幸せになってやんよ!


【20XX/08/10 14:15 Yuri Nakamura】

 わたしこと仲村ゆりは女子高生である。勉強も運動も人並みよりできる、いわゆる優等生ってヤツだ。でも、趣味と呼べるものがない。
 別に『目指せ、東大!』なんて考えて勉強に専念しているというわけじゃない。確かに勉強はしているし、今いる学校だってそこそこいいトコだけど、周辺地域で有数の進学校とかそんなこともない公立校である。別に公立校だからどうこうとか言いたいわけじゃないけど、とりあえず普通の高校なのである。
 とにかく、わたしには趣味がない。友達がいないわけじゃないのでそれなりに色々と手を出してみたけど、なんだか夢中になれないのだ。スポーツやらゲームやらカラオケやらショッピングやら。どれも楽しいとは思うし、友達に誘われたら一緒に行く。確かに楽しい。楽しんだけど、なんだか物足りない。そんなのばっかりだった。
 ああ、ついでに言ってしまうと友達って言ってみても、親しい友達――ちょっと恥ずかしいけどわかりやすい言葉を使うなら、いわゆる親友ってやつが居ない。別にゲームじゃないんだから『好感度が○○ポイントに達したので友達じゃなく親友』なんてことはないんだし、わたしの気の持ちようって言われたらそうかも知れないんだけど。
 とにかくそんな感じで、わたしはなんだか物足りない女子高生ライフを送っている。
 贅沢な話をしているっていうのは自分でもわかってるんだけど。五体満足で生きて高校に通って、友達もいるのに物足りないとか、そんなやつに『なんだか学園生活が物足りないんだよね』とか言われても何様だって思うだろう。わたしだってそう思う。でも物足りないのは事実なのだ。
 そういえば一度、町をぶらついていたら妙に気になる店があったことがある。何の店っておもちゃ屋――とは言っても子供がお小遣い握りしめてカードゲーム買いに来るような店じゃなく、わりと高年齢向けのお店みたいだった。
 なんでかわからないけど妙に気になって店先のショーケースに張り付いていると、中から店長さんがでてきて『欲しいのかい?』とか聞かれた。まさかそんなことを聞かれるとは思ってなかったので焦ってしまったけど、その人はわたしを店内に誘うとショーケースにあったものと――わたしがトランペットを見つめる黒人の少年みたいに見つめていたものを取り出し、手渡してくれた。
 エアガンだった。もっと詳しく言うとベレッタM92Fだった。
「店の奥にスペースがあるから、試し撃ちしてみてもいいよ」と言われたわたしはそのままシューティングレンジに入り、奥の方に見えるターゲットを蜂の巣にしてやった。
 まるで数年来使い慣れた愛銃とかそんな感じで流れるように銃を撃つわたしに店長は「経験あるの?」とか聞いてきたけど、もちろんそんなことはない。女子高生の趣味が銃撃つこととか、どんだけだという話である。
 しかし、わたしは事実楽しそうに撃っていたらしく、店長さんは『気に入ったら買ってくれると嬉しいな』と言い残して店の方へと戻っていった。
 いやまあ確かにこのエアガンは妙に手に馴染むしなんだかしっくりくるけど、自分で買うというのはどうか。ショーケースにあった値段を考えるに買えなくはないけど、高校生の娘の部屋にエアガンが置いてあったら親がどん引きしないだろうか。少なくともわたしが親だったらする。
「うーん……」
 結局、その後ちょっとして入って来た何だかすっごい至近距離に太って脂ぎって鼻息が荒い男に「キミ、可愛いね。銃とか興味あるのかな?」とか声をかけられた後に、汗ばんでいるとか最早それどころじゃない手を親しげにわたしの肩にぽんと置かれていたので、思わずそいつに全弾撃ち込んだ。当然その店には出禁になった。いや確かに説明書を読まなくてもその手の玩具を人に向けて撃っちゃいけないのは常識として解ってるんだけど、本当に反射的に。
 まあとにかく、そんな不幸な事件が起きた結果わたしの趣味は見つからないでいるので、最近のわたしは何の予定もない休日には積極的に出歩くようにしている。エアガンみたいに何か趣味になりそうなモノに出会えるかもしれないし。さすがに、エアガン撃つ以外に趣味の選択肢がない女子高生とか嫌すぎる。
 そんなわけで、わたしは出会いを求めて休日の町を歩く。
 そして。
「――あ」
「――お」
「え?」
 その日、スクランブル交差点の真ん中で。
わたしたち五人は、再び出会った。





【20XX/08/08/10 14:30 Hideki Hinata】

「それでは、こちらのお席へどうぞー」
 そう言って店員に案内されたのはボックス席だった。U字型にソファーが配置された珍しいタイプ。まあ、五人で来たので好都合なんだけど。
 何となく遠慮している俺たちを見ると、軽く微笑んだ後にゆりっぺが奥の席に座り、脚をどっかとテーブルの上に――
「置くな!」
「え? あ、ああ。ごめんなさい」
 思わず突っ込んだらゆりっぺも気づいたのか、焦って脚を降ろすと立ち上がって近くにいた店員にぺこぺこ謝っている。店員は気づいたのか気づかなかったのかにっこりと営業スマイルを返してくれたので、全員大人しく席につく。ちなみにゆりっぺは姿勢正しく座って膝の上に両手を置いていた。いや、そこまでせんでもいいだろう。
 とにかくそんな感じで全員が座り、ウェイトレスの人が水を持ってきて「ごゆっくりどうぞ」というマニュアル通りの声をかけていなくなった後、俺の向かいに座った音無が口を開いた。
「とりあえず久しぶり――で、いいんだよな?」
「ええ、そうね」
「そうだな」
「そうですね」
 そしてそれ続いて答えるゆりっぺ、俺、ユイ。しかし音無の隣に座っている天使――かなでちゃんは無言だった。
 無言でメニューを見ていた。
「……かなで」
 音無に呼びかけられても返事はない。
 メニューに夢中だった。
「まあ、いいじゃない。何も頼まないってわけにもいかないんだし、先に注文しちゃいま「麻婆豆腐」
 食い気味だった。いやまあ予想はできてたけど。
「豆板醤とラー油マシマシで」
「そんな注文はねえ」
 そして音無が突っ込んでいた。軽くこづいて。
「じゃあわたしは甘口いちごスパ!」
「名古屋に行け」
 対抗するかのように叫んだユイに俺も突っ込んだ。全力のグーで。
「何すんだテメェ、ヤンのかコラァ!」
 そして即座に席を立ち、俺に向かってシャドーボクシングを始めるユイ。常在戦場とはまさにこのことだった。絶対違う。
 しかしかなでちゃんを諫めるのが音無の役目なら、ユイの暴走を止めるのは俺の役目だろう。そしてかなでちゃんは素直なので言ったら聞いてくれるみたいだけど、コイツはそんな大人しいタマじゃない。
「ここらで上下関係をハッキリさせておくべきなのかもな」
 そう言って俺も立ち上がる。
「ふふん、かかってきなぁー」
 言いながら右手の平を上に向け、くいくいと挑発的に手招きをするユイ。
「日向くん」
「止めるなゆりっぺ」
 そして、そんな俺たちを止めようとするゆりっぺの声を退け――
「違うわ」
「え?」
「店員さんが睨んでる」
 その後やってきた店長さんにぺこぺこと平謝りした後、何とか全員分のメニューを持ってきて貰うまでに三十分ぐらいかかった。



「それじゃあ、みんなあの世界の記憶はあるのね」
 食事を終えた後、お互いにいろいろと情報交換したところで、ゆりっぺは重々しくそう言った。
 あの世界。俺たちが『死後の世界』と呼んでいて、死んだ世界戦線のメンバーと天使が――そして、俺たちが天使と呼んでいた存在が天使なんかじゃなく、敵ですらないとわかってからは別なものと戦い、そして『卒業』した世界。俺たち五人は、あの世界のことをおぼえている。今は。
「あの世界で一緒にいた人間と出会うと記憶を取り戻す、って感じみたいだな」
「そうね。音無くんはかなでちゃんと――日向くんはユイと出会って思い出した、と」
「そんでゆりっぺは俺たち四人な」
「そうね」
 どういう理屈か知らないけど、とりあえずそういうことらしい。もちろん全員、ここにいない面々の記憶だってある。アイツらがあの世界を『卒業』した後どうなったかは知らないけど、ある日偶然出会ったら記憶を取り戻して、こうやって前みたいに話せるんだろうか。だとしたら、それはなんだかとっても楽しみだ。
 そんなことを考えていると、ゆりっぺは更に問いかけてくる。
「それで――全員『死んで』ないのよね?」
 声を潜めて。こんなことを大まじめに話しているのを聞かれたりしたら、どこの電波さんかと思われてしまう。
 そして俺たちは――俺と音無はもちろん、ユイやかなでちゃんも真剣な顔でうなずいた。
 生き返ったとかそういうわけじゃない。俺たちは『死んでない』のだ。俺はトラックに跳ねられていないし、音無の列車事故はギリギリのところで救助が間に合っている。あの世界に行く前に『死んだ』記憶はあるんだけど、それとは別な記憶もあるというか。
 音無に関して言えば、ちょっと前に『トンネル崩落から奇跡の生還』とか何とかいうニュースがあったのを思い出した。俺とは違って死ぬ原因までドラマチックとか、まるで主人公みたいなやつである。まあ結局どういう理屈か死んでないわけだけど。
 詳しくい死因までは聞いてないけど、どうやらゆりっぺやかなでちゃんも同じ感じらしい。
「あれ。でも、ユイ?」
「はい?」
「言いたくないならかまわないんだけど――」
 何か思いついたのか、音無が何だか聞きにくそうにしながらユイに話しかけている。
「お前、歩いてるよな?」
「はい」
 音無の言葉を聞いて、ゆりっぺとかなでちゃんはきょとんとしている。というかゆりっぺは『何聞いてんだこいつは』と可哀想な子を見る目をしている。さすがゆりっぺ、容赦がねえ。
「そういや音無はユイから聞いてたんだよな」
「ああ」
 さすがに親友が可哀想な子扱いされるのは忍びないので助け船を出した。
「どういうこと?」
 ゆりっぺに聞かれたので、ユイの方を見る。ユイは俺の目を見ると『わかってますよ』って顔で口を開いた。
「わたし、事故で寝たきりになったまま死んだんですよ」
 そしてあっけらかんとそう言った。あっはははー、と軽く笑いながら。
 それを聞いたゆりっぺと音無は申し訳なさそうな顔をしたけど、二人がそんな表情をしたり申し訳なく思う必要はないのだ。少なくとも、音無にはそれを聞く資格がある。音無が頑張ったからユイは――そして俺たちみんなは『卒業』できたんだから。
 そう思ったのはユイも同じらしく、あっけらかんとしたいつも通りの表情で話を続ける。
「つってもわたしが『死んだ』のってもうちょっと後のハズなんですけどね」
「えっと、じゃあ、事故にあわなかったのか?」
 俺とユイの気持ちを解ってくれたのか、それでもまだ何となく申し訳なさそうに、音無は言葉を選んで聞いてくる。
「いや、事故にはあったし寝たきりになりました」
 しかしユイはあくまであっけらかんとしていた。そりゃあもう音無とゆりっぺが揃って反応に困るぐらいに。しかしそれも、言ってみりゃもう過去の話だし、ユイは今こうやって普通に歩けてる。
 だからユイは、ちらりと俺の方を見て――俺がこくりと頷くのを確認すると、言葉を続けた。
「わたしがいつも通りベッドで横になってテレビを見てると、いきなり窓が割れたんですよ。パリーン、って」
 その言葉を聞いた音無が思い当たったのか俺の方を見てきたので、にやりと笑顔を返してやる。
「慌ててお母さんが見に来てくれて、ガラスを割ったものを見せてくれたんですけど――野球のボールだったんですよ」
 そう言ってユイは幸せそうに笑う。そんなユイを見て音無も――そしてゆりっぺも察したのか、俺の方を見てきたので、照れくさく思いつつも俺が続ける。
「俺、結局野球部は辞めたんだけどさ。高校卒業して浪人することになってから、草野球始めたんだよ。そんで練習中にホームラン打っちゃって」
「それで、ユイの部屋にぶち込んだのか」
「おう」
 音無が冷やかすような表情で聞いてきたので、多少恥ずかしいがそう答える。
「で、ボール取るのと謝らないとってことでコイツんち行ったらお母さんに中に通されてさ」
「わたしの部屋に来たんです」
 そう、それはあの時――ユイが『卒業』するときにした話とそっくりなシチュエーションだった。出来すぎていると言えばあまりに出来すぎている、人によってはご都合主義と切って捨てたくなるようなシチュエーションだろうけど、こんなご都合主義なら大歓迎だ。もし神様がそうしてくれたって言うなら、俺もユイもいくらでも感謝してやる。
「そして、お互いの顔を見た瞬間に思い出して」
「ああ。謝るより何より、俺は思わず歩み寄って」
 あの時のことは、今でも克明に思い出せる。
 さっき交差点でみんなと再会したときと同じように――いや、それ以上にいろんな記憶と感情があふれ出して。
「そして鮮やかにジャーマン決めてやりました!」
 そう、見事なジャーマンをくらった。
 カール・ゴッチもかくやという、凄まじいキレのジャーマンだった。
「……いやいやいや。お前『寝たきりだった』って言わなかったか?」
「もちろん完全無欠の寝たきりでしたけど、体が勝手に動いたんです。先輩とのあの練習は無駄じゃなかったんですよ!」
「いや、そう言う問題じゃないから! 今明らかに感動的で綺麗な流れだったのに、すっげえ台無しだから!」
「音無。現実ってものはそう綺麗にできちゃいないんだぜ」
「いや、理不尽にぶん投げられたのお前だろ!? 何でそっち側に回ってるんだよ!」
 いやまあ音無のツッコミは当然というか、投げられたときは確かに俺もそう思ったけど。まあでも今ここに限って言えばツッコミに忙しい音無を見ることができて満足だ。よかった、これからは俺一人じゃなくコイツと二人でツッコミに回れる。
「……とにかく。原因は置いといて、動けるようになったのね」
「はい。流石にジャーマンとかできたのはその時だけで、リハビリ続けてやっと普通に歩けるようになったとこなんですけどね」
 そして音無がツッコミに忙しいので、ゆりっぺが質問に回ってユイが答えてる。
「それでも回復が早いらしくって、お医者さんは『長年寝たきりだったのに、体が動き方を忘れてないみたいだ』とか言ってました」
「いきなり動けるようになったのは?」
「『感情の爆発が何か未知の作用を』とかなんとか」
「……感情の爆発がジャーマン?」
「はい。顔見た瞬間『ジャーマンかまさないと』って気持ちが燃え上がるように!」
「あ、そう」
 ゆりっぺが見事に呆れかえっていた。いやまあそりゃそうだろうというか俺も同じ立場だったら音無みたいにツッコミ倒すか、ゆりっぺみたいに呆れかえるかだろうけど。
 ちなみに俺はと言うとジャーマンを喰らった直後に『なにすんじゃテメェ』と卍固めに行きそうになったが必死にこらえた。さすがに親御さんの前でついさっきまで寝たきりだった娘に卍とか鬼外道どころの騒ぎではない。
「全く、ご都合主義もきわまれりって感じね」
 そう言って呆れたように――でも何だか嬉しそうにゆりっぺがつぶやいた。
「違う」
「え?」
 そして誰もが思っていない方向から声をかけられたので、そっちを見る。いや、そんな大層な事じゃなく、かなでちゃんが喋ったってだけだけど。
 とにかく、今までドリンクバーのメロンソーダを『そんなゆっくり飲んでたら炭酸抜けるぞ』っていうぐらいゆっくり飲んでたかなでちゃんはコップを――恐ろしいことにまだ空になっていないコップをテーブルに置くと、再び口を開いた。
「それは愛の奇跡」
 言った後、右手をまっすぐ伸ばしてビシッとサムズアップ。相変わらず表情豊って感じじゃないけど、どことなく得意げだった。
「愛の奇跡」
 大事なことだったのか、二度言われた。
 しかしそんなこと言われても困るというかゆりっぺと音無はなんだか居心地悪そうにしているし、当事者である俺とユイの居心地の悪さはそれどころじゃないんだけどまさかそうとも言えず。
「かなで、悪いけどドリンクバーで俺の飲み物取ってきてくれないかな。アイスコーヒー」
「うん、わかった」
 永遠にも感じた数秒の後に音無が何とかそう言うと、かなでちゃんは素直にドリンクバーコーナーに向かった。
「……なんか、すまん」
「いや、お前も苦労してるんだな」
 そして男二人、そんな風に友情を確かめあった。



 かなでちゃんが音無のアイスコーヒーを取ってきて数分後、俺たちは無言でドリンクを飲んでいた。とりあえず、全員『死ななかった』ということ。そして、あの世界とそれ以前の――死んだ記憶は、あの世界のメンツと会ったときに取り戻すと言うこと。
 なんでそう言うことになっているのかはわからない。色々考えてみたものの、正解なんて解るわけがない。まさに『神のみぞ知る』というやつだ。
 絶対に正解に辿りつかない事を考えてみても、せいぜいがみんなで『これが正解だ』と思いこめる妥協案を決めることができるぐらいだろう。
 音無が卒業式で言っていた通り、俺たちの『魂の絆』ってのは神様だって切れなかったのかもしれない。 いや、そんなことは思いついても口には出さないが。さっきのかなでちゃんの『愛の奇跡』に匹敵する恥ずかしさだ。
 まあ考えてもどうしようもないことは考えないとして、どうしたもんか。ドリンクバーのストローを咥えながらそんなことを思っていると、ユイがいきなり立ち上がった。
「はいっ!」
 おまけに手も挙げた。ホームルームで意見を言おうとする生徒みたいだった。
 しかしここは学校じゃなくファミレスである。このままユイが手を挙げ続けていても担任の教師が当ててくれるわけはない。というかこのままだと店員の人が来て迷惑そうな顔をされるだけだ。いい加減追い出されそうな気もする。
 そんなわけでゆりっぺの方を見ると、ゆりっぺは俺の視線を聞いて『え、わたし?』と驚いた顔を見せて、頷くと心底嫌そうな顔をした。そして音無の方に顔を向けたら音無も頷いたので、ため息をついてから口を開いた。
「何、ユイ」
「はいっ!」
 ゆりっぺは明らかに不承不承って感じで聞いてるんだけど、ユイはそれに気づいてないかのように明るく全力で返事をした。と言うかホントに気づいてないのかも知れない。こいつバカだし。
「せっかくだし、何かやりませんか? こうしてみんなで会ったんだし」
 しかし、ユイの言ったことは予想外に建設的だった。というか、多分みんなが思っていたけど言い出せない言葉だった。
 言った後何だか不安そうに俺の方を見てきたけど、そういうことなら大歓迎だ。
「俺は時間あるけど、みんなはいいのか?」
 そう言ってみんなの方を見ると、音無はまっさきに返事をしてくれた。
「俺も浪人だからな。かなでは大丈夫か?」
「大丈夫。まだしばらくは夏休み」
 そして、音無に聞かれたかなでちゃんもこくりと頷く。そんな俺らを見たゆりっぺは一応ため息なんぞついて『しょうがないわね』ってポーズをしつつも、嬉しそうに口を開いた。
「わかったわ。それじゃあ何をするか決めましょう」
「はい!」
 そしてゆりっぺが言い終わるか終わらないかのところで、再びユイが手を挙げた。
 あ、ゆりっぺ今度はポーズじゃなく本当に嫌そう。
「他に誰か」
「はいっ!」
 華麗にスルーしてみても、それしきのことにめげるユイではない。更に言うならそんなユイを止められる人間はここには居ないっていうか、そんな責めるような目で見られても困る。まさかここで卍固めするわけにもいかない。
「……じゃあ、ユイ」
「バンドやろうぜ!」
 何故か男口調だった。
 ちなみにさっきのかなでちゃんに対抗しているわけでもないんだろうけど、力の限り前に伸ばした両手はサムズアップだった。あいかわらず、一度動き出したら常にトップギアなやつである。
「バンドって、ガルデモか?」
 そしてそんなユイの話をちゃんと聞く音無はいいやつだと思う。いや、俺も聞くけど半分ぐらいはスルーする。もしくは卍。
 さておき、音無の質問は当然だろうと思う。俺たちにとってバンドといえばガルデモ――Girls Dead Monsterのことである。
 だけどユイは、伸ばした手を戻すとチッチッチとか舌を鳴らしつつ指を振った。
「ガルデモはやっぱり岩沢さんが作ったバンドですから。わたしたちで一からバンド始めるなら、新しい名前をつけるべきだと思うんです」
 態度はむかつくけど、言っていることは思いの外マトモだった。それには俺だけじゃなく音無やゆりっぺも若干驚いてるみたいだけど、言われてみればその通りなのかもしれない。
 なにより、この中でガルデモに所属していたメンバーはユイだけなわけだし。
 そんなことを考えていると、相変わらず無口でいたかなでちゃんが口を開いた。
「それに、わたしたちは全員生きている。なのに『Dead』はふさわしくないと思う」
『どう?』と問いかけるように首をかしげると、音無が嬉しそうにその上に手を置いた。
「そうだな。俺たちは全員生きてるんだ」
 そしてかなでちゃんの頭を撫でる。
 バンド名に『Dead』という文字が入っていることなんか、気にしなくていいのかもしれない。でも確かに、俺たちは今生きてるんだ。それがどうしてかはわからないけど、幸せなこだってことはよくわかる。だから俺も声を上げる。
「じゃあ、バンド名を変えて心機一転ってことか」
「はいっ!」
 ユイも楽しそうにそう返す。
「いつの間にかやることになっちゃってるけど……わたし、バンド経験なんて無いわよ?」
 ゆりっぺもそう言ってしぶしぶながら賛成してくれる。まあこれも例によってポーズだけで楽しそうなのは見え見えなんだけど、そんなことにツッコミ入れる程ヤボなやつはここにはいない。
「いいんですよ。とりあえず最初はみんなで楽しく演奏できれば!」
「新バンドの名前ってこれから考えるのか?」
「いえ、こんな事もあろうかと考えておきました!」
 俺が聞くとユイはそう答え、テーブルに備え付けてあるナプキンとボールペンを取るとアルファベットを書き殴った。
「Girls Live Monster?」
 書き殴ったというのは比喩じゃなく、本当に書き殴った小汚い文字を何とか解読してみると、なんとかそう読めた。
 そしてどうやら正解だったらしく、ユイはソファーの上に立つと高らかに叫んだ。
「ガールズ・ライブ・モンスター。略してガラモン!」
 そして満足したのか、この上なくドヤ顔だった。
「でも却下な」
「何でだーっ!」
 何でだとか怒られても、そんな隕石怪獣みたいな略称のバンドは嫌だ。しかも悪者の方じゃねえか。ゆりっぺとかなでちゃんはよくわかってないみたいだけど、音無は頷いている。そうだ、俺たちは間違っちゃいない。
「よし、今度こそ勝負つけるぞ表出ろやコラァ!」
「上等だ、女だからって手加減して貰えると思うなオラァ!」
 そして売り言葉に買い言葉。
 俺たちはそのままずかずかとファミレスから表に出て――
 数分後、結局店から追い出されてきたゆりっぺに説教された。ファミレスの駐車場の隅で。正座で。
 俺らが説教されている間に音無は何をしていたかというと、ちょっと離れた自販機の下でかなでちゃんと缶コーヒーを飲んでいた。親友の危機なので『助けてくれ』ってアイコンタクトを飛ばしてみたが、返ってきたのは『頑張れ』というアイコンタクトと爽やかな笑顔だった。くそ、男の友情も異性に負けるのか。おぼえてやがれ。





【20XX/08/08/10 16:15 Yuduru Otonashi】

 あえなくファミレスを追い出された――いやまああの騒ぎっぷりを振り返ってみると当然というか店の人は相当我慢してくれたとは思うんだけど、とにかくファミレスを追い出された俺たちは住宅街を歩いていた。
 時間的には夕方と言ってもいいんだろうけど、夏真っ盛りなだけあって空は明るい。なんでこんなクソ暑い中全員揃って歩いているのかというと、数分前に遡る。
 あの後――ゆりが日向とユイへの説教を終えた後。グループ名と言う問題は残るとしても、この五人でバンドを始めてみようという意思は変わらなかった。
 まあ正直なところバンドにこだわる気はなく、この五人で――ひょっとしたらそれ以上の面々で集まって何かやれればいいんだけど、逆に言えばバンドでもかまわないわけである。
 それなら希望者がいて、経験者もいるバンドっていうのは無難な選択かもしれない。
 しかし提案だけで止まるユイではなかった。
「善は急げってことで、練習してみましょう!」
 無茶言うなという話である。
 俺たちが未経験なのは置いとくとしても、まず楽器がない。さらに言うなら練習場所もない。
 バンドの練習なんかを始めてしまったら、さっきのファミレスどころじゃない騒音になることは目に見えている。さっきはファミレスの中だったので店員に怒られるぐらいですんだが、変なところでやってたら最悪の場合警察が出てくるかもしれない。
 バンド結成初日に警察のお世話とかロックすぎるにも程がある。
 でも確かに、なんだかんだと言ってみても久しぶりの――本当に奇跡的な再会を果たしてテンションが上がってしまっているのもまた事実だった。
『それじゃあまた詳しいことは後日』と言って別れてしまうのも惜しい気がして悩んでいたら、少ししてゆりが口を開いた。
「ついてきて」
 そして、俺たちの返事を待たずに歩き出す。「どこ行くんだ」と聞いてはみたものの、「ついてくればわかるわ」の一点張りだ。
 久しぶりに会ったというのに変わらないゆりを見て安心し、そして何だか嬉しくなった俺は、日向と顔を合わせると笑いあってゆりの後をついて行った。もちろんかなでとユイもついてくる。
 ゆりは――仲村ゆりは、死んだ世界戦線が無くなった今でも、俺たちのリーダーであることに代わりはないらしい。
 そんなわけで俺たちは頼れるリーダーの後に続き、住宅街の中を歩いている。
「そう言えば、音無くんと日向くんって年上だったのね」
「ああ、そうらしいな」
 俺と日向は揃って浪人生、かなでとゆりは高校生。最近まで寝たきりだったユイは高校に入学していないけど、年齢的には同じぐらいらしい。
「なんか変な感じね。ついこの間まで同級生だったのに」
「まあ、あの世界で同級生ってのもよくわからないけどな」
 進級するわけでもないし、新しい生徒が桜並木をくぐって入学してくることもない。俺があの世界に行ったときのことを考えると、どっちかというと新入生じゃなく転校生だ。しかもこの上なく説明不足な。
「それにしても音無くん、医大志望って言ってたけど……勉強できる人だったの?」
 いや、そう真顔で聞かれても困るんだが。
「俺なりに必死で勉強したんだよ。どうしても医者になりたかったから」
「あ、ごめんなさい。 変な意味じゃなくって、ちょっと意外だったから」
「まあ、確かにな」
 あの世界にいたころはバカばっかりやってた気がするし。そもそも、最初は『真面目に授業を受けているとこの世界から消えてしまう』とか説明されたしなあ。
「そういや音無、お前が住んでたのって結構遠くじゃなかったっけ? 列車事故のニュース見たけど」
「ああ、それな」
 日向に聞かれてそう答える。確かに俺が住んでいたのはもっと北のほうだし、事故にあったのも同じくだ。
「俺はあの事故で奇跡的に助かったんだけど、結局試験は受けれなくて浪人することになったんだ」
「ああ」
「なんか自分で言うのも変な話だけど、あの時テレビとかで取材されまくってさ。浪人することが決まったら、こっちの予備校が『受講料は要りませんので、うちの医大コースで勉強しませんか』って言ってくれたんだ」
「でも、それって」
 俺の返事を聞いて、ゆりが眉をしかめている。言いたいことはわかる。
「ああ。悲劇の主人公って事になっている俺を自分の所に通わせて知名度アップとか、そんなとこだろうってことはわかっている。でも、助かることは事実だからな」
『医者になる』って目標が変わらない以上、もう一年浪人するしか道はないわけで。独学でやるつもりだったんだけど、予備校に――しかもそこそこ有名な予備校の、医大コースにタダで通わせてくれるって言うなら大助かりだ。
「利用できるものは利用させてもらうさ」
 そう言ってニヤリと笑ってやる。
 そんな俺を見て日向とゆりは一瞬ぽかんとした顔を見せたが、すぐに大笑いした。
「たくましくなったじゃねえか」
「そうね。あの世界で最初に会ったときとは大違い」
「お前たちに鍛えられたからな」
 本当に。記憶を失って右も左も解らない俺は、こいつらに――というか主にゆりに鍛えられた。死ぬかと思う感じで。いや、たまに本当に死んでたけど。
「まあ、そんなわけでこっちに引っ越してきたんだ。生活費がかさむのは悩みどころだけど、おかげでこうやってみんなと会えたわけだし」
「ていうか、かなでさんと会えたのが一番嬉しいんじゃないですかー?」
「うるせぇ」
 心底楽しそうにニヤニヤと笑ってからかってくるユイにそう返す。そしてそんな俺たちを見て、当のかなではかすかに微笑むと――
「それは愛のきせ」
「よしそこまでだ、それ以上喋らなくていいぞ」
 サムズアップしようとした手を押さえると同時に口も押さえて、そう声をかける。
 すっごい不服そうにこっちを見ているけど、あんな恥ずかしいこと二度と言わせてたまるか。
 このフレーズ気に入っているみたいだけど、多用するのは避けていただきたいというかできれば使用自体を控えていただきたい。
 そんなことを考えていると、先頭を歩いているゆりが振り向いた。
「ほら、二人ともいちゃつくのはやめて。着いたわよ」
「いや、いちゃつくとか」
 一応抗議の声など上げつつ改めて前を見ると――
「学校?」
「ええ、わたしの通ってる高校。そんな厳しい学校ってわけでもないし、放課後にちょっとぐらい部外者が入ったところでばれないでしょ」
「いや、ちょっとって」
 日向のツッコミが至極もっともだった。ここにいる五人のうち、この学校の生徒はゆい一人だけ。更に言うなら『高校生』ってくくりで考えてもかなでが追加されるだけだし、俺と日向に至っては高校を卒業している年齢である。他校の卒業生とか、部外者にも程がある。
「細かいことはいいのよ。ウチの学校、一応軽音部とかあって楽器も揃ってるみたいなんだけど、ほとんど全員幽霊部員で休部同様の状態なのよ。この上なく好都合じゃない」
 しかし、俺たちの意見ぐらいで自分の決定を曲げるようなゆりではなかった。
「でもなあ」
 ここは死後の世界でもなんでもないし、下手すれば不法侵入である。騒音がどうとか言うよりも警察が出てくる可能性が高そうだ。
 いくら悲劇の主人公としてそれなりに世間から注目されつつ浪人している俺だとしても――むしろそんな俺だからこそ、万が一警察沙汰にでもなったら大問題である。
 そんなことを考えて渋っている俺を見ると、ゆりは『はぁやれやれ』とでも言いたげに肩をすくめて首を振りつつ口を開いた。
「なによ、かなでちゃんの部屋に忍び込むときは文句を言わずに着いてきたじゃない」
「あの時は説明しないで連れてったんだろうが!」
「しかも部屋に入った途端に迷うことなく電気までつけて。いやらしい」
「人聞きの悪い言い方をするな!」
「……忍び込んだの?」
「いや待て、かなで。それには事情が――」
 あの時は『天使の秘密を探るため』とか何とか言ってゆりが俺たちを連れて行ったんのだ。むしろ俺は止めようとした方である。しかしどう説明すれば誤解無くそれをわかって貰えるのかが思いつかず。
「ユイ、言ってやれ」
 そんな日向の声と。
「アホですね!」
 すっげー楽しそうなユイの声を聞くことぐらいしかできなかった。



「それじゃあ、その中から好きな楽器選んで」
 そして校門前でのすったもんだの五分後、俺たちは音楽室にいた。
 ちなみにかなでの誤解は一応とけたとは思うんだけど、機嫌はあまりよろしくない。くそ、ゆりめ。おぼえてやがれ。
「でも、バンドって必要な楽器とか決まってるんじゃねえのか?」
「まあ、今回は半分お遊びみたいなものですし。とりあえず演奏できそうな楽器で適当にやってみましょう」
 日向の問いにユイがそう答えている。
 言われて気づいたというか今まで気づかなかったというのがどうかという話だが、楽器のパートわけとか何一つ考えていなかった。
 しかしユイはこれでもガルデモの一員なのだ。そんなユイが言うことは、俺たちズブの素人が考えることより正しいだろうから素直に従うことにする。
「でも、それだと演奏めちゃくちゃにならない?」
「大丈夫です! 『パンクバンドはむしろ下手な方がいい』って誰かが言ってました!」
「……このバンドってパンクバンドなのか?」
「さあ?」
 訂正。正しいのかどうか怪しいもんだけど、とりあえず従うことにする。
 そしてまた五分後。
 思い思いの楽器を選んだ俺たちは、なんとかセッティングを終えて音楽室の黒板前に並んでいた。
「それじゃあ行きますねー!」
 そう言ってユイはマイクを持つと、高らかに叫ぶ。
「バンドメンバー紹介―っ!」
 ライブとかでやるあれである。曲と曲の間にあるバンドメンバー紹介。
『どうせ演奏なんかできないんだから、形から入ってみましょう』とかいうユイの発案っだった。色々言いたいことはあるが、確かに今すぐ演奏なんて無理な話だし、ここまで来て何もしないというのもどうかと思うので従うことにする。
「まずベース、音無先輩―!」
 ぼよーん、ぼよーん。
「ドラム、ひなちゃん先輩―!」
 ばたばたべたばたべた。
「リコーダー、ゆりっぺ先輩―!」
 ぴー、ぽへー。
「トライアングル、かなでさんー!」
 ちーん。
「そしてボーカル、ユイにゃんー!」
 ドカーン!
 ちなみに最後の爆発音は本当に爆発したわけではなく、効果音である。ユイがなんか操作していたけど、おれたちにはよくわからない。ユイは「爆発音は外せません!」とか言っていたけど、とりあえず今の俺にはそんな細かいところに突っ込んでいる暇はない。
 とりあえず一つ一つ行こう。
「ユイ、ギターはどうした」
「いや、わたしが弾くギターはギブソンって決めてるんで。バンド正式稼働するころにはギター買っていますから安心してください。ひなっち先輩がバイトして!」
「俺かよ! っていうか、なんで俺が受験勉強の合間にバイトしてお前にギター買ってやらなきゃいけないんだよ!」
「それが彼氏の甲斐性ってやつですよ。大丈夫、クリスマスまであと四ヶ月ありますから」
「いや、そのころは受験の追い込みだからな!」
「よし、そこの夫婦漫才は放っておくぞー」
 そう言ってぎゃいぎゃいと言い合っている日向とユイから視線を外し、ゆりの方に向き直る。
「……何よ」
「リコーダーって」
「何よ! わたしが使える楽器なんてこれぐらいしかないのよ! 滑稽でしょ、笑いたければ笑えばいいじゃない! アハハハハーってね!」
「いや、うん。いいや」
 そのリコーダーも吹けてないとか言ったら大変なことになりそうなので流すことにする。
 残るはかなで。
「……」
「……」
 チーン。
 無言のままもう一度鳴らされた。そんなかなでの表情はなんだか自信満々で、これはこれでいい気もしてくる。
「こら音無、対応が違うぞ!」
「いやそんなこと言われても」
 さっきから逆上しっ放しっぽいゆりのツッコミは、もはや呼び捨てだった。いや別に呼び捨てでいいんだけど。
「それに、結弦だってベース弾けてない」
「そりゃまあ今日が初めてだし」
 かなでからの非難の声にそう答えると、次はいつの間にか夫婦漫才をやめたらしいユイの声が飛んできた。
「というか音無先輩、かなでさんに下の名前呼ばせてるんですか! お熱いッスね、ひゅーひゅー!」
「うるさいわ! ていうかお前ら付き合ってるんだろうにどうして未だに『ひなっち先輩』とか呼んでるんだ、中学生かお前は!」
「じゃかあしい! 下の名前ぐらい呼ぼうと思えば呼べるんじゃー!」
 売り言葉に買い言葉。俺にののしられてカッと来たのか、ユイはそう叫んでしまった。
 そしてその瞬間、まるで示し合わせたかのように全員が沈黙する。
「え、いや。その」
 余計なことを言ってしまったことに気づいて焦るユイだが、時既に遅しというやつだ。
 この状況で味方になれるとしたら日向ぐらいだろうけど、その日向はと言うとほおをぽりぽりと掻くだけで無言である。若干顔が赤いけど。
 まあ、なんだ。この二人がこっちの世界で再会してからのことは話を聞いただけだけど、俺はあの世界での二人を見ていたのだ。
あの夕暮れのグラウンドで、二人は約束していた。
『どこで出会おうと必ず結婚する』って。
 そう考えると中学生なんてとんでもなく、言ってみればプロポーズまで済んでいるのだ。それなのに先輩呼ばわりされる日向は――ひょっとしたらユイ自身ももどかしかったのかもしれない。
 もちろんそんな事を言いふらしたりはしなかったけど、それでもどうにか冷静さを取り戻したゆりは、何事か察したのか日向とユイを指さして、宣言する。
「じゃあ、言ってみなさい」
 宣言というか、命令だった。
 もちろんユイにそんな命令に従う義務はない。しかし、誰がどう見ても日向はそれを望んでいて――そして多分、ユイ自身もそう望んでいる。
 今まで色々あって呼び名を変えられなかったとしても、何かきっかけさえあれば呼び名を変えられるのかもしれない。ゆりは、そんなきっかけを二人に与えたのだ。
 言われたユイはというと、マイクパフォーマンスをやった時のまま手に持っていたマイクを持ち直し、自分の口の前に持ってくる。
「……あ、あの」
「……おう」
 マイク越しでも消え入りそうな、そんなユイの呼びかけに対して日向も返事をする。
 向き合った二人は明らかに緊張していて、顔も赤くなっている。
 本当ならここに俺たちがいちゃいけないのかも知れないけど、まさかここで『じゃあ俺たちは邪魔だろうから』とか出て行くのもあからさますぎて良くないだろう。
 いや、それは誰に指摘されなくても間違いなく言い訳で、こんな世紀の一瞬を見逃したくないという出歯亀根性が八割ぐらいを占めているわけだが。でもそこは残り二割に免じて見逃していただきたい。
 ごくり。
 見ているこっちが緊張するような空気の中、誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。それが俺の音なのかかなでやゆりなのか、ひょっとしたらユイや日向なのかはわからないけど、やがてユイが決心したかのようにその手にあるマイクを握りしめて――
「言えるかコンチクショー!」
 前に向かってぶん投げた。全力投球だった。
 ちなみに今ユイの目の前にいる人間は一人しかいないわけで。
「うぼあっ!」
 その小さい体からは想像できないほどの速度でぶん投げられたユイのマイクは、日向の顔面に直撃していた。
「いやんいやん、こんな事恥ずかしくって人前じゃ無理ですよー」
 そして投げた当人はそんなことを言いつつくねくねしている。
「テメェ、やっぱり勘弁ならねえ。もう男とか女とか関係ねえ。今日こそ決着つけてやる!」
「望むところだわりゃあ!」
 あとはいつも通りの展開である。なんかもうコイツらはこれでいい気もしてきた。まかり間違ってこいつらがデレデレベタベタしていたら正直キモい。
「続きはまたの機会って事にしましょうか」
「そうだな」
 例によって呆れたように――しかしもう隠そうともせず楽しそうに言うゆりに、俺はそう答えた。
 俺たちは全員生きていて、時間はこれからまだまだたっぷり残されていんだから。



 ちーん。
「……かなで。トライアングル、気に入ったのか?」
「うん」
「さすがに楽器持ち出しはまずいわよ」
「わかってるって」
 ……トライアングルっていくらぐらいするものなんだろう。





【20XX/08/10 18:23 Yuri Nakamura 】

「じゃあ、また明日ね」
「ああ」
「……またね」
「じゃあな」
「まった明日―!」
 思い思いの別れの挨拶を交わし、みんな別々な方向に歩いていく。
 何かが物足りなくて、でも何が足りないのかがわからなくて落ち着かなかったわたしはもういない。
 どういうわけか一度死んだわたしたちがこうやって生きているけど、それを難しく考えることに意味はない。
 日向くんが野球の試合で痛恨のエラーをしたことがなかったことになったりはしないし、ユイが事故にあって今もリハビリ中なのは変わらない。音無くんの妹さんは生き返らないし、わたしの弟や妹だって同じことだ。
 それなのに、こうやって生きているわたしたちにできること――するべきことは一つだけだ。
「精一杯、生きてやる」
 弟や妹が生きられなかった分も。
 いまわの際に『満足だ』と思って笑顔で死ねるように。そしてあの世界じゃない、別の死後の世界と呼ばれるモノが会ったとして、そこで弟や妹にあったら土産話をできるように。わたしは精一杯生きてやるんだ。
「一人じゃないから、寂しくないしね」
 また何かどうでもいいようなことを言い争うながら歩いていく日向くんとユイ。何を話しているのかわからないけど、肩を並べて歩く音無くんとかなでちゃん。そんな二組を見ながら呟いた。
「……友だちがいるから寂しくなんてないもんね」
 一人ぽつんと立ちながら、そう呟いたのだった。





後書きとおぼしきもの


 2010夏コミで発行した化物語本の原稿でござる。
 まあつまるところ、今日もなんか更新できるかどうか怪しいもんなので過去原稿でごまかしてるんだよ! 大人って汚いね!

 ぶっちゃけると刷りすぎてまだ在庫余ってることだし若干悩んだりもしたわけですが、もう出るとも思えないし実はPixivでは公開してるしとかそんな感じで公開。一応気になるとことか修正とかしましたが、オチが弱いのについてはとりあえずこのままで。
 続きも書きたいというか直井も書きたいんだけど、その辺はまた気が向いたらで。

 まああれじゃよ、バカな子は書いてて楽しいとかそんな。
 夏コミは多分化物語じゃありませんが、化物語ネタはそこそこ書くと思います。俺の言うことなので宛にはなりませんが。
 

2011.03.23  右近