし、グラマラスとはいえないにせよそれなりに肉付きはいい方だ。残念ながら阿良々木先輩のあばら欲を満たすには適さないかもしれないが――」
「何の話をしている」
「阿良々木先輩の性癖をどこまで許容できるかということではないのか?」
「違うよ! っていうか『あばら欲』ってなんだよ!」
「おお、見てくれ阿良々木先輩! こう大きくのびをすれば私のあばらもなかなか」
「いいからお前は服を着ろ!」
 相談相手を間違えたことは明白だった。
 千石と別れた――という表現が正しいのかどうかはわからないが、とにかくあの後僕は神原の家へと向かった。そもそも今日外出した目的は半月に一度の神原ルーム大掃除だったので、当初の予定通りの行動である。
 そしてこれまた予定通り神原の部屋を掃除して、小一時間ほどかけて一段落したところで世間話の一部として切り出したのだが、結果神原はいつも通りだった。ある意味これも予定通りと言うことかもしれないが。
「で、なにか詳しいことを知らないか?」
「あばらじゃなく眼球舐めの話か」
「違うわ! というか、何故お前がそれを知っている!」
「前にも言ったとおり、私は阿良々木先輩のエロ奴隷であることを自負しているからな。眼球洗浄だって済ませているぞ!」
「……とにかく、今はその話じゃない」
「後ならいいのか?」
「いいから置いとけ! 話を戻すぞ。とにかく千石の様子がおかしかったんだが、何か知らないかと」
「何故それを私に聞く?」
「俺の周りで少なからず千石と交流があるのと言えば、お前ぐらいだろう」
「ふむ、確かに千石ちゃんは人見知りっ娘だからな。阿良々木先輩の友達が極端に少ないという現実を抜きにしても納得がいく」
「そのネタは最近突っ込むのめんどくさくなってきたからスルーするぞ。とにかく、何か知らないか? お前だったら女子中学生の間に広がってる噂とかも耳に挟むだろう」
「阿良々木先輩に信頼され期待されるというのは光栄の極みだが、申し訳ないことに見当がつかないな」
「そうか……」
 うらやましいことに下級生どころか女子中学生にまで自分のファンを持ち、『神原スール』などというふざけた名前の非公式ファンクラブまであるらしい神原ならばと期待して聞いてみたが、当てが外れてしまったようだ。
「しかし先ほど聞いた話で考えてみると、誰かが阿良々木先輩には千石ちゃんが引いてしまうほどの異常性癖があると吹き込んだか、もしくはそう言う噂が流れているということだな」
「そういうことだな」
 全く持って許し難い。悪質なデマを、しかも女子中学生に流布するなど万死じゃ足りない。
「阿良々木先輩の部屋で下半身ブルマで上半身は手ブラしたり、誰もいない深夜の神社で スクール水着を着て阿良々木先輩の前で悶えていた千石ちゃんが」
「わざわざ人聞きの悪い繰り返し方をするな。と言うか両方お前の差し金だろう」
 確かに部屋に招き入れたのは僕だし、あの神社を指定したのは忍野だったけど、千石が着ていた衣装に関しては完全に神原の趣味であり私物だった。
「しかし思ったのだが、女子中学生の間に流れる噂を聞きたいと言うことだったら、私なんかよりも適した娘がいるではないか」
「……まあ、確かに」
 勿論、それには気づいていたのだが。しかし『僕に変な性癖があるとか言う噂を聞いたことあるか?』とか聞きづらいにもほどがある。
「しかし、手段を選んでいる場合ではないと思うのだが」
「……そうだな。掃除が中途半端で悪いけど」
「もとより、阿良々木先輩の好意でやっていただいていることだ。私だって子供ではないのだから、自室の掃除を引き継ぐことぐらい造作もない」
「いや、それは無理に続けてくれなくてもいいんだけど」
 むしろ神原がそんなことしたら逆効果だと思うし。とはいってもせっかくの後輩からの好意だ、後日また掃除をやり直しに来るとして、今日のところは甘えさせて貰おう。
「それじゃあ」
「うむ。妹さんたちによろしく」
 そんなわけで、僕は帰宅することにしたのであった。



「ただいまー」
「お、兄ちゃん。お帰りー」
 家に帰ってきたら、ちょうど玄関に火憐ちゃんがいた。相も変わらず無駄にトレーニングでもしてきたのか、ジャージ姿はいつも通りだけどスポーツタオルで汗を拭いていた。
「ちょうどよかった。火憐ちゃん、ちょっといいか?」
「お、なんだよ。兄ちゃんがあたしに相談とか珍しいな」
「相談って言うほどでもないんだけどな、ちょっと一つ聞きたいことがあるんだ」
「うん、まかせとけって。他ならぬ兄ちゃんの頼みだ、あたしが知ってることなら包み隠さず答えてやるぜ」
 そう言って火憐ちゃんは自分の胸を力強く叩いた。
 僕の妹、阿良々木火憐と阿良々木月火は『栂の木二中のファイヤーシスターズ』などと恥ずかしい通り名で呼ばれているし自称もしているが、それは裏返せばそんな通り名が知れ渡るぐらいの有名人だと言うことだ。そして主に僕に迷惑をかけつつ正義の味方をしているので様々な情報が集まるらしい。
 だからこそ貝木の『おまじない』に関する事件に巻き込まれたりもしたわけだが、今回に限って言えばその情報収集能力は頼りになるだろう。
 神原にも言ったとおり妹に聞くには気の引ける内容ではあるが、背に腹はかえられない。
「火憐ちゃん、僕に関する妙な噂とか――」
 僕の言葉が終わるのを待たずにダッシュで逃げだそうとした火憐ちゃんを即捕縛した。
「離せ兄ちゃん!」
「よし、その前にどうして逃げだそうとしたのか説明して貰おうか」
「もう、なに玄関でドタバタ――」
「そこ、逃げるな」
 そして玄関先での騒ぎを聞きつけて顔を出したけど、その光景で何かを察したのか部屋に戻ろうとした月火ちゃんを呼び止める。
「何のことかな? 私はお兄ちゃんと火憐ちゃんのスキンシップの邪魔をしちゃいけないと」
「とりあえず、そこに正座。火憐ちゃんもな」
「えー」
「正義の味方が逃げる気か?」
「そこを突かれちゃしょうがないな。観念しようぜ、月火ちゃん」
「火憐ちゃん、観念するの早すぎ!」



 廊下に妹二人を正座させて詰問すること数分。結論から言うと犯人は妹コンビだった。
「ごめんよ兄ちゃん」
「ごめんなさい、お兄ちゃん」
「で、なんでそんな真似したんだ?」
 確かにやったことは許しがたいし許す気もないが、原因は聞かねばなるまい。
 二人とも言いづらそうにしていたが、観念したのか月火ちゃんが口を開いた。
「お兄ちゃんって、私たちのお兄ちゃんじゃない?」
「ん? うん。って、どういう意味だ?」
「別な言い方をすると、お兄ちゃんって『ファイヤーシスターズの兄』じゃない」
「まあ、そうだな」
 あまり嬉しくないというか心底やめて欲しい呼び名だが、それが事実なのは間違いない。
「で、お兄ちゃんって神原さんが尊敬してるみたいじゃない」
「それも、そうだな」
 いまだに理由はわからないけど、神原は僕のことを尊敬というか神聖視すらしている節がある。そのくせエロイことは要求するしろくなことは言わないが。
「さらに言うと、お兄ちゃんの周りには戦場ヶ原さんとか羽川さんとかいるじゃない」
「ああ」
 戦場ヶ原は僕の恋人だし、羽川は大切な友達だし。
「つまりまとめると、お兄ちゃんは『中学生の間でヒーローみたいに扱われてる姉妹の兄で、地元のスターで人気者の元バスケ選手に尊敬されてて、美人をはべらせてる高校生』っていう、ライトノベルの主人公みたいな立場なの」
「いや、確かにそれは事実だけど……」
 色んな意味で否定は出来ないけど、改めて指摘されても困るというか。
「で、それと僕の変な噂を流すことに何の関係がある」
 そう、ごまかされてはいけない。僕が聞きたいのはその一点なのだ。
 よほど言いにくいのか月火ちゃんは口ごもってしまったが、その代わりとでもいうかのように火憐ちゃんが口を開いた。
「つまり、兄ちゃんが女子中学生の間で人気者になりつつあったんだ」
「……で?」
「軽くジェラっちゃって、つい」
 拳骨を振り下ろした。
 間違ってもおともだちパンチなどではない、親指を握りこんだ全力のパンチだった。
「ごめんよ兄ちゃん」
「ごめんなさい、お兄ちゃん」
 そして僕の全力パンチなど意にも介さず平然と謝る妹二人。
 火憐ちゃんのみならず月火ちゃんまで土下座による恫喝外交を身につけていた。
 全力で殴っておいて言うのもなんだけど、ここまでされるとこれ以上強く怒るわけにもいかない。
「とりあえず、自分たちが流したデマを責任持って処理してこい」
「おう!」
「はい」
 まあ、こんなもんだろう。二人とも反省しているのは嘘じゃないだろうし、広がった噂が完全に消えることはなくても収まっていくだろう。あとは『人の噂も七十五日』という言葉が本当だと信じることにしよう。七十五日はちょっと長すぎるけど。
 千石にはタイミング見計らって自分で誤解を解くべきかなあ、とか思いながら一つ気になったことがあったので聞いてみた。
「ちなみに、今回の発案ってやっぱり月火ちゃんなのか?」
「ううん、違うよ」
「え? じゃあ火憐ちゃん?」
 この手のことを考えるのは――というか基本的に考えるのは月火ちゃんの役目で、火憐ちゃんは暴れるだけだと思ったんだけど。こういう小細工を火憐ちゃんが思いつくようになったというのは、喜ぶべきことなんだろうか。
 予想外の月火ちゃんからの答えにそんなことを考えていると、火憐ちゃんも口を開いた。
「ううん、あたしでもないよ」
「え?」
「戦場ヶ原さん」




 十分後、電話で呼び出した戦場ヶ原は僕の問いに素直に答えた。
「彼氏が女子中学生にモテモテみたいで、軽くジェラったのよ」
 どうやらうちの妹に悪影響を与えるのは神原だけじゃなかったらしい。
「お前、前に『自分の彼氏がモテモテというのは彼女として最高の気分なのよ』とか言ってなかったか?」
「阿良々木くん」
「な、なんだよ」
 僕の軽口を聞いた戦場ヶ原は、思いの外真剣な表情で僕の方を見つめるとその口を開いた。
「『それはそれ、これはこれ』よ」




 十分後、電話で羽川を呼んでお説教して貰った。
「もうちょっとやりようがあるでしょう?」
「……羽川?」





後書きとおぼしきもの


 神原の話にする予定だったのに案の定落ちはファイヤーシスターズからのガハラさん&バサ姉コンビでした。いつも通りです。
 

2011.03.12  右近