どうやらこれから我が家となるらしいボロアパートの一室に引きずり込まれてそろそろ一時間。俺は紅莉栖に『何故俺が桐生萌郁の住んでいるアパートを知っていたのか』という件について事情聴取を受けていた。正座で。
もちろん紅莉栖は正座なんぞしていない。とは言ってもアパートの空き部屋に椅子なんかあるわけもなく、結果的に紅莉栖も一時間立ちっぱなしだったのでそれはそれで辛そうだったが。
幸いにと言っていいのかわきあらないが、あの三週間の世界線漂流については紅莉栖と再会した当日に夜までかけて色々話してあった。だからアトラクタフィールドがどうとか世界線移動がどうとか複雑きわまりない部分は端折り、説明自体は割とスムーズに行えたと思う。
割とスムーズに説明できたのに何故正座で一時間も過ごす羽目になったのかというと、「ちなみに、その世界線では桐生さんと仲が良かったってこと?」とか気にしてない風を装いつつももじもじと聞いてきたので、そんな紅莉栖のいらん誤解を解いて安心させるために説明したからである。
「萌郁の勤め先は聞いていたから、押しかけて無理言って履歴書見せて貰って住所からこの場所を割り出したのだ」
見事な藪蛇だった。確かに言われてみれば、見事なストーカー行為である。
あの時の萌郁はSERNのラウンダーであり憎むべき敵だったのだが、この世界ではそうではない――少なくとも俺たちの前でそう言う姿を見せてない以上、べらべらと喋るわけにもいかない。他の世界線での立場がこの世界線での人間関係に影響を与えるなんていうのは間違っている。
かくして説明は難航し、時計の短針が一周して俺の足のしびれが割と限界を迎えつつあったりするわけである。
そしてそんな俺を見下ろしながら、紅莉栖は呟いた。
「そうね、岡部があんな大人の女性にどうこうできるとも思えないし」
いや、お前と萌郁は二歳しか違わないのだが。まあ確かに二年ぐらいでは埋まらない差が――
「何か言いたいことでも?」
「いえ、全く」
思わず体の一部分に行きかけた視線を慌てて戻してそう答える。これ以上藪をつついて蛇を出す必要はない。
「とにかく、そんなわけで後ろめたいことは何もない」
よく考えてみるとα世界線では萌郁を若干どうこうした気もするけど、そんなことをわざわざ言う必要はない。もし言ったら本当に大変なことになる。
「そうね、とりあえず信じてあげる」
「うむ」
とにかくそんなわけで俺は足を崩し――
「あ、あと」
「何だ、一体」
俺の足のしびれはいよいよ限界だし、紅莉栖も取り澄ましているつもりかも知れないが、そろそろ座りたいのは見え見えである。話をするにしてももう少し楽な姿勢をとった方がいいと思うのだが――
「あの阿万音さんも他の世界線で知り合った人?」
「何故、そう思った」
「アンタが見ず知らずの他人をラボメンにするとも思えないし」
「……実は以前からの知人という可能性もあるぞ」
「いや、だって岡部ってラボ以外に友達いないでしょ?」
「お前にだけは言われたくないわっ!」
研究だけに青春を費やしつつあった実験大好きっ子のくせに!
まあ、そんなことはどうでもいい。
確かに紅莉栖の言うとおり、俺が鈴羽と初めて出会ったのはα世界線のブラウン管工房であり――この世界線では『タイムマシンを使って未来からやってきたタイムトラベラー』という特殊すぎる立場なので説明せずに済ませようかとも思っていたのだが。
どうやらこれからこのアパートで共に暮らすことになるのだ。どれくらいの期間になるのかはわからないが、協力者がいるというのならありがたい。
そしてその協力者が紅莉栖だというのなら頼もしいし、それに――嬉しい。
「何よ」
「何でもない」
言えるかそんなこと。
ともかく俺は紅莉栖に説明することを心に決め、恐らくは別室にいるであろう鈴羽を呼びに行くことにした。
◇
紅莉栖に説明することを心に決め、鈴羽を呼びに行ってから約三十分。
正確に言うと、鈴羽を呼びに行こうかと思ったけど足の痺れが引くのを待って、何とか歩けるようになってから鈴羽を呼んできてから約三十分。
ちなみに、まゆりとダルには「これから同じアパートで生活するに当たって様々な打ち合わせ」とかなんとか言って帰って貰った。ダルは例によって「爆発しろ」とかほざいていたけど無視である。そもそも
まゆりとダルには三人で打ち合わせをするとか何とか言って帰って貰った。ダルは例によって『爆発しろ』とか言っていたけど、知らん。俺と紅莉栖と萌郁のことはともかく、鈴羽が転がり込んできたのは2036年のダルのせいなので、自業自得と言えなくもない。
ともかくそんな感じでまゆりとダルを追い返し、一人残った鈴羽に「紅莉栖には説明しておこうと思う」と言ってみたところ、難色を示すどころか二つ返事で「オッケー」といわれて逆に不安になった。機密がどうとかそう言うのはいいのか。確かにある意味当事者だが。
さておきそんなわけで紅莉栖に対して『阿万音鈴羽は2036年からのタイムトラベラーであり、タイムマシンで現在にやってきたのだ』というのにはさすがに驚いて信じられないようだったが、鈴羽に説明されたタイムマシンの基礎理論が他ならぬ紅莉栖のものであり、更にそれを発展させたものだったので納得せざるを得なかったようだ。
というかタイムマシンの基礎理論とか機密にも程があると思うのだが――って、その理論を構築した本人に言っているだけだからいいのか? ああ、タイムトラベルとか本当にめんどくさい。
「ともかく、阿万音さんは2036年から来たタイムトラベラーなのね」
「うむ。それは他の世界線でも変わりなかった」
そう。α世界線でもβ世界線でも、タイムトラベラー阿万音鈴羽は世界線移動のために活躍してくれた。もちろん今ここにいる鈴羽はそんなことを知らないだろうが、俺は絶対に忘れない。
そして俺の答えを紅莉栖は、俺の答えを聞くと軽く息をついてから言葉を続けた。
「そうね、それに関しては納得しておくわ」
「おお、わかってくれたか!」
「でも、『タイムトラベルの動機は家出でした』というのは納得いかない」
そりゃもっともなご意見だった。
もっともなご意見過ぎて返す言葉もなかった。というか俺だって納得しきってはいない。
「しかもその理由が『親が過保護すぎて』とか」
うむ、それは俺もそう思う。いくら鈴羽が「だって父さんが」と父親の非を主張しようと、それは親子ではない第三者には共感できないことがほとんどなのだ。
『必要以上に干渉してくるし、何かのイベントになると尋常じゃなく高性能なビデオカメラを持って撮影する』とか言われても、見方を変えればただのいい親である。
そんな父親を不満に思ってのトラブルとなれば、紅莉栖が冷静でいられるはずもない。
「岡部はこんな理由で納得したの!?」
「いやその」
「何よ!」
案の定ヒートアップしている紅莉栖を見て、鈴羽の方に目配せをする。
鈴羽はそんな俺の――多分困っていたであろう顔を見て、「しょうがないよ」って感じで苦笑いして、頷いた。
鈴羽が許してくれるというのなら、紅莉栖に隠しておく必要はない。
「紅莉栖、落ち着いて聞いてくれ」
「だから何!」
そう、隠しておく必要はない。正直この事実を俺一人の内に収めておくのは辛いのだ。
だから俺は暑くなる紅莉栖を前に、大きく息を吸う。
そして吸い込んだ息を吐き出すように、事実を告げる
「鈴羽の本名なんだが……『橋田鈴羽』なんだ」
「それがどうし……え?」
半ば反射的に言い返しながらも、引っかかるものがあったらしい。
俺がしたことは、鈴羽の本名を告げただけである。とは言っても下の名前は変わらず、違う名字を告げただけ。しかもその名字もどちらかというとありふれた、何の変哲もない名字である。
しかしこの俺の口からその名字が出たと言うことは、意味することは一つ。
「……ダルの娘なんだ」
そして真実を告げられた紅莉栖はキョトンとした表情で何度かその目をぱちくりさせると、俺と鈴羽の両方の顔を確認してから口を開いた。
「……ギャグ?」
「現実だ、受け入れろ」
気持ちはわからんでもないが。
ちなみに鈴羽はと言うと、困ったような顔で笑っていた。
「えっと、そのことを知っているのは……」
「今のところ、ここにいる三人だけだ。まゆりに話すかどうかはともかく、ダルに話したらどうなると思う」
「ああ……」
大変なことになる。タイムパラドックスがどうとかいう意味ではなく、大変なことになる。
『うひょー! 僕には嫁が! しかも娘も! 将来勝ち組決定キタコレ!』
大変なことになると言うか間違いなくうざい。しかも結局その娘が自分と喧嘩してタイムマシン使ってまで家出とか、もうどうなるのか想像できないししたくもない。
「そんなわけで、当分はこのことは他言無用で頼む」
「わかったわ」
鈴羽の家出についてはまだ納得しきっていないのかも知れないが、その父親が未来のダルと聞くと色々と違うのだろう。もちろんダルも恋人ができて結婚して、子供まで生まれたんだからしっかりとした真人間になっていると言う可能性もゼロではない。しかし限りなくゼロに近いと思う。
「ちなみに、興味本位になっちゃうかも知れないんだけど……橋田の奥さん――阿万音さんのお母さんってどんな人なの?」
「いや、それは俺も知らない。阿万音由季という名前は聞いたが」
「んー。そう言われても、なんて説明すればいいのか……」
確かに他人に『お前の親ってどんな人?』と聞かれても困るだろう。
「じゃあ、こっちから質問させて貰っていいか? 勿論、都合が悪かったら答えてくれなくてもいい」
「オッケー」
とは言っても何から聞けばいいものか。
こう改まって考えてみるといいものが浮かばず、考え込んでいると紅莉栖が手を挙げた。
「じゃあ、私からいい?」
「うん」
「えっと、その。ご両親の、馴れ初めとか……」
「いきなりスイーツ(笑)な質問だな。流石だ、と言っておこう」
「なによ、じゃあアンタは気にならないって言うの!?」
「いやまあ確かに気にはなるが」
あのダルが三次元の女性と出会って恋愛を育んだとか、半年前に聞かされたら間違いなく信じなかっただろう。宇宙の法則が乱れるレベルのニュースである。
「あたしが聞いた話だと、コミマで割と衝撃的な出会いをしたって」
「相手もオタだったのか」
「うん。コスプレしてたって」
「お似合いって言えばいいのかしら……」
まあダルが非オタと出会うこともないと思うし、出会ったからといって上手くいくとも思えないが。ダルが『二次元とか今更』とか言い出したらどうすればいいのかわからない。
「それで母さんのコスプレ姿を見て、一目で運命を感じた父さんが告白したんだって」
「コミマ会場でか。凄いな……」
「うん。『キミのハートに萌え☆萌えキュン♪』って」
「……え?」
「えっと、阿万音さん。今の話だと橋田がその言葉を言ったように聞こえるんだけど」
「うん、そうだよ?」
衝撃の事実だった。あの衆人環視どころじゃない人のあふれるコミマ会場で告白というだけでも十分なのに、告白の台詞がそれか。しかもダルが言ったのか。確かにダルらしいと言えばダルらしいが。
「……というか、そう言われて受け入れる阿万音由季も凄いな」
「そうね、私には真似できない」
真似する気なのか。少なくとも俺は真似する気はないぞ。いやそんなことはどうでもいい。
「そういえば、お前の母親の方はどうなのだ?」
「どうって?」
「いや、お前が家出してきたのは父親とそりが合わなくなったからだろう。母親とは仲がいいのか?」
「うん。母さんにはたまにしかられたりするけど、応援してくれるし」
「……応援?」
「あ」
さすがはザ・嘘のつけない女こと阿万音鈴羽。新たにザ・隠し事のできない女の称号を与えよう。
「えっとほら、運動会とか」
「……流石にそれは無理があると思うぞ」
しかも運動会て。せめてそこは体育祭と言うべきである。もしそう説明されても無理があることに代わりはないが。
「ここまで来て隠すこともないだろう」
逆に言えば無理に聞き出すこともないのだが、正直気になる。
ついでに言うとよほど恥ずかしいのか、いつも元気印というか下手するとアホの子にすらなりかねない鈴羽がもじもじしているのがまるで女の子のようで実に新鮮である。
そう、この感覚は何かに似て――
「こら岡部、阿万音さん困ってるでしょ」
後頭部を叩かれた。
「痛いだろうが!」
「毎度毎度仲のいい女の子はとりあえずいじめるとか、小学生かアンタは!」
「な、何を人聞きの悪い! 俺はただ真実を追究するためにだな!」
うむ、何かに似ているというか狼狽える紅莉栖を前にした感覚とそっくりだった。
そしてそれを察したのかどうかは知らないが、紅莉栖本人に相変わらずスナップの利いたいい平手打ちをくらった。こいつ、相変わらず運動不足のくせに攻撃能力だけは成長している気がするぞ無駄に。
更に追撃をくわえようと右手を振りかぶる紅莉栖と、それに対処するためにファイティングポーズをとる。鳳凰院凶真は狂気のマッドサイエンティストなので、女子供が相手だろうと容赦はしないのだ。
まあ、狂気のマッドサイエンティストは頭脳労働担当であり攻撃とか専門外なので反撃とかはしないが。しかしこと紅莉栖の攻撃を躱すことに関してはプロフェッショナルと言ってもいい。
あわや一触即発でありグラップラーばりに空気がゆがんだ気がしたりしなかったりしている中、その緊張を打ち切ったのは鈴羽の声だ。
「オカリンおじさんも紅莉栖おばさんも落ち着いて! 別に隠しておきたいわけじゃないから!」
「だからおじさんはやめろと」
「おば……さん……?」
あ、紅莉栖がショックを受けている。
「しょうがあるまい。鈴羽が本来いた2036年ではお前も44歳だぞ」
「なん……だと……?」
まあそのときは俺も45なのだが、俺はそのショックを既に一度経験しているのでダメージは低い。地面に手をついてorz状態になっている紅莉栖は放置しておいて話を進めることにする。
「それで、どういうことだ?」
「うん。えーと……」
隠しておきたいわけではないけど、言いにくいということだろうか。本当に言いにくいことなら無理に聞き出すつもりはないんだが――。
そんな風に声をかけようかと思っている間に鈴羽は決心したらしく、気合いを入れるかのように「よし」と言うかけ声と共に両手を握り締めてから口を開いた。
「実はその……好きな子がいるんだけど」
恥ずかしそうに頬を赤らめつつ鈴羽にそう告げられ、いや確かにこういう可能性も頭の隅で考えはしたが、実際に言われるとどうしたものやら。
そして本当にどうすればいいのかわからないので隣を見たらあっという間にorzから復活した紅莉栖が興味津々という感じで話の続きを待っていた。スイーツ女子にも程がある。
まあそう言ってはみてもここまで聞いて「ごめん、やっぱいいや」と言うわけにも行かないので続きを待つことにする。
「その子とはそれなりに仲良くやってると思うんだけど、その……」
「ひょっとしてその子が変な言動を繰り返すとか?」
くそ、恋バナとなると生き生きとするな、このスイーツ女子クリスティーナ。と言うか誰のことだそれは。
しかしそんなノリノリな紅莉栖を見ても鈴羽は驚くことはなく、言葉を続ける。
「そんなことはあんまりないんだけど……父さんが」
「父さんって……ダルだよな」
「うん。父さん、あたしが男の子と仲良くしてるとうるさくて」
「あー……」
目に浮かぶ。
思い描くまでもなく瞬時に目に浮かぶ。あいつ絶対「門限は5時までだお!」とか言う。
「それでついカッとなって家出を……」
「あー……」
なんと言えばいいのか。
客観的に見れば『娘の恋愛に親が口を出し、怒った娘が家出』という割と良く聞いたような話である。ただ、その家出にタイムマシンを使って家出先が26年前というのはあまり聞かないが。
しかし俺と紅莉栖にしてみれば、問題はそこより鈴羽の父親がダルだと言うことにある。
普通ならこういうとき『父親も心配しているんだから一度冷静に話し合え』とでもアドバイスするところなんだろうが、ダルだしなあ……。
もちろん2036年にはダルだって四十半ばのいい大人なんだから落ち着いて……いると……
「写真とかあるの?」
「うん」
俺が希望に満ちているはずの未来に思いをはせている中、紅莉栖は恋バナ真っ最中だった。どうして女というのはこういう話が好きなのだろう。
とは言っても俺も興味がないわけではなく――そう、何にせよ状況判断のための情報は少しでも多い方がいいのだ。
そんなわけで鈴羽がまるで恋する乙女のように――いや事実そうなんが、とにかく照れながらもどことなく嬉しそうに、ジャージのポケットからパスケースらしいものを取り出し差し出してくる。
そして紅莉栖がそれを受け取り、開いてみると鈴羽と……少年がいた。
少年だった。
どうひいき目に見ても中学校に入ったばかりであろう少年……ええいもうめんどくさい。有り体に言えば子供だった。
「まさか年下とは」
「六歳差ぐらいなんでもないよ!」
「いや、その理屈は……」
確かにテレビで芸能人の熱愛報道とか見ていると六歳なんて年の差には入らないかも知れないが、十八と十二は問題がないか。色々と。
しかしそんなことを思ってみても言えるわけもなく、隣にいる紅莉栖に助けを求めようかと思ってみたが、紅莉栖は未だに写真を見つめていた。もう穴が開くんじゃないかと思うほどよく見ていた。
「……クリスティーナ。この期に及んでショタ属性まで追加する気か?」
「違うわよ! 岡部もよく見て」
俺の軽口へのリアクションもそこそこに写真を突き出されたので、よく見てみる。流石にジャージではないがスポーティな私服な鈴羽と、その横で照れくさそうにしながらもしっかりと鈴羽の手を握っている子供。
「誰かに似てない?」
「ふむ。言われてみればそんな気もするが……」
そんな気もするが、考えてみても誰と似ているのかは思いつかない。
鈴羽の方に視線を向けると、何か言いたそうにしているので全くの気のせいと言うことはないらしい。
それなら鈴羽に聞けばいいだけの話なんだろうが、それも何となく負けた気がする。
かくして俺と紅莉栖は揃って写真を見つめながら、必死に記憶の糸をたどっていく。
「共通の知り合い、ってことはないよな」
「そうね、それだとせいぜいここ一ヶ月の話の話だし。いくらなんでもそれならすぐに思い出せるわよ」
「誰か有名人ってこともないだろうしなあ」
それなら鈴羽が何か言いたそうにうずうずしているということはあるまい。
おそらく答えは今の俺たちで導き出せるはずなのだが……こういうときは考えてもわからず、諦めたらしばらくたってから突然思い出すものだ。
まあ今回に限っていえば、諦めた場合は鈴羽に聞けば正解を教えて貰えるわけだが。
しかしそれは何だか悔しい。
「ええ、くそ」
『ここまで出ているんだ』とかそんな感じのもどかしさに苦しみながらそう毒づいて頭をぼりぼりと掻いたとき。紅莉栖が小さく「あ」と呟いた。
「どうした、思い出したのか?」
「岡部、ちょっと髪おろしてみて」
「なんだ突然」
「いいから」
いきなり訳のわからないことを言い出した紅莉栖に戸惑いつつも、言われたとおりに髪の毛を押さえつけておろしてみる。
「……これでいいのか?」
紅莉栖が何をしたいのかわからずに問いかけると、紅莉栖は俺と写真に代わる代わる目をやってから自分の服のポケットを探り、小さな手鏡と写真を手渡してきた」
「何なんだ、一体」
「いいから、見てみなさい」
世紀の大発見をしたかのように興奮して見える紅莉栖にそう言われ、素直に従うことにする。
鏡を渡してきたと言うことは俺の顔を見ろと言うことで、それと鈴羽の写真を見比べると――
「あ」
似ていた。
確かに似ていた。
髪を下ろした俺と、鈴羽の隣にいる子供が。
ああそうか。どこかで見たと思ったが、子供の頃のアルバムの写真。小学校卒業あたりの写真にうりふた――
待て。いや待て、ちょっと待て。
世の中には三人似た人物がいると言うが、この写真は今から二十六年後に撮影された写真なのだ。となれば『偶然似た人』というよりも――
「……ちなみに、名前は?」
「『きょうま』っていうんだ」
紅莉栖の問いにはにかみながら鈴羽はそう答え、たどり着きそうになっている真実の残酷さというかとんでもなさというか、とにかくあまりのショックに硬直していた俺の手からパスケースを受け取ると、その中から写真を撮りだし裏返す。
そこには日付と『恭真と』と言う文字が記されていた。
とりあえず文字は違った。セーフ。何と違ってどういう風にセーフかとか考えてはいけない。少なくとも俺は考えたくない。
「名字も知りたい?」
「いや、いい。無理に聞き出すのは俺の本意ではないしな!」
「そ、そうね! プライバシーを侵害するのは問題よね!」
大慌てだった。何を慌てているのかとか深く考えてはいけないが、とにかく大慌てだった。
あれだ、パンドラの箱に唯一残った希望は未来がわからないこととかそんな話だった気がするので知っちゃ駄目だ。
紅莉栖とアイコンタクトでお互いの意思を確認し、鈴羽の方に向き直る。
「よし、細かいことはもういい! お前はラボメンナンバー008なのだから、気が済むまでここにいるといい!」
「本当!?」
「ああ、勿論だ。なあ紅莉栖?」
「そ、そうね! お互い冷静になるには時間が必要だろうし!」
明らかに挙動不審になりつつそう答える俺たち二人を見て、鈴羽は本当に嬉しそうに笑顔を浮かべて言葉を続ける。
「やっぱり二人は味方でいてくれるんだね」
「よし、そこまでだ! 確かに俺たち二人は鈴羽の味方だから、それ以上未来の情報を垂れ流すことは禁止する」
「あと、『紅莉栖おばさん』って呼ぶのも禁止!」
「……気にしてたのか」
「あんただっておじさん呼ばわりされたくはないでしょ!?」
「そりゃそうだが」
確かに2036年では四十代半ばかも知れないが、今は2010年で俺も紅莉栖も十代である。もしまかり間違って町中で「おじさん」とか呼ばれたら死にたくなりそうだ。
「えっと、それじゃあ何て呼べば……」
「そうだな……α世界線ではフルネームで呼んでいたが」
今となっては懐かしい気さえする、阿万音鈴羽と初めて出会った世界線。あの世界線で鈴羽は他人をフルネームで呼んでいた。
「じゃあ、岡部倫太郎と……えっと……そうだ、牧瀬、紅莉栖?」
「よし、その通りだ。これからよろしく頼むな!」
「こちらこそ!」
「わ、私も」
かくして俺たちの共同生活は始まるようだった。前途多難と言うか色々不安すぎてしょうがないが。
ちなみに鈴羽が紅莉栖の名字で詰まっていたことについては、ど忘れと言うことで処理されたことを追記しておく。断じて追求しないように。
つづく
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