神話は繰り返される

 今日も先輩の腕の中で目覚めた。
 先輩、衛宮士郎、わたしの愛しい、かけがえの無い大切な人。
 この人と共にいられれば他には何もいらない。

 締め切った窓の隙間からは太陽の光が差し込んでいる。
 もう朝。
 かなうことなら朝なんか来ないで、このまま先輩に抱かれて時をすごしたい。
 でも、それはかなわない夢。
「ん……」
 この人は朝になるときっちりと目覚める。
 たまに寝坊することがあるけれど、それもごく稀。寝過ごす時間もほんの十分ほど。
 だからわたしは先輩の顔をじっと見つめる。
 この人が朝起きて、最初に見るものがわたしであるように。
「……おはよう、桜」
「はい。おはようございます、先輩」
 朝の挨拶をかわし、微笑みあう。
「あ、もうこんな時間か」
 わたしと朝の挨拶をかわした後、時計を見た先輩はちょっと慌てながらそんなことを言う。
 朝ご飯はなんにしよう、とか言いながら布団をはいでていって、着替える先輩。
 せっかくいい雰囲気だったんだからもうすこしゆっくりしててくれてもいいのに、と思うけれどもこれが先輩なんだ。
 こういう先輩をわたしは好きになった。
「桜?」
「はい?」
 物思いにふけっていると、着替え終わった先輩がこっちを見つめていた。
「朝ご飯の支度しに行くけど、桜はどうする?」
「はい。お手伝いします」
 わたしの答えに納得しきれないのか、うんとかなんとか言いながら怪訝そうな顔をしている先輩。
 先輩の考えていることはわかる。
 わたしがいつまでたっても布団から出て来ないのが不思議なんだろう。
 このまま布団の中にいると、
「桜? ひょっとして体調でも……」
「いえ、すこぶる健康です」
 悪いのか、と言おうとする先輩を遮って断言する。
 先輩はよく気がつく人で、体調が悪いのを隠していてもすぐ見破ってしまう。
 その後はかいがいしく看病してくれたりする。
 そんな時は本当によく気がつく人なんだけど、たまにとてつもなく気が付かなくなったりする。例えば今みたいな時に。
「桜?」
 本人には意地悪しようと言う気は全くなく、純粋に心配してくれているから始末が悪い。
 だからこっちも邪険に出来ずに、理由を説明するしかなくなる。
「……しぃんです」
「え?」
「恥かしいんです。着替えてるところを見られるのが」
 言いながら頬が熱を持つのがわかる。きっと今、わたしの顔は真っ赤に染まっているんだろう。
 だと言うのにこの人は、
「いやでも、着替えなんか今更」
 こんなことを言いやがるので廊下の方に向かって吹き飛ばした。
 魔力をぶつけて割と容赦なく。
「外で待っててください!」
「はい……」
 そう言いながらふすまを開けて、よろよろと廊下に出る先輩。
 もともと魔術師だったという先輩のお父さんが作ったこの家は結構頑丈で、今ぐらいの衝撃を受けてもふすまが破れたりはしない。
 先輩はちょっと痛かったかもしれないけど、そこは女の子に恥かしいこと言わせた罰ということにしよう。うん。
「まったく、どうして先輩は時々そんなにデリカシーがなくなるんですか」
「面目ない……」
 着替えながら外に声をかけると、そんな声が返ってくる。
 普段はわたしよりしっかりしている先輩が恐縮してるのがちょっと面白くて、追及の手をゆるめないことにする。
「いくら先輩だからって、見せたくない姿もあるんです。もうちょっとそれを考えてください」
「はい……」
 まだ恐縮してる先輩の声。
 でも納得いかないのか反論してきたりもする。
「でもだって、お互い裸を見てるわけだし……」
「それでもです。っていうかこんな時間にそんなこと言わないで下さい!」
 本当に、先輩は時々気配りを忘れてそんなことを言う。
 こんな朝早くに誰が聞いてるってこともないだろうけど、もう少しその辺を考えて欲しい。
 だと言うのに先輩は喋るのをやめない。
「昨日の夜は桜もあんなに」

 どがしゃあっ!

 まあ、魔術師の家のふすまといっても魔力弾の直撃に耐えられるようには出来てなかったみたいだ。わたしの照れ隠しの一撃で、ふすまは先輩を巻き込みつつ庭まで飛んでいった。
 それでもふすま自体が壊れないあたりさすがだけど。
「せせせ先輩! だから朝からそんなことは!」
 だめだ。うまく口が回ってくれない。
 まあ、さっきの先輩の言葉は事実なんだけどそれはあの事件の後遺症と言うかいやそれだけじゃないんだけどでも先輩も喜んでたしわたしも。
「まあ俺も嬉しいからいいんだけど」
 あ、だめだ。
 先輩の一言で本当に顔が真っ赤になるのがわかる。
 だってほら。毎日会ってるけどこういうのは一週間ぶりだったし
「ああいう桜を毎晩見られるなんて」
 ……あれ?
 なんだか先輩の言うこととわたしの記憶があってない気がする。
 ここ一週間のことを思い出してみる。
 うん、大丈夫。記憶は完璧。
 朝起きてから夜寝るまでのことは大体覚えてる。
「えーと、先輩?」
「ん?」
「その、わたし、一昨日の夜も先輩のところに」
「うん、来てくれたじゃないか」
 わたしの問いに先輩はそう答えてくれた。
 おかしい。
 一昨日の夜は姉さんのところで研究の手伝いをしていたはずだ。
 五大元素の属性を持つ姉さんが唯一苦手とする無属性に関する研究を手伝うからって呼ばれて。
 最近は結構頻繁に姉さんに呼び出される。
 先輩といっしょの家にいられないのは残念だけど、それでも長いことわたしの憧れだった姉さんの助けになれるのが嬉しくて夜更かししてしまい、あの日は姉さんの家に泊まって朝早く帰ってきた。
 間違いない。
「あの、一昨日のわたしは……」
「いやその、なんて言っていいか」
 さすがの先輩も言いづらいのか、顔を真っ赤にしながら話し始める。
 わたしも恥かしいんだけど、確かめないわけにはいかない。
「いつにも増して積極的に」
 しどろもどろになりつつ説明を始める先輩。
 その内容を聞いてわたしは部屋を出た。
「あの、桜?」
「先輩、すいませんけど朝ご飯の準備手伝えなくなりました」
「あ、ああ。わかった」
 それでは、とにっこりと笑って先輩を見送った後に目的地に向かう。
 奥の客間に猛ダッシュで。
 目的の部屋の前に着いて、
「ライダー!」
 とか叫びながら部屋の扉を開けるとその部屋にいた人物は
「おはようございます、サクラ。朝からそう大きな声を出すのはどうかと思いますが」
 などとおっしゃりやがった。
 同姓から見ても普段から綺麗な肌をより一層つやつやとさせて。
「ライダー、あなたはわたしのサーヴァントよね?」
「はい。令呪を失い、聖杯も失われましたがサクラはわたしのマスターです」
「ありがとう」
「いえ、当然の事実ですから」
「もうひとつ。先輩のことは」
「サクラの愛する人でしょう。将来を共にすることを誓った男性だと言うことも理解しています」
 わたしの問いに、いつもの理知的な表情で淡々と答えるライダー。
 ひょっとしてわたしの早とちりだったんだろうか。
 そんなことを思い始めながら最後の問いを投げかける。
「念のために聞くけど、先輩とその……変なことしたりしてないわよね?」
「はい。士郎の精気を頂いているぐらいです」
 平然とそう答えるライダー。
 ああよかった。全くどうかしている、わたしをずっと守っていてくれたライダーを疑うなんて。ライダーが女性だからって英霊なだし先輩となにか
「ええええええっ!?」
「ですからサクラ、朝から大きな声を出すのはあまり関心できませんが」
「いやあのライダー、いまなんて」
「士郎の精気を頂いていると」
「それはつまり」
「……いくらサクラの問いと言っても、その問いに対して答えるのはちょっと」
 いやそこでぽっ、とか頬染められても。
「ライダー、それはわたしからの魔力供給が足りないとでも言うのかしら?」
「いえ、サクラから供給される魔力は質・量ともに問題はありません。必要であれば宝具の使用すら可能なレベルです」
「じゃあどうして」
「いつも美味しいご飯を食べて満足していても、たまにはパンとステーキとかを食べたくなるものです」
「いや、あの」
「ちなみにわたしはステーキ派です」
「でも先輩がライダーになんて、そんな」
「そう思いましたので、士郎に暗示をかけて私をサクラだと認識させています。何ら問題ありません」
 ああなんだ一昨日の話はそういうことかそれなら安心
「……じゃなくて! 死なない程度に人の精気を吸うのなら止めないから、後から出てきて先輩に手を出さないで!」
 この場で一戦繰り広げることすら覚悟して、魔術回路を起動する。
 あの戦い以来使っていなかった、敵を殲滅するための魔術構成。いかにライダーがサーヴァントと言っても今のわたしの魔力なら−
「サクラ、それは前提が間違っている」
「え?」
 わたしの気迫なんか気にもしないでライダーは平然と喋る。
「士郎に最初に手を出したのは私ですから、どちらかというと『後から出てきて手を出した』のは貴方の方になります」
「え?え?」
「私が士郎と初めて交わったのは2月4日ですから」
「いやそれって」
 思いっきり聖杯戦争真っ只中なような。
「ちなみに『夕暮れの教室でリンと』というシチュエーションで」
 ああいや、でもほら。順番とかはそんな重要じゃない気がしてきたし。
「っていうかそれは」
「私も初めてだったのに士郎はあんなに激しく何回も」
 ああ、そうすると先輩とライダーはいやいけないそんなことは重要じゃない。
 あの人は言った。過去にとらわれず今を生きろとかそんな感じのことを。
 なんか自信ないけど言われたことにしようこの際だから。
「で、でも先輩は今現在わたしの恋人なんですからそんな浮気みたいなことは」
 何とか心を落ち着けて反論するわたしに、ライダーは相変わらず冷静に返してきた。
「サクラ、私が何の英霊かはご存知かと思いますが」
「え、ええ。メデューサの英霊でしょ?」
 ライダーが何を言いたいのか今ひとつわからない。
「ギリシャ神話に伝わるメデューサは、アンフィトリテという妻がいるポセイドンと女神アテナの神殿で契りを結びました。そしてそれに怒ったアンフィトリテはメデューサに呪いをかけ、その眼は石化の魔眼となったわけですが」
「それは、つまり?」
「メデューサの英霊である私が妻のいる男性に燃えるのは神話の時代から続く必然」
「いやそんな堂々と言われても」
「問答無用です、サクラ」
 そう言うとライダーは飛びのき、間合いを取る。
 瞬間、ライダーに対する魔力供給を断ったけれども、状況はさしてかわらない。
 嘘をつかない彼女自身がさっき言った通り、宝具の使用すら可能なんだろう。
 こんな街中で宝具を使うとは思わないけど、それでもライダーは人知を超えた英霊でありサーヴァント。
 その挙動から目をそらしてはいけない。
 この状況で一瞬でも気を抜くということは、即ち敗北を意味する−

 彼女はこっちをじっと見つめている。

―――――魔眼殺しを外す気配ははない。邪眼を使うまでもないということか。
 その身がゆっくりと沈む。
―――――それはライダーが全速で迅る体制。
 そして静かに息を吸い込み、
―――――来るっ!!
 猛ダッシュで窓から走り去った。






「……え?」
 ライダーは目の前からいなくなった。
 ライダーの私室として使っている客間の窓から逃げて行った。
 窓が開いてる所を見ると、ひょっとして最初からそのつもりだったのかもしれない。
「えーと」
 魔力の供給を断ったのでライダーの場所はつかめない。
 どうしたものかと思っていると、台所のほうから物音が聞こえた。
「まさか!?」
 慌てて客間を飛び出て台所に向かう。
 台所まで行く必要はなかった。居間に面した衛宮家の広い中庭。その上空には、羽持つ白馬が居た。
「ライダー!」
「神話の時代から、婚姻の邪魔をされると神々は相手をさらって逃げたものです」
「いや、メデューサはそんなことしなかったでしょ!!」
 そう。ライダーはその手に先輩を抱きかかえていた。
 意識は無いみたいでぐったりしている。
「そして人間がそれを妨害しようと言うのならば神の住処まで赴く必要が」
「それってどこよ」
「ここは私の生地であるギリシャなどいかがでしょうか」
 いや、いかがでしょうかとか言われても。
 いくら私が魔術師でも所詮は一介の高校生だし。
 貯金だってそんなにはないし。
 どうすればいいのかと思案に暮れる私の脳裏に、この状況での絶対的な解決策が閃いた。
「でもライダー、あなたの今の魔力でそんなところまで」
「はい。サクラが魔力の供給を再開してくれなければ途中で力尽きるかもしれません」
「それがわかっているなら……」
 諦めなさい、と。
 そう言おうと思ってもうひとつ思いついてしまった。
 契約者からの供給以外に行える魔力の補給方法。
「むしろ私としてはそちらでも構いませんが」
 そう言ったライダーの顔は何を想像しているのか、ほのかに上気していて同性のわたしから見ても色っぽかった。
「くっ……」
 やむなく魔力の供給を再開する。
 とりあえず先輩の貞操の機器を最小限に抑えるために。
「物分りが良くて助かります」
 そう言ってライダーはその宝具を具現化させ、天馬に咥えさせる。
「それではギリシャでお待ちしています」
 そう言い残して白馬に乗った騎兵は、一瞬後には西の空へと消えていった。

「先輩……」
 悲嘆にくれ、うつむく私の上になにかがふぁさっと覆い被さる。
「これは……」
 先輩のエプロン。
 わたしといっしょに買った大事なエプロン。
 先輩の家に手伝いに来始めたころに買ったものだから、もう二年近い年月が経ち、結構よれよれになっている。
 でも、私と先輩の大切な思い出の品。
 それをぎゅっと握り締め、わたしは決意する。
「待ってて下さい、先輩」
 愛する人を取り戻すことを。





 −次回予告−

 士郎を追い、単身ギリシャへと旅立つ桜。

「桜ちゃん、これを持っていきなさい」
「これは……」
「妖刀虎竹刀。ごろつき百人程度なら叩きのめせる業物よ」

 恩師の助け

「わかりました。移動手段はご用意しましょう、そのかわりー」
「ごめんなさい、例え第三魔法が使えてもその胸は大きくなりません」
「うきーっ!!!」

 友との出会い

「よく来たわね桜」
「―――――姉さん!?」

 そして予想だにしなかった(?)黒幕がっ!!


 次回、Fate/stay night 「二つ目の聖杯」

「その子は誰の子供か教えてもらえませんか?」
「いや待て桜話せばわかる話せばうぎゃーっ!!!」


初出:2004.02.09  右近