新大陸と呼ばれるコルウェイド大陸。
この大陸が発見されてからしばらくの時間が経ち、人の住む街――中には都市と言ってもいいぐらいのものさえできてきたが、それでもやはりまだ人の手の届かない場所が多い。そこには様々なモンスターが存在し、迷い込む人々をその牙にかける。
しかしそんな危険な場所には、それに見合うだけのものが存在する。
それは様々な宝だったり、失われた知識だったり、あるいは何らかのロマンだったりするのだが――そんなものを求めて危険に飛び込む人々がいる。
彼らは、冒険者と呼ばれた。
「フレイムウェイブ!」
リナの詠唱とともに火炎が吹き出し、モンスターたちを薙ぎ払う。
「ユウキ、お姉ちゃん!」
そしてリナの声にしたがって薙ぎ払われたモンスターの向こうにいるモノ――リナの強力な火炎の魔法でも破壊されることのなかった石像に向けて二人の戦士、薙原ユウキと竜胆沙耶が各々の武器を構えて駆け込んでいく。
「ユウ坊は右から、アタシは左からだ!」
「おう!」
動き出した石像――ゴーレムの左右に別れ、ユウキと沙耶は剣を振りかぶる。
薙原ユウキと竜胆リナ、そして竜胆沙耶。
三人は確かに幼いころを共にすごした幼馴染である。
しかしユウキとリナは去年冒険者学校を出たばかりの新米冒険者、沙耶はもう国でも名の知れたS級冒険者である。
そんな、言ってみれば不釣合いな三人が普段一緒に冒険に行くことはない。
しかし今回は、まあ言ってみれば全くの偶然。
ユウキとリナがいつも通り二人でクエストを終えギルドに報告に来た時に、ちょうどそ こに沙耶がやってきたのである。
ユウキとリナの二人が沙耶と会うのは約一年ぶり――ユウキとリナの卒業式以来である。
「お姉ちゃん――」
だから妹のリナが嬉しそうにそう声を上げたのは当然だっただろうし、
「よう、リナ、ユウ坊!」
姉の沙耶が嬉しそうにそう返したのも当然だっただろう。
「ちょうどよかった。次のクエストに手伝いが欲しかったんだよ!」
ただすぐにそんな話が出てくるあたり冒険者らしいといえばらしかったが。
「通旋穿!」
数分にわたる戦いの末、沙耶の剣が硬い岩石でできたゴーレムの胸を貫き、その巨体はズズンという大きな音を立てて地に倒れ伏す。
後に残るのは砕けた岩の塊のみ。
「さすが沙耶さんですね」
「なに、ユウ坊もなかなかやるじゃないか」
はっはっは、と。
さっきまでの戦いなんて何の負担でもなかったかのように笑う沙耶さんを見て、俺もありがとうございます、とだけ言って笑みを浮かべる。
S級冒険者であり、恐らくはこんな状況を何度も潜り抜けている沙耶さんと違ってゴーレムとの戦闘は結構きつかったりしたのだが、それでも精一杯の笑顔を。やっぱり男の意地とかそんな感じのものは大事だと思う。
それに後ろのほうからリナがやってきて「二人とも大丈夫?」とか声をかけてきているし。
ここでリナに心配させるような情けない男にはなりたくない。
そんな俺の考えなんか沙耶さんにはお見通しだったのか、沙耶さんは意味ありげににやりと笑うとリナに対して返事をする。
「ああ、アタシもユウ坊も大丈夫だよ。しかしユウ坊もそうだけど、リナも凄いじゃないか。あの呪文はいいタイミングだったよ」
姉に褒められたのが嬉しいのか、リナは「そんな……」とかいいつつ、頬を赤くして照れている。
そんな他人事のように言ってはいるものの、俺も大して変わらない状態なのかもしれない。なんかさっきから頬が熱いし。
でも、それもしょうがないと思う。
沙耶さんは初めて出会ったそのころから――そして今に至るまで俺にとっては『憧れのお姉さん』なんだから。
沙耶さんの持ってきたクエストは、新しく発見されたダンジョンの探索だった。
学校を出てギルドに登録されて、正式な冒険者になってから様々なクエストを受けたが、それでわかったことがある。
ダンジョン探索は基本的に美味しい。
それが新しく発見されたダンジョンだったりすると最高である。
確かにさっきのゴーレムのような強力なガーディアンがいたりもするけど、その分実入りは多い。
まあその『実入り』にはいろんな形があって金銀財宝とは限らないんだけど――俺としてはやっぱり金銀財宝が欲しいところである。
この前出たファルネーゼの新作モデルの剣が実にいい感じだったのだ。お値段もその分実にいい感じだったが。
だから沙耶さんがこのクエストを持ってきてくれた時、俺は一も二も無く引き受けた。
リナの意見を聞かずに引き受けたのでちょっと睨まれたが。
まさかリナが沙耶さんの話を断るとも思えないし、別にいいと思ったんだが。
ちなみにそれをそのまま言ったらリナはふくれて沙耶さんには「相変わらず女心ってものをわかってないね」と笑われた。全くもって不本意である。
――まあ、そんな話はさておいてダンジョン探索の続きだ。
ダンジョンに入ってモンスターだけ倒して満足していたら、それは冒険者じゃなくただの戦闘狂である。
俺は全うな冒険者なのでモンスターを倒したらその奥をしっかり探索する。
全うな冒険者と言うのもイマイチ変な言葉な気もするが。
さて、ゴーレムの残骸の向こうには果たして扉があった。
扉の前の床や扉の表面、扉の隙間を調べてみても罠のようなものは見つからない。
「リナ、魔力とかは――」
「ううん、特に感じられない。強いて言えばさっき倒したゴーレムの残骸にまだちょっと残っているぐらいだけど、それももう薄れてなくなっちゃいそうだし」
リナとそんな会話をした後沙耶さんのほうを見ると、沙耶さんはなんだか満足そうにこくりとうなずいた。
開けていいってことだよな、あれは。
罠は無いようだけどそれでも一応慎重に扉を開けると、ギギ、とかすかにきしむ音を立てて扉は開いた。
その部屋はランタンで照らさなくても明かりが――恐らくは魔法の明かりが灯されていた。
「研究室――かしら?」
「どうやらそうらしいね」
俺の後ろから覗き込んでそうつぶやく竜胆姉妹。
室内は明かりだけのみならず、温度や湿度も恐らく魔法で快適な状態に保たれていた。
そして中にあるものは大き目のテーブルと何らかの実験器具。
周囲の壁に取りつけられた棚にもなんだかよくわからない器具が並べられていて、部屋の反対側にあるアーチをくぐった向こうに見えるのは書庫。
見るからに何かの研究室と言う風情である。
リナは知識欲が刺激されたのか、そこはかと無く目を輝かせつつ研究器具やらその周囲にある覚え書きっぽい紙片や書庫にある本の山に目をやっている。
まあ、このあたりはさすが魔術師と言う感じなんだけど――なんつーか、その。
「まあ、こう言うこともあるさ」
「はい……」
俺の肩をぽんと叩きつつ慰めの声をかけてくれる沙耶さんなのだが。
いや、やっぱりちょっと。
確かにこう言うこともあるってわかっているつもりなんだけど、やっぱりモンスターやらトラップやらを乗り越えたその向こう、ダンジョン最深部には宝の山があって欲しいわけで!
いやまあ確かに古文書とかその辺を持ち帰ればギルドはそれなりの値段で買い取ってくれるだろうけど、やっぱりこう盛り上がりとかそう言ったものが!
なんか考えているうちに地団駄踏みたくなってきたけど、そんなことを考えていてもしょうがない。
と言うかリナは目をきらきら輝かせつつ書庫に突入している。
なんかこう、肉体系冒険者と頭脳系冒険者の隔絶を感じた。
軽く鬱入りそうだったので同じく肉体系冒険者であるところの沙耶さんの方を見ると、沙耶さんは俺の気持ちを理解してくれたのか、苦笑しつつ口を開いた。
「まあ何かあるかもしれないし、アタシたちはこっちの部屋をもうちょっと探してみようか」
「そうっすね……」
「じゃあアタシは周りの棚調べてみるから、ユウ坊は真ん中のテーブル調べてくれ」
「うぃーっす」
まあ確かにいつまでもぐちぐちしていてもしょうがないので、沙耶さんに言われた通り探索に精を出してみる。
とは言ってみても、さっき見た通り研究室らしくて俺の頭では何のことやらさっぱりわからないどころか読むことすら出来ない紙片とよくわからない実験器具。
「うー……」
なんかさっぱりわからないので適当に引っ掻き回してみたくなったりもするが、貴重なものが混ざっていたりすると困るので、リナに見てもらうまで下手なことは出来ない。
それならと思って沙耶さんの方をチラッと見てみたりもするが、沙耶さんの方も似たり寄ったりな状況っぽい。
しかもあっちはフラスコやらよくわからん液体のつまった試験管やらがあるのでこっちにも増して慎重な作業が要されそうだ。
「……俺がやってたら何本か割ってそうだな」
まあ、その辺沙耶さんはさすがだと思う。
言っちゃ悪いが普段は結構がさつなイメージがあるけど、必要な時は繊細になれる。
これが一人前の冒険者ってものなのかもしれない。
冒険者どうこうじゃ無くガキか大人かという差のような気もするけど、それが大人だと言うなら俺はガキだっていい!
……いかん。なかなか成果の上がらない探索に色々限界だ。
書庫の方を見てみるとリナは絶賛古文書調査中らしいので、軽く休憩をとらせてもらおう。
「うー……」
いつの間にやら緊張し切っていた筋肉やら神経やらを軽くほぐしつつ、地面に座りこむ。
考えてみるとこのダンジョンに潜ってからかなりの時間が経っている気がする。
学園時代の練習ダンジョンじゃないので制限時間があるわけじゃないが、その分疲労回復のタイミングは自分たちで見極めなければいけない。
「沙耶さんも――」
休憩したらどうですか、と言おうと思った声が途中で止まった。
「どしたい、ユウ坊?」
「いや、ちょっと……」
沙耶さんへの返事もほどほどに、机の表面にへばりつく。
「なんかここのところの板が……」
座りこんで気づいたんだけど、微妙に色が違う。
慎重に表面をなでていくと、その板がずれて――
「外れました」
「おお、やったじゃないか!」
沙耶さんも側にやってきて、心なしか浮かれたような声でそう言う。
うん、やっぱり冒険はこうじゃないとな。
罠がないか慎重に探ってからその中に手を入れてみると、何か固いものに指先が触れる。
「よし!」
それを掴んで取りだすと――
「箱だね」
「箱ですね」
少し拍子抜けだった。
いや、ほんとに箱としか言いようがなかった。
サイズとしては片手に少し余るぐらい。
何の装飾も飾りっけもない、箱というよりはケースと言ったほうがしっくりきそうなものだった。実際ケースなのかもしれないが。
「ユウ坊、開けてみなよ」
「はい。……ん?」
「どうしたんだい?」
「なんか鍵がかかってるみたいで……」
そう、箱には鍵がかかっていた。
まあ、当然っちゃ当然かもしれないが。
しばらく調べて見るが、思いの他手ごわい鍵でびくともしない。
一応スカウトの経験はそれなりに積んではいるつもりだけど、どう見ても俺の手には余る。
「どれ、貸してみな」
「はい、どうぞ」
いくらいじってみて開かないので、沙耶さんに言われて素直に渡す。
受け取った沙耶さんはというと、真剣な表情で鍵の周辺を様々な方向から見始める。
沙耶さん、戦士専業だと思ってたんだけど、ひょっとしてスカウトの修行も積んでるんだろうか。
まあS級冒険者なわけだし、この程度の鍵を開けることなんか簡単なことなのかもしれない。
その証拠に、そんなことを考えている間に沙耶さんは精神を集中させるかのように目をつぶり――
「ふん!」
バキ。
力ずくてこじ開けた。
何の道具も使わず。素手で。その両手のみで。
「はっはっは。どんなもんだい」
「何というか……凄いですね」
沙耶さんに得意そうに言われると、苦笑するぐらいのことしかできなかった。
「『押してもダメならこじ開けろ』ってのは冒険者の基本だぞ?」
はっはっは、と。
沙耶さんは本当に得意そうに笑った。
「お姉ちゃん、静かにして!」
そしてリナに怒られた。
「あ、ああ。ごめん」
そして素直に謝った。
「はっはっは。沙耶さん、調子に乗りすぎですよ」
「ユウキも!」
「ごめんなさい」
俺も怒られた。
どうやら古文書解読に集中したいリナさんのお気に障りまくったようだった。
「二人とも、素人じゃないんだから。ダンジョンの中で騒いじゃいけないなんて基本でしょ?」
「はい」
「ほんとすいません……」
二人で小さくなって謝ったら気がすんだのか、リナは「全くもう」とか言いながら古文書解読に戻ったようだった。
二人揃って安堵の息を吐く。
「ユウ坊、アンタあの子の彼氏だろ? もうちょっとびしっとだね」
「それ言ったら沙耶さんなんて実の姉じゃないですか」
そして(リナにまた怒られそうなので)小声で愚痴をこぼしあった。
ちょっと情けない気分になった。
わりと長い時間そんな不毛ないい争いをしていた気がするんだけど、リナはと言うと相変わらず古文書に夢中っぽかった。
俺、パートナーで恋人だった気がするんですがどうですかお客さん。
「そう言えば、箱の中身」
「ああ、そうですね」
なんか居たたまれない雰囲気に包まれつつあったが、とりあえず気を取りなおしてさっきの箱の中身を確認することにする。
「じゃ、開けるよ」という沙耶さんの言葉にこくりとうなずき、慎重に箱を開ける沙耶さんの手元をじっと見守る。
古い箱のわりに音も立たずに蓋は開き、中には――
「……なんだい、これは?」
沙耶さんが箱の中を見ているが、さっぱりわからないのか首をかしげている。
「なんか甘い匂いがするけど……」
言われて鼻をひくつかせてみると、確かになんだか甘い匂いがする。
「俺にも見せてくださいよ」
「そうだね、ほら」
沙耶さんはケースの中から無造作にそれを取りだすと、俺に手渡してくれた。
「茶色いですね」
「ああ、」
茶色かった。
そのまんまだが。
手にとってしげしげと眺めてみるが、さっぱりわからない。
「んー……」
茶色い。
そして甘い匂いがする。
そんでもって――
「うわ、なんかこれ手につきますよ」
手に持ったまましばらく見ていると、ソレを掴んでいた手に茶色いのがべったりついていた。
どうやら手で持っていると溶けだすっぽい。
「うわ。ユウ坊、急いで――」
「はいっ!」
沙耶さんに言われて俺は
ぱくり
かぶりついてみた。
「何してんだい、ユウ坊!」
「いや、何って沙耶さんが急げっていうから――」
「『急いで洗いな』って言おうと思ったんだよ! それを何でアンタは口の中に――」
ごくり。
「今なんか『ごくり』って音がしたね」
「いや、つい」
「ついじゃないよ!」
「ユウキ!?」
騒ぎに気がついたのか、リナもこっちの部屋にやってきて心配そうな表情を見せている。
「とりあえず甘かったし、毒じゃないっぽいですけど――」
「バカ! 遅効性の毒かもしれないし、毒じゃ無くてもどんな副作用があるかわかったもんじゃないだろう!?」
「ユウキ、口を早く濯いで、その手に持ってるのをこっちに渡して!」
「あ、ああ……」
二人に言われるままに、水筒に残っていた水で口の中を濯いで手に持っていたものをリナに手渡す。
「わたしはこれについて何かないか調べてみるから、お姉ちゃんはユウキをお願い!」
「ああ、まかせときな!」
リナはそう言って書庫へと駆け込んで行き、沙耶さんは俺の方に向き直る。
「あの、すいません。俺――」
「済んだことを言っててもしょうがないから、早くユウ坊は横になりな!」
「は、はい!」
「全く、なんであんなもん食っちまったんだか――」
そう言って本当に心配そうな表情を見せる沙耶さんに大して俺のできることは、すいませんと謝りながら、言われた通りに大人しく横になることぐらいだった。
「しかしまったく、なんであんなもん食おうと思ったんだい」
「いや、何だかあの匂いを嗅いだらどうにもこうにも口に入れたくなって――」
沙耶さんからの問いに、寝返りをうちながらそう答えた。
「全く。どんな状況でも食欲をなくさないのは冒険者としていいことだけど、それにしたって時と場合ってものがあるだろうに」
「面目次第もありません……」
本当に面目次第もない。
沙耶さんにはこうやって心配かけてしまっているし、リナはさっきからもう一時間近くたつっていうのに書庫にこもりっぱなしだ。
さっきちらっと様子が見えたけど、まさに鬼気迫るといった感じで片っ端から書物に目を通していた。
声をかけてみたりもしたんだけど、返事はなかった。よっぽど集中しているらしい。
もどかしい。
ごろりと寝返りをうちながらそんなことを思う。
元はと言えば自分の不注意が原因だと言うのに、自分には何一つ出来ないこの現状。
ちなみにさっき『食べたものなら吐けばいいじゃないか』と思いたって部屋の外でひとしきり吐いてきたが、状況が変わった様子はない。
と言うかさっきアレを食べて以来、特に変わったことは起きていないのだ。
ひょとしたらもう大丈夫なのかもしれないが、予断を許さない状況なのかもしれない。
本当にもどかしい。
今までの人生で色々なことがあった。
親父が行方不明になって、親父を探すために冒険者になるって決めて。
ファルネーゼに入学したと思ったらリカルドと揉めて退学になって、光稜に転入したと思ったら、そこからはあのドタバタの毎日。あまつさえ最後には破壊神やら魔王やら。
色んなことがあったけれど、こんな――自分ではどうにもできず、他人に全てをゆだねるだけしかない状況というのは、本当にもどかしい。もどかしくてしょうがない。
そう思ってもう一度ごろりと寝返りを――
「こら」
べちり。
寝返りをうとうと思ったら沙耶さんに殴られた。
いや、『殴られた』と言うより『ぶたれた』と言った感じの方が近い気もするが。
場所はおでこだったし、平手で軽くだったし。
「全くさっきから見てるとごろごろごろごろと。少しは落ち着きなって」
「いや、でもですね――」
「いいから。アレが毒か何かだったとしたら、それが体に回らないように少しでも動かないほうがいいんだから。アンタの今の仕事はおとなしくしてること! わかったかい?」
「それはわかってるつもりなんですけど――」
「なんだい」
「石畳に直に寝そべるのはちょっと――」
まあ一応毛布を敷いてはいるのだが、それでも何と言うかその、有り体に言えば背中とか後頭部とかごりごりしてちょっと痛い。一応体は楽にしたほうがいいだろうってことでよろいは脱いでるんだけど、薄着になった分ほぼ直にその感触が伝わって来て。
普段だったら気にもならないと思うんだけど、神経が過敏になってるんだかなんなんだか、気になってしょうがない。
そんなもんでもう一度寝返りを――
「ええいこの!」
むんずひょいぼす。
「これで落ち着いたかい?」
「――え?」
「どうなんだい?」
「いえ、まあ落ち着きましたけど――」
「よし!」
俺の何だかはっきりしない答えに、沙耶さんは満面の笑みを浮かべてそう返した。
その笑顔は俺の真正面からと言うか近くからって言うかええいいいから落ち着け俺。
まあその、なんだ。
順を追って説明しよう。
とりあえず俺が落ち着き無く寝返りをうとうと思ったら沙耶さんが業を煮やして――ここが「ええいこの」の部分。
俺の顔面をアイアンクロー気味に引っつかんで持ち上げ――ここがむんずひょいの部分。
そしておもむろに沙耶さんは座って俺の頭を自分の膝の上に置いた。
えーと、つまりなんだ。
It's a HIZAMAKURA.
いやそんな英語はない。て言うか英語ってなんだ。そんなことはどうでもいい。
えーとつまりその、俺はなんというか、沙耶さんに膝枕されていた。
「――って、沙耶さん!?」
理解したその瞬間、多分俺の顔は真っ赤になっていたと思う。
「なに照れてるんだい、今までにやってあげたことだったあるじゃないか」
「それ、ガキのときの話じゃないですかっ!」
沙耶さんは何だか満足そうに笑いながらそんなことを言っているが、俺はそれに冷静に受け答えできる状態ではなかった。
いやまあ確かに沙耶さんの言う通り、ガキの頃に何度かしてもらった記憶はあるんだけどそれはそれって言うやつで。
そんな感じでうろたえていると、沙耶さんが口を開く。
「それよりどうだい、固くないかい?」
「そんなことないですけど、なんでですか?」
「いや、普段リナにしてもらってるんだろうし、アタシみたいに筋肉のついた太股じゃ嬉しくないだろうな、なーんて」
「何言ってるんですか沙耶さん!」
「おや、してもらってないのかい?」
「いや、確かにたまにしてもらってますけどってそうじゃなく!」
うん、そうじゃない。
確かにリナの膝枕はいいものだけど、沙耶さんのそれが固いかなんていうとそんなことはなく。
「なんて言えばいいのかいまいち思いつきませんけど、とりあえず気持ちいいです!」
「あ……ああ、それならいいんだ……」
叫んだら沙耶さんは頬を赤くして顔をそらした。
うん、そんな沙耶さんも可愛いってちょっと待て俺、今なんか凄い恥ずかしいこと言わなかったか?
思い起こすとなんというかその、実にストレートな言葉で。
いや、嘘を吐いたつもりなんか全く無いし、素直な俺の今の気持ちなんだけどっていや、だから、ちょっと。
そんなこと思って軽くパニクってる間も沙耶さんは顔をそらしたままで、それが俺の言った言葉の恥ずかしさをより一層意識させることになって。
そんなわけで俺の顔もきっと真っ赤になってると思う。
頬は何だか熱を持ってるし、何だか意識もボーっとして来たし。
ただ神経だけが過敏になって、頭の中は沙耶さんの匂いと体温と、そしてかすかな震えを感じとる。
そして俺の心音は全身が心臓になったんじゃないかと思えるほどドキドキと大きな音で鳴り響き、喉はからからに渇いて水分を欲しだしている。
「……ユウ坊?」
どれだけの時間が経ったのかはわからないけど、気がついたら沙耶さんは俺の顔を心配そうに覗きこんでいた。
その頬はまだ微かと赤いけど、その表情は真剣で。
「ユウ坊!?」
「……ああ、沙耶さん」
心配そうに俺の名前を呼ぶ沙耶さんにそう答えるが、ちゃんと言葉に出来たかどうか自信がない。
口の中がカラカラなのだ。
いつの間にか俺の全身を満たした熱は、遠慮も容赦も何も無く俺の口の中から水分を奪い去っていた。
「ユウ坊、水かい? ちょっと待ってな!」
俺の様子がおかしいと気づいたのか、沙耶さんは慌てて自分の水筒の蓋を開けようとしている。
でも、そんなもの必要ない。
そう、水分が欲しいだけなら別なところに――
「沙耶さん……」
「ユウ坊、いま水を――」
沙耶さんの言葉が発せられることはなかった。
それもそのはず、言葉を発するはずの沙耶さんの口は、俺の口で塞がれているんだから。
「んぅ――!」
数瞬たった後に何をされたのか理解出来たのか、沙耶さんはあわてて跳びのこうとするけどそうはいかない。俺は身を起こして沙耶さんの唇にむしゃぶりつき、そしてその唇と白い歯をこじ開けて舌を挿しこみ、沙耶さんの唾液をすすりとる。
「んくっ、んくっ……」
甘露と言う表現がぴったりだった。
沙耶さんからすすりとったそれはまさに五臓六腑に染み渡り、俺の体の中で熱と力に変わって行く。
そしてそのまま沙耶さんを押し倒し、そこでやっと唇を離す。
沙耶さんは幾分潤んだ瞳を見せつつも、戸惑いと怒りをあらわに食ってかかる。
「ユウ坊、アンタ――」
しかしそんな言葉を聞くつもりはない。
「沙耶さん」
沙耶さんの言葉を遮るように呼びかけるが、沙耶さんも俺の言葉を聞く気は無いようだ。
「なんだい、今更謝ったって――!」
「好きです」
「え?」
固まった。
見事に固まった。
口は半開きのまま、何を言われたのかわからないといった感じの表情で固まっている。
だから俺は繰り返す。
「好きなんです、沙耶さん」
そう言って今度は沙耶さんの言葉を待つことなく、再び口付け、舌を入れる。
少しの間逃れようと抵抗していたけれどそれは明らかに普段と比べて弱々しく、やがてその抵抗も止んでくたりと横たわった。
そこまで確認してから俺はゆっくりと唇を離し、胸元に手を延ばす。
そして服の前を開け、その豊かな胸をあらわにしようとしたところで止められた。
「ダメだ……」
しかしその、俺を押しとどめる両手はあまりに弱々しく。このまま力をこめればあっさり振り払えそうだけど、そんなことはせずに耳元に囁きかける。
「沙耶さん、いいでしょう?」
「ダメ……」
まだ強情に拒絶の言葉を繰り返す沙耶さんの耳を軽くかむ。
「ひゃんっ!」
「沙耶さん、俺のこと嫌いですか?」
「そんなこと…・・・」
「だったらいいじゃないですか」
「でも、お前にはリナが……」
「俺は『沙耶さんが』どう思ってるのか聞きたいんです」
そして俺は、もう一度その胸元に手を延ばした。
「あったわ、これよ!」
我ながら驚異的な集中力と凄まじい速度で古文書を解読した結果、やっと目的の資料を発見できた。
手がかりはユウキが口にしたソレの表面に刻まれていた紋様。
三分の一ほどは食べられて無くなっていたけれど、それでもなんとか判別できた。
「どれどれ……」
やはりここを使っていた研究者の作成したアイテムらしく、素材と製法が書かれたその先にアイテムの効果と名称が書き記されていた。
「聖バランタンのチョコレート」
女性から男性に手渡され、それを体内に摂取した場合に効果を発揮する。
強力な精力増進作用と催淫作用効果あり。
効果は絶大。持続時間は数時間程度。
これで彼のハートもイチコロ!
「解毒剤はないけど……時間が過ぎれば効果は切れるのね。よかった」
ほっと一安心。
ユウキがいきなり食べたのは予想外だったけど、特に危険なものってわけでもないらしいし、効果も自然と切れるって書いてあるし。
私はほっと一息ついて、側に置いてあるそれをもう一度見る。
「精力増進か……」
ぼふっ、と。
自分でも赤くなったのがわかった。
いやだって、ほら。しょうないじゃない。ねえ?
「と、とりあえず二人のところに戻らないとね!」
誰に言うとでも無くそう言うとわたしはソレをケースに入れなおして、バックパックに仕舞い込む。
いやだって、貴重なものっぽいし、このダンジョンで見つけた唯一のマジックアイテムだし!
「……ん?」
何か頭に引っかかる。
なんだろう。さっきの説明文が妙に気になってしょうがないんだけど。
「ま、いっか。とりあえず、ユウキとお姉ちゃんのところに」
そう言ってアーチをくぐって隣の部屋に入るのと、
「あぁーーーーーーっ!」
甲高い声が響いたのはほぼ同時だった。
「え?」
どうやら何か決定的に手遅れだったっぽい。
「え?」
「どうしたの? 沙耶さん」
「駄目……もう、無理……」
「そんなこと言って。まだまだこんなもんじゃないよ?
そして精力増進の効果も確かっぽい。
おまけ
古文書にあった効果に間違いが無かったように、効果時間についても間違いは無く、あの後しばらくして効果は切れてユウキも元に戻った。
戻ったのだが。
「ユウ坊、クエストの話持ってきたぞー」
「お姉ちゃん、最近よく来るようになったわね」
「……そうだな」
「お姉ちゃん、最近化粧とかに気を使うようになったみないなのよ」
「ふ、ふーん。いいんじゃないかな? 別に?」
なんだか元に戻らず別方向に進展しつつあるものもあったりする。
薙原ユウキの、明日はどっちだ。
「ユウキ、一昨日の晩何処に行ってたの?」
「あ、あっしにゃなんのことやら!」
明日はどっちだ。
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