「出水川が、島から撤退するんだ」
……その正式発表がなされたのは今年の初めだった。
10数年前、宇宙航空開発事業の拡大の為に、この南栄生島に支社を作った大企業・出水川重工。
しかし、長く続く不況の為か、あるいはその他の理由のせいか。
ともかく、その事業からの撤退のため、島の経済の中核を成してきた支社もまた、段階的にとはいえ、その大勢の社員とともに島を去ることが決定したのだ。
出水川を除けば、漁業以外に産業をもたない南栄生島にとり、これは大きな打撃だった。
今後は出水川の社員とその家族のみならず、それらの人間向けの施設や商店もまた去ってゆき、残される島民の生活もまた、それにより変わってゆくことだろう。
しかし。
この俺、三田村隆史にとって、そんな懸念は無用なのだった。
なぜなら俺は、観光客向けのペンション「サザンフィッシュ」のオーナーだからだ。
この島の学園を卒業してから、人脈とコネとその他もろもろを最大限に活用してこの店を立ち上げ、積極的な広報活動とサービスとその他もろもろにより業績も順調に向上中。
出水川が撤退しようが、今後の経営戦略とは関係なく、問題はなにもない。
そろそろ島の外で暮らしている妹を呼び寄せてもいいくらいだ。
とはいえ、得意先の商店の店主や顔なじみの住民から、愚痴交じりに出水川撤退の話が出てくれば、お互い大変ですねえ、まあなんとか踏ん張りましょうやわっはっは、位の愛想は出す。
しかし、今目の前で、疲れた様子で店にやってくるなり、不景気なツラして先程の台詞を吐く、"こいつ"が相手の場合は話が別だ。
「……なんで、脛かじりの身分のガキに、そんなコト聞かされにゃならん?」
「別に、この店の心配をしてるワケじゃないよ……」
"こいつ"の名は星野航。生まれも育ちも南栄生島の、俺の古くからの弟分だ。
ここ数年はさらに、女性の扱いに関しての師匠と弟子の間柄でもある。
ちなみに撃墜数は”ゼロ”だ。まったくもって不肖の弟子であるといえよう。
「ああん? 『こんな店』だぁ? お前にだきゃぁ…」
「……誰もそんなことは言ってない」
……冗談めかして軽く凄んでみたが、反応が鈍い。
2月ほど前の、とある一件からこっち、ずっと低空飛行ではあった。
涼水の卒業式からは持ち直してきたと思ったが、今日はまた沈み気味だ。これは……
「……なにがあった?」
こういう場合は、兄貴分としても師匠としても、真剣に聞いてやらねばなるまい。
俺は姿勢を正し、航の前に水を出してやりながら(あたりまえだ、甘やかしてなどやらん)尋ねた。
「……海己のおじさんの、転勤が決まったんだ。…2年も後の話、なんだけどな」
『海己』――羽山海己は、航のいわゆる『幼馴染』という間柄の女の子だ。
涼水での3年間は航にべったりで、その昼飯やら繕い物やらを一手に引き受けており、一見したところでは彼氏彼女の間柄にしか見えない、のだが――本人たちは否定するだろう。
それは、よくある微笑ましい言い訳から来るものなどでは、決してない。
「なんだ、また急な話だと思ったらずいぶん先の話じゃないか。で、それがどうかしたのか?」
「……あいつの『病気』が、また、出た」
――涼水を卒業した後、島唯一の学園である高見塚への進学を決めた二人は、海己からの提案により、新たな学園生活のスタートを順調に切るための予習会を行なうことになっていた。
当然、勉強も食事も、海己のほうが面倒を見てあげるから、ということになっており、航は嫌々ながらも待ち合わせ場所に向かったのだった。
しかし今日、海己の様子が、それはもう徹底的におかしかったという。
待ち合わせの時間には遅れて来る、予習用の参考書は忘れてくる、勉強を始めても上の空。
『ごめん、ごめんなさい』が出た回数は、観測史上最高記録を軽く更新するものだった。
「極めつけは弁当でさ……」
「ああ……」
海己の料理の腕前は、主に航のために3年間鍛えあげられた物で、サザンフィッシュの厨房を担う俺から見ても、お世辞ではなく相当のものだ。
ただしそれは、彼女の精神状態が安定している時は、という条件つきだ。
もし安定していなかった場合、できあがる料理の味は、また相当なものとなるのだった。
……もちろん逆の意味で。
「とうとうガマンできなくなってさ、どうなってんだ、何かあったのか、と聞いたら……
羽山のおじさん、丁度2年後に転勤が決まったんだと。
まあしょうがないんじゃねえの? っつったらさぁ……
海己のやつ、ぶるぶる震えて、ひくひく泣き出しちまって」
「……で、なだめるのに一苦労してきた、と……」
海己は、3年前に航と再会して以来、年に数回、精神状態を極度に悪化させ、その度に、航に泣き付いてはなだめられる、ということを繰り返してきた。
「……夏からこっち、あいつの相手、あまりしてなかったんだ。
でも、特に『病気』も出てなかったから、油断して、他にかまけてた。
見込み違いしてた……あいつ、3年間で、ちっとも成長してなかったんだ……」
……健全な青少年としての航が、付き合っている訳でもない海己に抱きつかれ、泣き止むまでそのまま、という事態を何度も経験してきたのだ。
師匠としての俺にとっても、こいつが、自分でも気付かないうちに色々とすり減らしているのは、どうにも見るに忍びなかったものだ。
「……あいつが島を出て行くまで、あと2年しかないんだ」
「あと2年もあるんだ。それだけあれば、海己ちゃんも少しはマシになるんじゃ……」
「あと2年も、今のままであいつを放っとけない。
……3年前に再会してから、今まで幼なじみやってきた。
色々我慢して、幼なじみ以上の関係にはならないで、できるだけ側にいてやって……
で、その結果が、アレだ。
……結局、俺は3年間、あいつに何もしてやらずに……終いには、逃げ出しちまった」
俺は思わず航の顔をのぞき込む。
「『逃げた』ってお前……そりゃあ思い込みが過ぎるってもんだろ……?」
航は、手に握り締めたグラスに目を落とし、どこか……遠いなにかを見ていた。
「逃げたから……痛い目、見たんだ。
そのことに、今さらとはいえ気付いたからには……
『俺が』、『逃げ出し元』を……あと2年で、何とかするしかない……っ」
『痛い目』……ふた月前に航に起こった、とある一件。
高見塚の受験生としてのこいつにも、思春期の健全な青少年としてのこいつにも、巨大なトラウマとなるほどの大打撃を与えたその事件は……
どうやら、また違った方向……『成長』という名の、一大転機を与えてしまったようだ。
「……なるほど……
で? 肝心の『何とかする』方法がない、とかお悩みな訳か? お前」
「……………」
航は答えない。どうやら図星らしい。
まったくもってしょうのない弟子ではあるが、ふむ……この際だ。
高見塚の合格祝いとして、兄貴分からの、男として一皮剥けた祝いとして。
一丁、いい知恵を授けてやるとしよう。
「……あるぜ? お前が海己ちゃんと付き合う訳でなく、今まで以上に側にいてやる手」
航はがばりと顔を上げる。その眼には、以前のような光が戻ろうとしていた。
「!? ある、のか……? 本当に……?」
……いいぞ、お前が海己を、本当に大切に想っている女の子を、本当に何とかしたいのなら。
この2ヶ月の間の辛気臭いツラでもなく、半年前の、どこか無理してるツラでもない、本当のお前の顔でいなくちゃならん。
「おう。言ってみるなら……『ひとつ屋根の下』ってやつだよ」
「『ひとつ屋根の下』って、そんな都合のいい場所がこの島に有るわけが……
!? まさか、それって……」
俺はにやりと笑い……航の脳裏にも浮かんだであろう、その場所の名を口にした。
「そう……つぐみ寮だ」
* * * * *
「……なぁるほどね〜。あのふたりが揃って寮に入ったワケ、どうもわかんなかったんだけど。
そっか〜、隆史くんの入れ知恵だったんだ〜?」
時は流れて。
今は、あのふたりの、航と海己の『2回目』の結婚式、その披露宴の二次会の真っ最中だ。
場所はもちろん俺の店・サザンフィッシュ。
……あのふたりが、幼なじみという、近くて遠く、そして寂しい関係から、一歩も二歩も踏み出すきっかけとなったこの店で、いまこのような宴が催されている。
ずっと見てきた上、きっかけ作りをすることになった俺としても、実に感慨深い。
「……水がこぼれて、器も割れて無くなっちゃったけど……
また別の器で汲み直した水で、ばっちり乾きを癒しちゃったワケだ。やるじゃないよぅ」
カウンター越しに、俺を肘でつついてくるのは、高見塚学園の国語教師であり、あのふたりが寮生だった頃、『器』――つぐみ寮の寮長でもあった、桐島紗衣里だ。
「やっぱり、複雑な思いがあったりしますか?……『水』としては」
「ん〜〜、ないとは言わない。けど、いいんじゃない?
良い思い出になったし、ご相伴にあずかったのが2人もいたことだし〜」
そう言って、紗衣里先生は、航と海己を中心とした輪の方を見やる。
……沢城凛奈、藤村静。
同じ頃、それぞれの事情によりつぐみ寮の一員だった二人。
ある意味で、航と海己の都合により「巻き込まれた」彼女たちは、今もあの頃と同じように、ふたりを囲んで笑っている。
「ねぇ隆史さん。……あのとき、あたしと航にあんなウソ吹き込んだのって……
ひょっとして、あたしもその計略に巻き込むためだったの?」
「……っ!?」
紗衣里先生の隙を突いて、突然俺に耳打ちしてきたのは、当時のつぐみ寮の実質上のナンバー1であった浅倉奈緒子だ。
「い、いや違うぞ? だいたい、その件は高見塚と涼水の卒業式の前のこと!
さっきまでの話はそのひと月ぐらい後のこと! ほら関係ないだろ!?」
「でも、航がつぐみ寮に入ることにしたのは、あたしがもういないと思ったからなのよ?
寮の玄関で鉢合わせしたときは、あいつもあたしもすごく動揺した。
おまけにそれから半年、あたしたちの関係はすごく微妙でさ、ストレスたまったわぁ。
……これって、隆史さんからの意趣返しなんじゃないかって思ったくらいだもの」
「そ…そのようなことは…決して…」
恐ろしい……航が、この娘には一生逆らえないとボヤいてた気持ちがよくわかるぜ……
「……浅倉? あんた、なに隆史くんを怯えさせてんの……?」
「あ! ちょっと航〜、なにまた海己泣かしてんの〜?」
「あ、こら浅倉、ごまかすんじゃない〜」
……と、奈緒子と紗衣里先生は航たちの方へ戻って行った。
輪の方では、またしても海己が泣き出し、航になだめられている。
……あの娘は、悲しいときはおろか、嬉しいときにも涙が止まらなくなる、変な女の子を自称していると、ついさっき航から聞かされた。実になんぎな奥さんだ。
やがてその海己も泣くのをやめて笑い出し、それじゃあ乾杯といこう、と誰かが言い出す。
……何回目の乾杯だかわからん。だいたい何に対してするんだ、と思ったら、奈緒子がこちらを見て、なにやら航に耳打ちしている。
航もこちらを見てにやりと笑い、そしてみんなを見渡して、大声でこう言った。
「よーし! それじゃあ……いろんな意味で俺たちの思い出の場所であるこの店と、
ついでに、あそこでたそがれている『絆の錬金術師』に……」
……そうか。この店にか。
高見塚を卒業して、裸一貫から立ち上げ、経営戦略を練り、広報活動とサービス向上にまい進し、そしてやってくる観光客と島の住民たちの憩いの場所として造ってきた、俺の店に。
島の住民たちも、出て行って帰ってきた連中も、今までも、そしてこれからも、この俺の店にやってきて、一緒に皆で笑って、盛り上げていってくれるなら。
こんなに嬉しいことはない。
にしても……
「……ダレを『ついで』扱いしてんだ誰を!? この馬鹿弟子がーーッ!!」
『『乾杯!!!』
― END ―
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