とんとん、と包丁で青菜を切る音が台所に響く。
古めかしいガスコンロからは青みがかった炎が上がり、食材を放りこんだ鍋をコトコトと煮込んでいる。
鼻歌を口ずさみながら、楽しげに海己が料理をする横で、一人真剣な表情で卵を手に取る少女がいた。
シルバーブロンドの、人形のような造作の整った顔立ちの少女、宮穂は、しかめっ面で卵を握ると…、
「ん〜〜〜〜、えいっ」
こんこん、ぱきっ、という音の後、宮穂の両手には卵の白身と粉々になった殻がベットリとついていた。
力の込めすぎで、見事に卵を粉砕してしまったのだった。卵を割るたびに、毎回こんな調子である。
「ああっ!?」
「あはは…宮ちゃん、力の込めすぎだよぉ。もっと優しく割らないと」
「ううっ、やっぱり私には、こうした力仕事は向いていないんでしょうか?」
苦笑めいた海己の助言に、しょんぼりと肩を落とす宮穂。はぁ…と溜息をつき、小柄な肩を落とす。
つぐみ寮に来てから、料理というものに興味を持った彼女は、たまにこうして海己を手伝おうとすることがあった。
もっとも、意気に反して…ものの役に立っているとは到底言えない実力であったが。
「う〜ん、コツみたいなものがあるからね…何度もやっているうちに、慣れるよ、きっと」
「それはそうかもしれませんけど…慣れるまでに、私はお婆さんになってしまいますよ」
航の言を借りれば「どんくさい」と称される不器用さは、卵を割ることも困難なほどである。
本人としては非常に不本意なようで、毎回チャレンジをしては、同じ結果を繰り返していた。
溜息混じりに宮穂は、傍らで料理を続ける海己を見やる。
「〜〜〜〜〜〜〜〜♪」
今日も学校があったせいか、海己は制服の上にエプロンをつけ、かいがいしくも包丁を操っている。
どこか家庭的な情景を想起させる光景は、見つめる都度、宮穂に…感嘆の溜息をつかせるものであった。
「何度見ても、すごい手さばきですよね〜…やっぱり私は、将来は海己先輩みたいな女性になりたいです〜」
「え、で、でも…私なんかより、奈緒子さんや凛奈ちゃんを目標にしたほうがいいよ」
宮穂の言葉に、どこか困惑した様子で、寮生仲間を引き合いに出す海己。
誉められるのに慣れていないのか、彼女はそれでも照れた様子で火にかけた鍋をお玉でかき混ぜた。
宮穂はというと、手持ち無沙汰なのか、傍らに置いてあったゴボウを手に取ると、首をふるふると振る。
「それはそれで、無謀だと思いますが…なろうと思っても、私は奈緒子会長のように腹黒…万能にはなれませんから」
「え、そ、そうかなぁ…?」
「はい、それに、凛奈先輩のようにスポーツが出来るわけでもないですし。やっぱり海己先輩が目標としては妥当かと」
「だ、妥当…」
宮穂の言葉に、ずーんと落ち込んだ表情になってしまう海己。その様子に、宮穂は思いっきり慌てた表情になった。
別に、彼女は悪気があって言った事ではない。ただ、歯に衣着せない物言いは、自覚しても直せるものでもなかった。
「ああっ、違うんですっ! 決してそんな適当に定めた目標というわけじゃなくて」
「う、うん、大丈夫。分かってるから――――あはは」
海己が痛々しい表情で、宮穂の言葉に笑みを返す。といっても、その表情は全然、分かってなさそうだったが。
「あ〜、腹減った………っと、なんだ、海己だけじゃなくて、宮もいたのか」
と、重い空気になりかけた台所に、航がひょっこりと顔を覗かせた。
夕食前に、何か食べるものでもないのかと、食堂に来たようである。
「あ、先輩。海己先輩に料理をご教授してもらおうと思ったんですよ」
「ああ、なるほど…で、卵を粉々にしていると」
「そ、それを言ったら駄目ですってばぁ!」
全然力のこもってない拳で、ポカポカと航を叩く宮穂。航はそんな宮穂を呆れたように見て、それから視線を海己に移す。
「ま、いいや。何か食べるものないか、海己? 夕飯が始めるまで、我慢できそうに無いんだが」
「あ、うん。ちょっと待ってて――――ええと、確か梨があったよね」
航の言葉に、海己は冷蔵庫から梨を取り出すと、しゅるしゅると皮をむく。
そうして、皮を剥いた梨を、手早く八つに切り分けると、食べやすいように爪楊枝を刺した。
「はい、どうぞ。ご飯前だけど、果物ならお腹にたまらないと思うけど――――どうしたの、二人とも?」
「ん、いや………相変わらず、手馴れてるって思ってな」
そう言いつつ、海己の切り分けた梨を口に運ぶ航。その隣では宮穂がコクコクと頷いている。
何気ない航の言葉だったが、どうやら落ち込んだ海己にとっては、特効薬の効果があったようだ。
「え…そ、そんなことないよぉ」
口では謙遜しているが、頬に赤みが差している様子から見て、明らかに照れているようだった。
航はそんな海己の様子にさして気にもしていないといった風に、次々と梨を口に運んでいる。
「そんじゃ、俺は部屋に戻るから――――夕飯の時間になったら呼びに来てくれな」
「あ、うん。呼びに行くから」
海己の返答に頷くと、航は食堂から出て行ってしまった。そんな航の背中に、小さく手を振る海己。
と、先ほどまで航の隣で黙っていた宮穂が、物言いたそうに自分の方を見ているのに、気がつく。
「〜〜〜…」
「ど、どうしたの? 宮ちゃん」
「いえ――――先輩の言葉は、随分と素直に受け止めるんだなぁ、と思いまして」
「ぁ、や、やだなぁ…そんなこと無いってばぁっ」
明らかに照れ隠しというのがバレバレの様子で、誤魔化そうとする海己に、はぁ、と溜息をつく宮穂。
正直、ここまであからさまだと、追求する気持ちも起きないのであった。
「あ、そうだ。宮ちゃんも梨を剥いてみよっか? 夕飯のデザートの分、まだ残ってるから」
「――――色々と、追求したいこともありますけど、その提案は魅力的ですね」
気を取り直してか、宮穂は笑顔で海己の所へと歩み寄った。真剣な表情で果物包丁を握る。
海己が見守る中で、まな板の上に置かれた梨めがけ、宮穂は包丁を振りかぶったのだった――――。
「で、その結果が…このサイコロというわけか」
「ううっ、すみませんっ…」
夕食時、呆れたように、航は目の前に置かれたデザートの皿に目を向ける。
航の皿にだけ、不恰好にサイコロ状に切り分けられた梨の断片が乗っかっていたのだった。
仕方が無いな、と溜息をつくと、航は梨だったものを箸でつかむと、それを口に運んだ。
「…ま、味が変わるわけでもないしな」
その言葉に、ホッとした表情を見せる宮穂&海己。また甘やかして――――と呆れたようにしているのは年長組だった。
静はというと、そんな様子をさして気にもしていない様子で、食事を続けている。
それは一週間に一度はある、いつも通りの光景だった。
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