リリアの決意

 ぎ、と。
 扉が微かな音を立てて開く。
「お久しぶりです、女神様」
 そして扉を開けた赤毛の少女は、物言わぬ女神像に語りかける。
 そこに在るのは確かに物言わぬ石像である。
 いかに美しい顔立ちであっても、今にも動きそうなほど精巧に作られていても、それは間違いなく石像である。
 深夜の神殿で、女神像に話しかける少女。
 そう聞けば信心深い少女なのかとも思えるが、彼女の話す内容は信仰すべき対象に語りかけるような言葉ではない。
「アドルさん、また旅に出るらしいですよ。しかも今度は海の向こうに行くんですって。ドギさんなんかは『あいつは旅してなきゃ死んじまうんだよ』なんて言ってましたけど――」
 その言葉はまるで同年代の――それも親しい間柄である人物に話しかけるような口調だった。
 話す内容は多岐に渡り、時は刻々と過ぎて行く。
 決して大きな声ではないが、それでも物音の立たない夜の神殿ではその声は良く響く。
 他に聞こえる物音といえば、庭園の噴水の音と虫たちがかすかに鳴く声のみである。
 そこに誰かいれば少女の話す内容は容易に聞き取れるだろうが、今この神殿の最奥――女神の王宮と呼ばれる場所には誰もいない。
 だから少女は一人で語り続ける。
 双子の女神像――いや、その片方の女神像に向かって。
「どこに行くのか、いつ帰ってくるのかもわからないんですよ。本当に困りますよね」
 そこまで言うと、本の一瞬だけ何か考えるように言葉を区切り、でも一瞬後には何事も無かったかのように言葉を続ける。
「困りますよね――フィーナさん」




 ランスの村には一人の少女が住んでいた。
 少女の名はリリア。
 清らかな心と優しい笑顔を持つ、村の誰からも愛された少女であった。
 しかし、少女は不治の病にかかっていた。
 原因はわからない。発症時期もわからない。
 唯一つ確かなことは、リリアは不治の病に侵されており、若くしてその命を散らすだろうと言うことだけだった。
 村人たちは哀しんだ。
 しかし、リリアの前ではそんな素振りを見せなかった。
 それは村人たちにただ一つできること。
 剣を振れない、何か特別な力を持つわけでもない、そんな村人たちは、せめてリリアがその命尽きるまで楽しく生きてくれるようにと、リリアに向けて笑顔を送ることぐらいだった。

 しかし、一人の青年が、そんな彼女の命を救った。
 ある日、リリアに連れられてやってきたその青年は、村の医師から病を治すための薬の原料を聞いたその青年は、ただの一瞬も躊躇することなくそれらを集めに旅立った。
 村外れにあるムーンドリアの廃墟からロダの実を持ち帰り、数多の魔物が巣食うラスティーニの廃坑からセルセタの花を持ち帰った。
 体中に数え切れないほどの傷を負い、それでも苦しそうな素振りすら見せることなくリリアのために薬を持ってきた。
 青年の名はアドル・クリスティン。
 地上から来たと言うその青年に、
 体の中から病魔が駆逐され、戸惑うリリアの前でただ「よかった」といいながら微笑む赤毛の剣士に、
 リリアはその時恋に落ちた。





「女神様のことを名前で呼ぶなんて失礼なことかもしれないけれど……いいですよね。確かにフィーナさんは女神様かもしれないけれど、アドルさんを巡る恋敵なんですから」
 そう言ってにっこりと、リリアは言葉の通り同年代の友人に向けるような笑顔を浮かべて言葉を続ける。
「イースが地上に降りてからも、アドルさんは変わらず冒険を続けています」
 そう。リリアと、そしてフィーナの愛しい人であるアドル・クリスティンは、イースの国から魔を払い、黒真珠とクレリアが封印された今でも冒険の旅を続けている。
 リリアはもちろん、イースの国に住む人たちも、エステリアに住んでいた人たちも、アドルがこの地で暮らしてくれることを望んだ。
 しかし、いくら懇願されようとアドルは冒険の旅をやめることは無かった。
 ある人に『そんな危険な旅をする必要ないじゃないですか』と問われた時、アドルは『でも、世界を見てまわるのは楽しいから』とだけ答えて旅立った。
 何か目的があって旅を続けているわけではない。
 冒険家アドル・クリスティンにとって、冒険の旅は手段ではなく目的なのである。
「でも、最近は冒険を終えるたびにここに戻ってきてくれますけどね」
 リリアはそう言って言葉を切る。
 今言った言葉に嘘はない。
 つい先週になるだろうか。アドルはまた一つの旅を終え、イースの国に戻ってきた。
 街の人々は彼の帰還を大いに喜び、酒場は喧騒に溢れ、終わらぬ宴が繰広げられた。
 宴の中心にはアドルが座り――と言うか座らされ、リリアも幸運なことにその隣に座ることが出来た。
 慣れない酒を飲まされたりもしたが、愛しい人と飲んだその味は決して忘れられない。
 冒険談を聞いて胸を躍らせ、相変わらずあちこちで女性を助けている話を聞いて少し心穏やかじゃなくなったりもしたが、とても楽しい一時だった。
 だから、その思い出をフィーナに語る間、リリアは満面の笑みを浮かべていた。
しかし。
 やがてその笑顔には陰が落ちる。
「でも」
 言葉に詰まる。
 これ以降は言わなくてもいい話。
 言う意味のない話。
 言葉にするだけで、リリアの心に傷をつける話。
 でも、言わなければいけない。
 今日この日、こんな深夜に女神の王宮まで忍んで来たのは、これから話す言葉をフィーナに告げるためだったのだから。
 だからリリアは、ありったけの勇気と決意を――他の誰でもなく、アドルがリリアにくれたその二つをこめて口を開いて言葉を発する。
「やっぱり、色々と言ってみてもアドルさんが戻ってくるのはフィーナさんのところなんです」
 言った。
 一言発してしまえば、それはまるで決壊した堤防のように。
 リリアの心に秘められていた言葉が流れるように溢れ出す。
「わたしのところにも来てくれるけれど。でも、一番はやっぱりフィーナさんみたいだから」
 溢れ出した言葉を抑えることも出来ずに、胸の痛みにその顔を微かにゆがめて話し続ける。
 アドルが戻ってくるたびに、色々な冒険の話を聞いた。
 アドルが自分から話してくれることもあったし、冒険の話をねだったこともあった。バノアに『まるで子供みたいね』と言われたこともあったが、そんなことばは気にならなかった。
 アドルの話は楽しかったから。
 アドルが自分のために冒険の話をしてくれるその時間は、間違いなく幸せな時間だったから。
 けれど。
 本当に様々な話を聞いて。
 それこそ最近の話しが尽きると、アドルがエステリアに来る前の、本当に駆け出しのころを話を聞いたりもした。
 でも。
 そんな様々な冒険談の中で、アドルが一番活き活きと話すのは。
 エステリアで、フィーナを助けたときの話だったから。
 だからリリアは、イースで誰よりもアドルのことを見続けた少女は、気づかないわけにはいかなかった。
「イースに戻ってきたアドルさんはフィーナさんのものだから。それはもう、わたしなんかじゃ太刀打ちできない」
 気づきたくは無かった。
 フィーナとレアが、双子の女神が天に還った後に、アドルの最も側にいたのは自分だった。
 だからきっと。
 そんなことを思っていた。
 でも。一度気づいてしまった以上、自分の心に嘘をつくことは出来ない。
「私がここで、いくらアドルさんを待っていても戻ってきてはくれないんです。アドルさんが戻ってくるのはフィーナさんのところ。もちろん私にも会いに来てくれるけれど、それはフィーナさんの後だから」
 アドルはイースに帰ってくるたびに、まずサルモンの神殿に行く。
 そして女神の王宮に赴き、その後にランスの村へとやってくる。
 人々は、『旅が無事に終わったことを女神に感謝してるのだ』と言う。
 確かにそうだろう。
 けれどきっと、それだけではないはずだ。
「だから、わたしは」
 俯いて肩を震わせて。
 リリアは目の前に立つ石像から表情を隠して、何か決意するように、振り絞るように声を出す。
「わたしは、諦めます」
 言った。
 とうとうこの言葉を言ってしまった。
 もう後戻りは出来ない。
「アドルさんが戻ってくるのはフィーナさんのところだから。それを邪魔するのは、アドルさんにも、フィーナさんにも失礼なことだと思うから。だから――」
そしてリリアは、自分の恋敵に最後の言葉を告げる。







「だから私はアドルさんと一緒に旅に出ます」
 じゃら、と。
 なんだか凄まじく物騒な音が、実はさっきからずっとリリアが背負っていた袋から聞こえた。
「考えてみれば、アドルさんは年中冒険に行ってて腰を落ち着けるのなんて年に一ヶ月がいいところなんだから。一緒に冒険した方がいろんな機会も増えるってものですよね」
 そう言いながらいそいそと、袋から引きずり出した鎧を着こんでいく。
 男ものだからちょっと色々無理があるけど、そこは我慢。
 っていうかアドルのお下がりなんだから、愛の力でカバー。
 そして数分の後、リリアはその全身をごっつい装備に身を包み、
「じゃあ、行ってきます」
 そう言って爽やかに笑い、バトルソードとバトルアーマーとバトルシールドをがっしゃがっしゃと言わせつつ、結構軽やかな足取りで女神の王宮を後にした。
 それを見送る双子の女神像がなんだか震えた気がしたけど、それはきっと気のせいだろう。
 少なくともこれからの旅に心ときめかせるリリアはそんなものには気づきもせずに、輝かしい未来に思いを馳せていた。







 おまけ

 エステリアの港町。
 大陸との交易を担う定期船を前で、アドルとドギは別れを惜しんでいた。
「リリアに何も言わずに出発していいのか?」
「なんだか悪い予感がするんだ。もう行くよ」
「でも、装備何も無しで」
「いや、今戻っちゃいけない気が……」
「船が出るぞー」
「まてー、乗せてくれー!」
 船が出た直後、ランスの村の医師であるフレア・ラルが船に飛び乗って、アドルの新たな旅が始まる。
 一人エステリアに残されたドギがこの後怒りに燃える完全武装の乙女を前に、色々と苦労することになるのだけれど、船はその帆に風を受けて旅立った。


To be continued YSW -Mask of the sun-






後書きとおぼしきもの


 正直すまんかった。
 最初はギャグ書こうとしたけどやっぱり無理で、「よしここはひとつ気合入れてリリア萌えSSを書こう」と決意したらこうなった。
 でも、羽衣イースとかカエル枕好きだった人たちには納得していただけるんじゃないかと思ってたりしています。
 あと、年代があわないとか色々なツッコミはなんかもう色々ぐちゃぐちゃなのでスルーします。
 一応イースUの後でイースWの前という設定なのですが。
 イースWはPCE版とSFC版があるんだけど、あれは並び立つものなのかPCE版は黒歴史として葬られたのかとかよくわからんのでそこを突っ込まれても黙殺します。
 あと、間違われないように言っとくと、俺はリリア派ですよ? いや本当に間違いなく。

2005.04.26  右近