「兄さん、お花見に行きませんか?」 ある朝、秋葉が突然そんなことを言ってきた。 窓の外を見てみると、青い空。 さすがに蝉の声こそ聞こえなくなってきたが、まだ夏といってもいいぐらいの気候であり、気 温もそれ相応に高い。 とりあえず、聞き間違いかもしれないので確認してみることにする。 「……花見?」 「ええ、お花見です」 「花見というと、主に桜の木を見ながら飲み食いするあれか?」 「はい。そういえば今年はやっていませんでしたから」 何度か確認してみるが、秋葉の言う花見とは、やはり世間一般で言う花見と同じものらしい。 いや、世間一般で言うもの以外にどんな花見があるのかは知らないが。 「でも秋葉、いくらなんでも桜はもう咲いてないと思うんだが」 「そうですよ秋葉さま。いくら志貴さんとデートしたいからって、もーちょっと口実は考えたほうがいいですよー?」 俺が一応言葉を選んで指摘すると、琥珀さんが容赦の無い突っ込みを入れた。 秋葉はその言葉を聞くとにっこりと、深窓の令嬢のような笑みを浮かべて琥珀さんの手を取る。 「あれ秋葉さま、わたしに何か」 「琥珀、ちょっと付き合ってもらえないかしら」 またにっこりと微笑んんだかと思うと、まだ何事か言おうとしている琥珀さんを連れて部屋を出て行く。
ちぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
「お待たせしました」 数分後、目の前の椅子に戻ってきた秋葉は妙に血色がよかった。 「それで明日の日曜日なんですが、お花見に行きませんか?」 「いや、琥珀さんは?」 「体調が優れないとのことなので、部屋で休んでいます」 「はい、わかりました」 何があったかは追求しないでおく。 俺には後追い自殺をする趣味は無い。 「でも秋葉、桜の花なんてどこに咲いてるんだ?」 「ええ、最近文通を始めたのですが」 「文通?」 「はい、文通です」 「文通って言うと、あの紙に書いた手紙を使う?」 「私は他に文通というものを知りませんが」 このインターネットやEメール全盛の時代に文通というのも凄い気がするが、秋葉らしいといえば秋葉らしい気もする。 もっとも、遠野家にはパソコンなんてハイテクかつデジタルなものは置いていないが。 テレビは琥珀さんの部屋に一台あるだけだし、電話機なんて未だに黒電話だし。 「話を続けてもいいですか?」 「ああ、ごめん」 考え込んだ俺を見て、秋葉がちょっと拗ねたような顔で聞いてきたので続きを促す。 「それで、色々と手紙のやり取りをしていると、その相手の住んでいる島では一年中桜が咲いているそうなんです」 「はあ、そりゃまたおとぎ話みたいな」 「……兄さん、信じてませんね?」 「そりゃあなあ」 そんなことを言われて素直に信じる人間というのもなかなかいないだろう。 っていうか素直に信じるようなやつはある意味問題があると思う。 「まあ、わたしも信じきれているわけではありませんが」 「なんだ、秋葉も信じてないんじゃないか」 「でも、向こうから『いっしょにお花見しませんか?』と招待されたもので」 向こうから招待してくるということは、本当の話なんだろうか。 まあ、文通相手との話題作りのために嘘をつくのならもうちょっとましな嘘をつくだろうし、もしかしたら本当なのかもしれない。 「まあ、ダメもとで行ってみるのもいいかもな。で、いつ?」 「今度の連休に泊りがけでどうかと誘われているんですが」 「ああ、うん。特に予定は無いな」 「ありがとうございます」 「でも、今度の連休って今週末のだろ? 連絡は間に合うのか?」 今日は火曜日なので、正味四日後である。 あまり手紙を書いたことは無いからよくわからないけど、大丈夫なんだろうか。 そんなことを考えていると、秋葉は顔を若干赤らめて気まずそうに返事を返してくる。 「実は、もう返事は出してあるんです」 まあ、そんなことだろうとは思ったが。 「まあ、結果的には問題ないんだが……、俺に何か予定があったらどうするつもりだったんだ?」 一人で行くつもりだったんだろうか。 そんなことを考えていると、秋葉は髪の毛をほのかに紅くしてにこやかに返事を返してくる。 「例えば、どんな用事ですか?」 「いやだなあ、秋葉との用事が最優先に決まってるじゃないか」 言えない。まさかアルクェイドと遊び歩くとか、先輩とメシアンに行くとか、アキラちゃんとアーネンエルベに行くなんて言えやしない。 「ありがとうございます兄さん。当日が楽しみですね」 「そうだなあ、はっはっは」 まだ髪の毛が赤い秋葉といっしょに、俺は笑うしかなかった。 「ところで、なんてとこに行くんだって?」 「ええ、初音島です」
「兄さん、お話があります」 放課後、俺が帰宅して家の玄関の扉を開けたとたんに、そう言われた。 「間違えました」 素直に頭を下げ、ドアを閉める。 さて、とりあえず公園にでも行って 「何が間違いなんですか、何がっ!」 「音夢よ、仮にも嫁入り前の娘がそう声を張り上げるものではないぞ?」 「兄さんのせいですっ!とりあえず早く中に入ってください」 そして俺は家の中に引きずり込まれ、鍵を閉められる。 かくして俺は閉じ込められ、妹からねちねちと虐待を 「実現してあげましょうか?」 「申し訳ありません、私が悪かったです」 即座に荷物を放り投げ、平伏する。 音夢が俺のモノローグにツッコミを入れられたのかはわからないが 「声に出てます」 「……マジ?」 「はい。その癖は早いうちに直したほうがいいと思いますよ?」 「うむ。一刻も早く直してこれからは心の中でのみ呟けるように努力したいと思う」 「変なモノローグ自体をやめてください」 そう言う音夢のこめかみにはぴくぴくと青筋が浮き始めている。 これ以上からかっていると命に関わる気がするのでおとなしくすることにしよう。 「とりあえずわかったから、中に入れてくれ。着替えたら降りてくるから」 「逃げないでくださいよ?」 まだ信用しきっていないらしい音夢の声に「ああ」と返事を返して自分の部屋に戻る。 かばんを置いてから窮屈な制服を脱ぎ、ベッドの下からスニーカーを出して天窓から屋根に出る。 そして屋根の端に行くと、かねてから用意してあった縄梯子を取り出し、下に降ろす。 さっきはああ言ったが、経験上音夢の『お話』はろくな内容ではない。 とりあえず公園にでも行ってゆっくりと対策を 「対策をねって、誰かの家に泊まりに行くんですか?」 「ああ、とりあえずことりの家ををうっ!」 縄梯子を降りきると、そこには音夢がいた。 「……」 「……」 「……」 「……」 無言で見詰め合った後に、おもむろに縄梯子を 「登らないでください」 「はい」
かくして俺は、居間にいた。 目の前には音夢が座っていて、じっとこっちを見つめている。 「あの、音夢さん?」 「何ですか兄さん?」 「いえ、『お話』というのを聞かせていただこうかと」 「ありがとうございます。ろくな内容ではない『お話』かもしれませんけど我慢して聞いてくださいね?」 どうやらさっきもモノローグを声に出していたらしい。 っていうか、モノローグを始めたころはまだ屋根の上だったし、下で待ち構えていた音夢に聞こえるはずはないんだが…… 「実は先日から文通をしているんですが」 俺が自分の体に盗聴器がしかけられてないのかどうか確かめていると、音夢は話し始めた。 「文通とはまた古風な趣味だな」 「ほっといてください。それで、色々あって向こうの人が、遊びに来ることになったんです」 「それはそれは」 「他人事みたいに言わないでください」 「いや、だって他人事だし」 「その人たちは今度の連休に来て、うちに泊まっていくんです」 「ああ、いいんじゃないのか?」 「まあ、そんなわけで兄さんも外出しないでうちにいてください」 「ちょっと待て。お前の友達が来るんだろ? 俺がいないほうが向こうも気楽なんじゃないか?」 「いえ、あちらもお兄さんと一緒らしいですから、兄さんもいてくださって結構です」 「『結構です』ってお前……俺に何か用事があるとかそういうことは考えなかったのか?」 「何かあるんですか?」 「……いや、特に無いが」 「じゃあ、よろしくお願いしますね」 まるで自分の勝利を宣言するかのように、にっこりと笑う妹を前に、俺はつぶやくしかできなかった。
「……かったりぃ」
つづく
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