朝、目覚めて最初に聞こえた音は扉をどんどん叩く音だった。
『タケルちゃん、開けろ。開―けーろー!』
ついでに純夏の叫び声も聞こえた。
勿論外で叫んでいるので音量自体は大したことないが、逆にここまで届くような声を出すあたりさすが純夏というところか。
近所迷惑なのでやめて欲しいと思うのだがあいつはバカなのでそんなことは思いもしまい。
全く五月蝿い。俺はもっと寝たいんだ、俺に静寂をくれ。
俺はそんなことを思いながら布団の中に潜り込む。
うむ、さすがに頭まですっぽりと布団にもぐると純夏の声も聞こえない。
全く、今日ぐらいはゆっくりと眠らせて欲しい。
昨日は冥夜と悠陽さんと霞とまあ一気に三人も転校してくるわ、何故か俺の両隣が大人気だわ、夕呼先生がまたわけわからんこと言い出して料理対決だかをすることになったやらで一日が終わるころにはさすがの俺もへとへとになったのだ。その後家に帰ってきてバルジャーノンをほんのちょっぴりやりすぎた気もするが、それとこの眠さはきっと関係ない。うん、関係ない。
ピポピポピポピポピポピポピンポーン
いくらノックしても返事がないので、チャイム連打に作戦を切り替えたらしい。
しかし俺に起きるつもりはない。
ちなみにさっき言った料理対決は結局あーだこーだと話し合った結果二人一組のタッグ戦になった。
ちなみに組み合わせは純夏・霞組、冥夜・悠陽組、たま・美琴組、彩峰・委員長組。
タッグパートナーを決める時にもそりゃあもうすったもんだと言うか問題になったのはまあ彩峰・委員長組だったのだが。
タッグ戦と聞いた時は転校生であり双子の姉妹とかがいない霞があぶれるんじゃないかと思ったんだけど、なんか思いのほか自然に純夏と組んでたな。何か思い通じる部分でもあったんだろうか。
……よりにもよって純夏とか。霞、哀れなやつ。
未だに鳴り響くチャイムの音から耳を逸らし、そんなことを考えつつ今週末に思いを馳せる。
霞はどうかしらんが、なんだかんだ言って純夏も一応料理は出来るはずだし、御剣姉妹は『御剣の力を思い知るがいい』とか宣言していたから、スゲェ料理が出てきそうだ。読めないのはたま・美琴組と彩峰・委員長組。アイツ等が料理できるかどうかなんかしらないしなあ……。
今週末に勝負をする事になったらしく、楽しみなような不安なような。
ピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピンポーン。
純夏のチャイム連打は某名人真っ青の十六連射になった。
うるさい。まったくもってうるさい。
俺はより一層の静寂を求めて布団の中により深く潜り込み――
ふにょ。
「ふにょ?」
なんだかえもいわれぬ感覚に襲われた。
なんだろう。
俺はあのバカ(純夏)のチャイムの音が聞こえないように頭から布団に潜り込み、そのまま丸まるように布団の中に進んで行ったのだが――
ふにょ、ふにょ。
顔面になんともいえないやわらかい弾力のあるよくわからない物が押し付けられている。
ふにょふにょふにょ。
感触の原因を確かめようと顔を左右に振れば振ったと同じだけ、心地よい感触が帰ってくる。
「武様、お早うございます」
そして頭上から声をかけられた。
……声?
声のした方を見上げてみるが、何も見えない。そりゃそうだ、布団にもぐってるんだから何も見えるわけがない。
「武様にそうしていただけるのは非常に嬉しいのですが、もうすこし力を抜いていただけると助かります。多少痛みが――」
なんだろう、つい先日似たような出来事があった気がする。
つい先日と言うか具体的に言うとつい昨日。
見たくはないが、見なければいけない。
いや本当に見たくないんだけど、現実を見つめないと何も進まない。
そう決心して俺はゆっくりと布団をどかし、視線を上に向けると――
「お早うございます、武様」
そう言ってにっこりと微笑む御剣悠陽その人がいた。
「――っ?」
思わず叫び声を上げそうになった口を押さえられた。
力を込めずにそっと、しかし素早く的確に。
「お静かに。ここで叫べば外の鑑さんに異常を悟られますよ? まずは落ち着いて下さい」
悠陽さんの言葉にこくこくとうなずく。
悠陽さんはそのままじっと俺を見つめていたが、やがてそっとなんだか言いニオイがしたその手を外してくれた。
「落ち着きましたか?」
「まあ、なんとか」
本当に『なんとか』と言う表現が相応しい状態である。
悠陽さんのおかげもあって叫ぶことこそしなくて済んだが、耳を澄まさなくても聞こえるほど自分の心臓はドキドキと音を立てている。
全く、心臓に悪い。
冥夜といい悠陽さんといい、御剣家の人間は人の布団に忍び込まなければ気がすまないのだろうか。
そう思って視線を前に戻すと――
「無ね?」
間違えた。
胸だった。
乳だった。
まるで赤子のように表現するとおっぱいだった。
そう、俺がさっきから味わっていた感触はどうやら顔面を悠陽さんの胸にうずめてぐりぐりとー―
「――っ?」
また口をふさがれた。
「お静かに」
こくこく。
まるで壊れた水飲み鳥のように立てにうなずく。
うなずく時に目の前に鎮座してらっしゃる胸にかすったような気がするのはきっと役得と言う事にしておいて下さい誰に説明してるんだ落ち着け俺。
もう一度手を離されると、俺の心臓はいよいよ凄まじい音を立てて今にも破裂しそうな気がしてきた。
俺も子供ではない。
「ひとまず起きて深呼吸を致しましょう」
「ハイソウデスネ」
さすがに動揺が収まらず、まるでロボのようにそう言ってロボのようにギクシャクと起き上がる。
そして大きく息を吸って、吐く。
もう一度大きく息を吸って、吐く。
「落ち着かれましたか?」
「ええ――って悠陽さんなんて格好してるんですか!」
俺と同じように起き、付き合うように深呼吸していた悠陽さんの姿を見て俺は叫んだ。
Yシャツ一枚だった。
専門用語で言うとはだワイってやつだった。
専門用語って何の専門用語だ。誰に聞いてるんだ俺。
何はともあれ悠陽さんがその見にまとっているのは男もののYシャツ一枚で、そのきれいなおみ足は何もつけずにすらりと伸び、さっきまで俺が密着していたであろう胸元は大きく開かれて――と言うことは生ですか? さっきのは?
そんなことを瞬時に(約0.2秒)理解して思考したりしている俺を前に悠陽さんは口を開いた。
「武様、そんなに大きな声を出すと」
「あ」
『悠陽さん? 今日は悠陽さん連れ込んでるのタケルちゃん!』
『ええい鑑、そこを退け!』
いつの間にやら冥夜までいたらしく声が聞こえた。
どうしようと思う前にゴトリと何かが落ちる音が聞こえ、それに続いてダダダという間違いなく猛ダッシュしている足音が聞こえた。
「鑑! 靴を脱げ!」
「あ、そうだったそうだった」
うん、ナイスだぞ冥夜。あの勢いだったら純夏は土足で突っ込んで来かねんというかそこは問題ではない。
って言うか冥夜まで来る気かおい!
「あわわわわわ」
「武様、落ち着いて」
慌てる俺と対照的に、悠陽さんは冷静だ。これが御剣の心構えってやつかいやそんな格好で冷静になられても。
「そうだ! せめてその服だけでも!」
着替えてもらえればいらぬ誤解を受ける可能性は格段に減る、と思う。
果たして誤解なのかとかそんな突込みが聞こえてきそうだが、そんなこと気にしてる場合ではない。
「そんなわけで悠陽さん!」
「きゃあっ」
「タケルちゃん?」
「タケル?」
――ああ、そりゃそうか。
例え純夏と冥夜が靴を脱ぐのに手間取ったとしても――冥夜がブーツであることを差し引いても――玄関で靴脱いで二階にある俺の部屋に上がってくるまで一分もかかるわけがない。
そして二人がやってきたタイミングはと言うと。
悠陽さんに急いで着替えてもらおうと詰め寄ったところで。
二人から見ると半裸の悠陽さんに俺が詰め寄ってる構図なわけで。
俺に詰め寄られた悠陽さんは「きゃあ」とか言って何故か顔を赤らめているところだったわけで。
「まあ君たち、冷静になりたまえ」
「なななななな……」
「私は冷静なつもりだが」
「さすがだな冥夜。そうだ、冷静に考えることの出来ない人間など獣と一緒だと思わないかね」
「なななななな……」
「ふむ、タケルの言うことにも一理あるな」
「そういうわけだ。純夏君も冥夜を見習って冷静になれ――」
「悠陽さんにまで何してんのさあーっ!」
「スタローン!」
純夏のドリルミルキィパンチは俺を電離層まで吹き飛ばした。
「姉上! 抜け駆けはなさらぬと昨日おっしゃっておりませんでしたか?」
「冥夜さんが昨日同衾したのだから、私も同衾してこれで同等と言うことでしょう」
「して、その装束は?」
「冥夜、月詠には教わらなかったのですか。殿方の寝所に偲ぶときの装束は――」
「夜着一枚だ、とききましたが」
「それを言葉のまま受け取るようでは貴女もまだまだ。この場合の夜着とは、殿方のシャツが最も効果的なのです!」
「なんとっ!」
「ああ、気のせいかタケルさまの匂いがします」
「くっ、さすがは姉上……」
俺の平和な日常はもう帰ってこないらしい。
「タケルちゃんなんか知らないっ!」
俺だって知らないわい。
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