聖杯戦争が終わって、二年の月日が流れた。
ロンドンでの生活も大分落ち着きを見せたところで協会からの許可も出て、わたしこと遠坂凛は一週間の休暇を手に入れて日本へと帰ってきた。
それからもう十日が過ぎ、本来ならとっくにロンドンに戻っていなければならないはずなんだけど。
四日前、ロンドンに戻る準備をしていたわたしのもとに通信用の使い魔が一枚の封書を持ってきた。
協会の印章が押され、魔術で封印された封書の中には一枚の便箋が入っていて、ただ一言記されていた。
「Aozaki is strike back」
聞いた話だと、時計塔が崩壊したらしい。
それだけ聞けば十分だし、それ以上聞かないとも思わない。
『蒼崎には関わるな』
それは全魔術師の間で暗黙の了解だったし、それを破ろうなんて気は全く無い。
一度あの姉妹の戦いを見たことがあるが、あれに比べればサーヴァントの戦いもかわいく見えてくる。いや比喩とか誇張は一切なく。
まあ、そんなわけで時計塔が機能を復旧させて連絡が来るまでは冬木市に留まることに決めて、一応弟子である衛宮くんの様子を見るために衛宮家に入り浸ってるわけなんだけど。
何故かいま、桜と二人っきりでお茶を飲んでいたりする。
いや。桜とお茶を飲むのが嫌ってわけじゃないし、長いこといっしょに住むことができなかった妹といっしょに過ごすのは楽しいことなんだけど。
こんなぴりぴりした空気はごめんである。
朝、いつものように衛宮家に来て衛宮くんと桜の作った朝ご飯を食べて。
しばらくは三人で楽しく話してたりしてたんだけど、夜になって衛宮くんが魔術の鍛錬をしに土蔵に行くと言い出したことで全てが変わった。
いや、鍛錬すること自体は問題無い。
昔はいつ死ぬかわからないような鍛錬をしていたけど、魔術回路の使い方を覚えてからは生命に関わるようなことはしていないみたいだし。
とりあえず今の目標はアーチャーの固有結界を再現できるようにするためだとか。
まあ、一応一時的とはいえ弟子だった人間が鍛錬するんなら師匠が横で見ていてアドバイスぐらいしても問題無いだろう。
そう思って「それじゃあわたしも」いっしょに行くわ、と続けようとした台詞は桜の声に遮られた。
「ダメです、先輩の邪魔しないで下さい!」
普段怒鳴ったりしない桜のえらい剣幕にはちょっと驚かされたけど、結局衛宮くんは土蔵に向かった。桜も、衛宮くんが一人で鍛錬するなら止める気は無いらしい。
まあそんなわけで、姉妹水入らずで緊迫したひと時を過ごしている。
なんとなく間が持たなくておかわりしつづけたお茶は五杯目を数えた。さすがにもう限界。
そろそろ席を立とうか、とか考えてたら桜のほうから話し掛けてきた。
「姉さん、ロンドンではどうですか?」
「ん?まあそれなりにうまくやってるわ。気に食わないやつもいるけど」
「……ロンドンに恋人とか、いないんですか?」
「ちょっとねー。なかなかどうも」
「姉さんだったらすぐに見つかると思うんですけど」
「まあ、確かに言い寄ってくるやつもいるんだけど」
会話が止まる。
なんてことのない姉妹の間の、近況報告を兼ねた世間話。
でも、その裏にある桜の聞きたいことはよくわかる。
だからわたしも、逃げずに正々堂々と答えることにした。
「桜、言っておくことがあるんだけど」
「先輩は譲りませんから」
答えさせてくれなかった。
まさか桜がこんなに強く……言う娘だったか。
なんたって、育った家は違ってもわたしの妹なんだし。
「……言うようになったわね」
「姉さん、諦めたんじゃなかったんですか?」
「諦めたってのとはちょっと違うわね」
そう、確かに『諦めた』というのとは違うと思う。
聖杯戦争が終わってその後の教会での審問もうやむやに終わって、魔法使いの爺さんのおかげもあってロンドンに住むことになった。
ロンドンに住むってことは当然日本にはいられないってことで、せっかくいっしょに住めるようになった桜と離れ離れになるってことで。
でも桜には桜を大事に思ってくれる人がいて。
まあちょっと複雑な気持ちだったけどわたしはロンドンに旅立った。
そしてロンドンでは色々あって。
友達も出来たしライバルっぽいのも出来たし、馴染みの店も出来たし自分の生活拠点みたいなものがしっかり定まったと思う。
それでまあ、あれだ。いろんな男に言い寄られたりもした。
当然魔術師ばかりなんだけどそれでもタイプは様々で、金持ちやら美男子やら貴族の御曹司やらマッチョやら優男やら。人種も実に様々で、魔術師としての実力も相当な人ばかりだったんだけど。
そういう話をされるたびになんかしっくり来なくて断って、そんな男のうち一人がこんなことを言った。
「トオサカは、故郷に好きな男がいるんだろ?」
言われて初めて気がついた。
いや、今まで気づかないふりしてごまかしていたものが、ごまかせなくなった。
いままでいろんな男に言い寄られて「しっくりこない」と思って断ってきたんだけど、『それじゃあしっくり来るのは誰なのか』というと、自分の知る限りでは衛宮士郎以外にありえなかった。
「ああ、こりゃこまったぞ」
気づいてみたけど後の祭りってやつか。
まさか妹の恋人を奪うわけにもいかないし、そんなことを思いながら公園のベンチに座っていると、となりに座った爺さんに声をかけられた。
「どうした、悩み事かね」
言われてそっちを見てみると、そこにいたのは自分がよく知ってる老人だった。
宝石のゼルレッチ。
第二魔法を使う魔法使いにして遠坂の大師父。
そしてなにより、先の審問でわたしを助けてくれた人物。
「いや、その……」
礼を言うべきか挨拶をするべきか、それとも問いに答えるべきかと迷っていると、目の前にいる魔法使いはにやりと笑ってもう一度問い掛けてきた。
「恋の悩みか」
「いやなにをそんな突然!」
真正面からストレートに聞かれて思わず焦ってしまう。
世界でも五人しかいない魔法使いのはずのこの人は、なんでこんなに楽しそうなんだろう。
なんか『老魔法使い』というより『近所の噂話好きの世話焼きな爺さん』って言ったほうがしっくり来る気がする。っていうか多分そのまんまなんだろう、きっと。
わたしが真っ赤になって慌てるのを見て納得したのか、世話焼きな爺さんは『我が意を得たり』とばかりににやりと笑って話し始めた。
「ワシが世話役をしていた女性が今、日本にいてな。かの人も今のおぬしと同じような状況にいるのだよ」
「え?」
「惚れた男の周りには数人の女性がいてな。そのライバルはそう……今では六人か七人か。しかもその女性たちも一筋縄では行かないものばかりでな」
遠い空を見るようなゼルレッチ。
やっぱり多分、この人はこういう顔が素顔なんだと思う。
こういう爺さんがたまたま魔法を使えるだけ。
「その女性がそんな状況にさらされるのはまあ、行ってみれば不慮の事態というやつでな。この爺も心配していたのだが……」
そしてわたしはゼルレッチの話に耳を傾けた。
「それで、その女性はどうしたんですか?」
桜は、わたしに話の続きを催促する。
「真っ向からライバルたちに勝負を挑んだそうよ」
「えーと、それは」
「衛宮くんは貰うわ」
「ダメですっ!」
その間0.3秒。
わたしの意見は即座に却下された。
でも、決心したんだから今更引き下がるつもりも無い。
「桜、あなたに遠坂の家訓の一つを教えてあげるわ」
「なんですか一体」
「『欲しいものは手段を選ばず、自らの力で手に入れろ』」
「……誰がそんな物騒な家訓を」
「遠坂の現当主が」
「姉さんじゃないですかっ!」
「大丈夫。まあ桜が相手なら浮気も許してあげるから」
「先輩は私の恋人ですっ!浮気相手は姉さんのほうですっ!」
「あら、衛宮君が浮気するのは認めてくれるんだ」
「ダメですっ!」
「第一あんた『恋人だ』とか言うけど未だに衛宮君のことを『先輩』なんて呼んじゃって。進歩が無いと言うか何と言うか」
「姉さんだって『衛宮くん』って」
「じゃあ、今から『士郎』って呼ぶことにするわ。今までは一応桜に遠慮してたんだけどね」
わたしがそう宣言すると、桜はゆっくりと立ち上がった。
わたしもそれに応えるように立ち上がる。
意見が交わることなく平行線をたどることになって、それでも互いに譲れないものがある場合に魔術師がとる行動はただ一つ。
「姉さん。悪いですけど、姉さんと今の私じゃ魔力量にはもう決して埋められないほどの差があるんです。謝るなら今のうちですよ」
そう言って桜は魔術回路を活性化させる。聖杯から引き出した底なしの魔力は決して聞こえない唸りをあげて、足元の影がゆらゆらと蠢き出す。
「あなたもわからない子ね。魔術戦は魔力量のみで戦うわけじゃないの。いくら魔力を持っていても、使えないようじゃ意味が無いわ」
そう言ってわたしもポケットに手を。
万一の時のために所持しておいた宝石は三つ。
いくら桜の魔力が膨大だろうと、実戦経験と魔術を操る能力ではわたしには敵わないはずだ。
だから勝負は最初の一手が肝心。
純粋な力押しになれば桜が有利になるし、速度と手数が重要になる技術戦ならわたしが有利。
だからこそ互いに最初の一手を出せずにいる。
互いに現在の戦力は同等。しかし桜にはまだ手札がある。しかも極上の切り札。
「サクラ、リン、何をしているんですか?」
「くっ」
そしてその切り札から声がかかる。
メデューサの英霊、ライダーのサーヴァント。
彼女は聖杯が失われた今でもかわらず桜のもとで過ごしている。
「姉さんにちょっと痛い目を見せてあげるの」
「聞き分けの無い妹にはお仕置きして上げないとね」
援軍が到着して、勝ち誇ったような声を出す桜に強がってみせるが、状況は圧倒的にこっちが不利。
純粋な力押しでは桜にかなわないというのに、速度と手数はライダーに封じられる。
「リン。聖杯無き今でも、私は今も変わらずサクラのサーヴァントです。サクラに害をなすのならわたしも傍観しているわけには行きません」
「覚悟の上よ」
向こうにライダーが加わったからといって、逃げ出すわけにはいかない。
なんとかこの状況を打開するために、目の前に立ちふさがる桜とライダーの一挙手一挙動を見極めようと目を凝らす。
魔力回路を稼動させ、呪文の詠唱を開始する桜。
そして主を守るために武器を取り出し、構えをとる白い騎兵。
……白い騎兵?
「ライダー?」
「何か」
「いや、何かっていうかその格好は……」
そう、ライダーの服はいつもの黒を基調とした服ではなく。
だからといって聖杯戦争当時の戦闘用のボディスーツでもなく。
白いYシャツ一枚きりだった。
シャツのすそからは白く美しい脚が伸び、締め切られていない胸元には見事な谷間が。
くそ。いくら英霊だからって、同じ女性なのにこの差はなんだ。
わたしだってプロポーションには自信がないわけじゃないけどライダーには……
いけない。混乱している。
ふと見ると桜も同じようなこと考えたのか、じっと自分の体を見下ろしている。
桜も結構プロポーションはいいけどライダーにはってそうじゃなく。
「えっと、その服は何かしら?」
「寝巻きですが何か」
何も恥かしいことなどないと言うかのように、平然と答えるライダー。
確かに、露出度で言えば聖杯戦争の時のあの服も大差なかった気はするけど。
「いや。えーと、パジャマとか持ってないの?」
「さっき、ちょっとした事故で破いてしまいまして」
「それなら、私とか姉さんのパジャマを」
桜も追求に加わる。
なんだかこう、予感がする。これは姉妹喧嘩とかしてる場合ではない気がする。
そしてその予感は的中した。
「残念ですが、サクラとリンはわたしに比べると身長が低すぎる。士郎の体格が私に一番近い」
「「……え?」」
ライダーの爆弾発言に思わず固まるわたしと桜。
「ですから、士郎の体格が」
「いや、それはわかったんだけど」
「ライダー、するとそのシャツは……」
「はい、士郎のものです。パジャマが破れて困っていたら、『これでも着ておけ』と言って譲ってくれました」
ああ、なんだかその光景が目に浮かぶような気がする。
あいつは特に変な考えがあったとかじゃなく、たまたま手元にあったものを渡したんだろう。渡した後どう思ったかは別として。
……あれ、ちょっと待って。
なんだかライダーの着てるシャツに見覚えがある気がする。
そりゃあ士郎のシャツなんだから見覚えもあるだろうけど、それだけじゃなく。
「ライダー?」
「はい、なんでしょうサクラ」
「そのシャツ、先輩が昼着ていたものと同じような気がするんだけど」
ああ、そういうことか。
さすが桜、士郎の恋人を名乗る……え?
「はい。パジャマを土蔵で派手に破いてしまいまして、そうしたら士郎が『これでも着ておけ』と」
「えーと、それは」
ちょっと待て。なんだかやな予感がする。
「士郎が自分の着ていたシャツをよこしてくれました」
問題はそこじゃない。そこも問題だけどもうひとつ聞かなきゃいけないことが。
「ライダー、いいかしら」
「なんでしょうか、リン」
「あなた、庭からこっちに来たように見えたんだけど」
「ええ。サクラとリンが争うのが見えましたので土蔵からまっすぐここに」
それを聞いて桜も思い当たったのか、若干顔を引きつらせつつ自分のサーヴァントに問いかける。
「ライダー。あなた、どこで着替えを」
「無論土蔵です。外で着替えるような趣味はありませんので」
「ちなみにその時士郎は」
「土蔵にいました」
ピキ。
あ、いけない。自分のこめかみが引きつる音が聞こえた。
「ライダー。それで先輩は今どうしてるのかしら?」
そう聞く桜も笑顔を浮かべてはいるが、プルプルと小刻みに震えてたりする。
まるで何かを堪えるように。
「恐らく休憩しているのではないかと。魔力を急激に失うと虚脱状態に陥るのはご存知かと思いますが」
うん。それはわたしも桜もよく知っている。
そしてライダーがやけに生き生きとしているのも見ればわかる。
しかもよく見るとシャツはなんだかしわとか寄ってるし、所々汚れてるし。
「姉さん、とりあえず一時休戦ということで構いませんね?」
「奇遇ね、桜。ちょうどわたしも同じこと言おうと思ってたのよ」
ほほほほほ、と二人で笑ったあとにふと見ると、もうライダーはいなかった。
まあいい。今はライダーを追及してる場合じゃないし、本気で逃げたライダーを捕まえることのできる生物なんてこの世にはいないだろうし。
今はそれより、
桜といっしょに、
土蔵に向かうのが先決だ。
「士郎―!!!」
「先輩―!!!」
その日、衛宮家ではガンドの嵐が吹きぬけたという。
ボロボロになった家を修復するのに一ヶ月かかったが、その間衛宮士郎はボロボロになった自分の家で過ごすことを余儀なくされたことを追記しておく。
「へっぷしん」
「大丈夫ですか、士郎」
「さんきゅ、ライダー」
「あ……」
士郎ちん、懲りる気配なし。
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