『この青空に約束を―』
――Act3.Umi―― side story ――
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その日。つぐみ寮公認”ジェノサイド・カップル”羽山海己と星野航が、
ついさっきまでそこにいたふたりが、ほんの一瞬目を離したスキに、
あたしたちの前から忽然と姿を消していた。
「………あ!」
あたし―沢木凛奈―には、これが一体なにを意味するのか、瞬時に理解できてた。
それは――、そう、『Xデー』。
先々週、その威力をいかんなく発揮した、『妨害工作兼潜入諜報員』(任命:会長さん)
こと藤村静によりもたらされたその作戦名?が意味するところは、その、つまり、
『航と海己が、他の寮生のいない隙を狙って部屋にしけ込む』ってこと。
あのときはきっちり阻止できたけど、まさかこの、
実力テストという名の文字列の暴力を耐え抜いたあとのタイミングに
リベンジを狙ってくるなんて……反応できなかった……!
「えー、なんでなんでなーんーでー? 航君が突然消えちゃうのはありがちだから
いいとして、海己ちゃんまで一緒ってのはどゆことどゆことー?
ぶっちゃけなくてもありえなーい!」
「……ま、その理由は明白だけど、細かいことは言わぬが華ってことで」
「航の奴…飛ばしてやがるなぁ……」
「ってええぇ〜? もうあんなところにドナドナしていく航君とされていく海己ちゃんがっ!?
だれっ、いったいドコのダレがあたしの時間を止めたり削り飛ばしたり加速したり
してくれちゃったわけ〜〜!?」
ふたりが消える直前まで話してたあたしたちは、よりにもよって校庭のど真ん中を、
仲良くおてて繋いで横切っていくふたりを、教室の窓からただ見送るしかない。
「お〜の〜れ〜星野め〜〜、あの海己まで堕落させてくれちゃってあのサ○ンめ〜!
……まぁいいわ、堕落する権利は誰にだってあるっていうし。
でも権利を行使するからには義務を果たさなくっちゃぁいけないのよ……
いったいどんな重〜いヤツを与えてやろうかしら主に星野に。
見てなさいよ〜〜、うふふふふふ……!」
「……さえちゃん」
そのまま校門へと消えていくふたり―航と海己―を眺めながら、あたしは、
ホームルームのために教室にやってくる以前に、特に監督すべきふたりを見失い、
隣で黒めのオーラをほんのり漂わせている、担任教師兼寮長・桐島沙衣里に向かってつぶやいた。
目を合わせずに。
「……ってはっ! 危うくわたしまで暗黒面に……
な、なに、どしたの凛奈?」
「あたし、今日部活サボる」
「「……はい?」」
その様子におかしなものを感じたのだろう、周りのみんなは不安げにあたしを見る。
「ちょ、ちょっと、どうしちゃったのよ凛奈? ついさっきまで、
『やっと走れる』ってあんなに嬉しそうだったじゃない……!?」
「………」
紀子が心配そうに顔をのぞき込んできたけど、あたしは黙って目を逸らしてしまう。
「……っ、凛奈、ちょっとこっち!」
その様子を見て何事かを察したのか、さえちゃんはあたしの腕をつかんだ。
「え〜、なになにどしたのさえちゃん凛奈ちゃん?
あのラブ風味なふたりになにか思うところがあるのかなっ?
あたしも聞きたい聞きたい……って、なんで止めるの雅くんっ?」
「止めとけ茜、寮生どうしとはいえ『つぐみ語』だけじゃ語れない事もあるんだ、
ふたりだけにしてやれっ」
「そんなの聞いたらますます聞きたい聞きたい聞きたい〜〜、って、
待ってふたりとも置いてかないで、あああそして悪の扉は閉じられた〜〜〜」
ぴしゃり。
「ダレが悪かっ、失礼ねっ……ってそれどころじゃないわね。
……凛奈、あんたほんとにどうしちゃったのよ?」
「………」
そのまま教室の外へと連れ出されて問い質されたけど、
あたしは目を合わせず、答えもしなかった。
「……星野と、海己のこと……?」
「……別に……関係ない。ただ、急にそういう気分じゃなくなっただけ、だよ」
「関係ないって……まあ、そういうことにしようか。
じゃあ、部活サボって、今日はこれからどうするの? 寮にまっすぐ帰る?」
「……帰らない。少し、ぶらぶら、する」
「……そう……わかった。今日のところはもう何も聞かない。
でも、晩ご飯の時間までには……帰って、来る…よね?」
「……努力、する……」
「努力、ね……
教室、入んなさい。ホームルーム、はじめるから」
さえちゃんは、すみやかに航に責任を押し付けることにでもしたのだろうか、
わりあいあっさりと引き下がった。……いいのか、それで。
……ホームルームが終わった。
帰り支度を始めるあたしのところに、素早く茜がやってきた。
「凛奈ちゃん凛奈ちゃ〜〜ん、今日部活お休みするんだって?
だったらさだったらさ、ここはみんなで繰り出さないっ?
狭いながらも楽しい我らが商店街っ」
「………」
「ほらほらほら〜、そんなに自分の殻に閉じこもってないで〜。
凛奈ちゃ〜ん、でっておいであっそび〜まショ〜〜♪
(半音上げて)りんなむぐぅっ!?」
「り、凛奈っ!? この娘はあたしたちで食い止めるから、気晴らししといでっ」
「茜……やはりお前にはきっちり確認しておかなければならんことがある……」
……ごく一部を除いてシンとなった教室から、あたしは鞄を持って抜け出した。
そのまま昇降口を抜け、校庭を横切り、校門を出て、石段を降り……
いつもとは違う方向へ、ひとり、歩き出した。
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カラン、カラーン
「いらっしゃい。……あれ、凛奈ちゃんじゃないか。珍しいね、こんな時間に。
部活は? 今日は休みかな?」
「……あ……え? ここ……」
「そ。ここは俺の一国一城、サザンフィッシュ。
そして俺はマスター・オブ・サザンフィッシュ、三田村隆史。
……オーケー?」
「……マス、ター……? あたし……」
気がつくと、ここに来てた。……この島に来たばかりの、あの、頃のように。
「そういや、今日は実力テストだったんだよな? 茜がボヤいてた。
打ち上げ……でもないか。茜もまだ帰ってないし……。
……どうかしたの?」
「え、えっと……」
「……まぁ、いいさ。ほら、座って座って。何か飲む? …酒以外で」
答えられないあたしに、何も聞かずにマスターはカウンター席を勧めてくれる。
「そうそう。さっき、車で仕入れに出かけた帰りに見かけたんだよ、
航のやつと、海己ちゃん」
「……航と、海己、を……?」
「ああ、航なんかデカいケース2つも抱えて歩いててな、クラクション鳴らしたら、
こう、すげえ絶望的な顔して、ゆ〜っくり振り返ってな?
海己ちゃんなんか、びくっ! として物陰に隠れようとしてさぁ」
「……な、なんで……」
「なんでって、……つきあい始めたんだろ? あのふたり。
……聞いたよ。航のやつ、海己ちゃんと正式につきあい始めるために、
つぐみ寮の全員から了解、とりつけたんだって?」
「……あ、そう、なんだけど……
そ、そのことじゃなくて、なんで、海己が、そんなにこそこそ……」
そう、みんなでつきあいを認めて、みんなで祝福してあげて。
あれから、海己には『精神的な余裕』もできて、『ごめんね』って言う回数も減った。
なのに、なんで、そんなに、海己がおびえる必要が、あるの……?
「そのことか……。
聞いてないのかい? 海己ちゃんが、航とつきあうのに、
あんなめんどくさい条件を出したワケ」
「うん、航から聞いてる。
……あのふたりが勝手に『ふたり』になったら、『みんな』が壊れちゃうって、
海己が思ってた、からだよね?」
そう、海己のお母さんと航のお父さんが駆け落ちして、
星野さんちと羽山さんちが、仲のいいお隣どうしでいられなくなって、
ふたりが幼なじみでいられなくなった、から。
「そういうこと、だな。
……『そのこと』は、狭い田舎の島のことだったし、すぐ噂も広まった。
しかも羽山の家の方ばかり悪く言われててな。
あれから随分経って、島の人間の口に上ることも無くなったが、
また何かのきっかけで、噂になることもないわけじゃない。
だから航も海己ちゃんも、寮の外の人間にはまだ知られないようにしたいワケだ」
「……そう、だったんだ……」
あたしたち、寮のみんなで、ふたりを認めて、祝福してあげたけど。
それでもまだ、ふたりが本当に幸せになるには、充分じゃない、なんて……
「……そ、それよりさ? 聞かせてくれよ、そのときのこと。
航のやつ、凛奈ちゃんから許可とるのに、なんて言ったんだ? 何した?
『俺を殴れ』? 『俺にください』とか? 土下座? 五体倒地? それとも……」
また押し黙ってしまったあたしの様子に、マスターはあわてて話題を変えようとする。
……あんまり、変わってないような気もするけど。
気を遣ってくれてるのは、やっぱり嬉しい。
「……うん、話すね?」
暗くなった雰囲気がかき消えるように、あたしはそのときの話を始めた。
「お盆が明けて、みんな寮に戻ってきてた日でね?
リビングで、3日振りにみんな揃って、海己のごはん食べてて。
あたしが大会で結構いい結果出したから、みんなおめでとうって言ってくれて、
さえちゃんが勝手に自慢して、それをみんなでからかって。
そしたら、そのうち、航が、こう、何げなく、
『海己を俺の恋人にしようと思うんだけど、みんなの意見を聞かせてくれないかな?』」
「……ぶはっ」
「さすがにみんなびっくりして、海己が我に返って、部屋に逃げ帰ってさ、
航もあわてて追いかけてって。
あたしも他のみんなも、しばらく呆然としちゃって。そのうちみんな解散して、
あたしは少ししてから、前庭に出て、フリースローやってたの。
そしたら、航がやってきた」
「おお、それで?」
「……さっきの、航と海己の昔の話と、最近の話を聞かされて。
で、『認めるだけじゃなくて、できれば、祝福もしてくれると…』
なんて、あいつらしくもない弱気なこと言うもんだからさ、
『できれば』なのかよ、もっとハッキリ言え、って言ってやったの。
そしたら、
『ずっと海己のこと好きでいてくれよ、俺のこと嫌いにならないでくれよ、
最後まで俺たちと一緒にいてくれよ』ってさ」
「それは……あいつにしてはずいぶん……それから?」
「……フリースロー10本勝負、仕掛けたの。あたしが」
「ほぉ……」
「ま、そのうち9本なんて、プレッシャーかけるための前フリでね、
最後の1本が決められなかったら、
ふたりのこと、認めてあげないっていうことだったんだけど。
……効いてたなぁ、プレッシャー。
あいつ、すごく緊張して、汗かいて、フォームも安定しなくなって、
ドリブルもまともにできなくなって。
でも、最後には決めてみせてくれた。
海己のこと、特別で、寮のほかの誰よりも、あたしよりも好きなんだって、
見せつけてくれちゃったわけ。
だから、認めて、祝福してあげた。……『ナイッシュー』って」
「……ははっ。そりゃぁ、らしいなぁ。あいつも、凛奈ちゃんも」
「そのあとさ、あいつ、寮の他のみんなにも認めて、祝福してもらって。
それから、海己のとこ行って、もっかい『俺のものになれ』って言ったって。
さえちゃんの部屋に、みんな揃ってたところに海己が来てね、そう言ってた。
わたしたちのこと、本当に認めてくれますか、祝福してくれますか、ってさ。
だからね、みんなでからかって、脅かして、航のこと悪く言ってやった。
でも、航は本気で海己のことが好きなんだって、信じてないのは海己だけなんだって、
励まして、祝福して、送り出してあげたんだ。
そこから先は……ま、語るまでもない、ってことで」
そう、話を締めくくって笑ったあたしは、
「……あ、あれ……あたし……」
自分が、やっぱり、うまく笑えてないことに、気がついた。
「凛奈ちゃん? ……どう、した……?」
話の終わりを笑って聞いていたマスターも、
あたしの様子がおかしいと思ったんだろう、心配そうに顔をのぞき込んできた。
……あの日のことを思い出していたからだろうか。
あたしは、あの後から、自分がおかしくなっている、その理由に思い当たった。
「……マスター。あたし、最近おかしいの。
あれから、あたし、あのふたりの前で、うまく笑えなくなってる。
みんなと一緒ならなんとか普通でいられるし、海己とも、なんとか仲良くできてる。
でもね、航の前だと、なんだかダメなの。
朝の1on1も、いつのまにかやらなくなってるし、なんだか冷たく当たるようになったし。
今日なんね、テストが終わって、
教室から消えて、校庭を手をつないで横切っていくふたりを見てたら、
なんだか頭ん中がぐちゃぐちゃになってきて、部活する気もなくなって、
ひとりになりたくて、足が勝手にここに向かってた。
……まるで、あの頃の……この島に来たばかりの、ひとりで嫌なやつやってた頃、みたいに」
「……どうして、そうなったと、思ってる?」
マスターは、それを聞いても、ありがちな、無責任な答えをくれたりしない。
ただ、あたし自身の、もっと深いところを見るように、促す。
「……ふたりがうらやましいとか、やきもち焼いてるとか、それもあるかもしれない。
ううん、ほんとうはそうだからこそ、もっと、ふたりを祝福してあげたいって、
祝福してあげなきゃって、思ってるの」
「……祝福、してやったんだろ? 寮のみんなで」
「ううん、足りない。あたしのは、それだけじゃ足りない、全然、足りないの!」
「そりゃまた、どうして?」
「……あの頃のこと、あんまり思い出したくなかったからわかんなかったけど、
あの頃みたいになってみて思い出した。
だって、あのときの、嫌なやつやってたあたしのこと、
心配して、捕まえて、振り払われて、それでも食らいついて、おせっかい焼いて、
かたくなだったあたしの気持ち溶かして、『なんでも先延ばしにして逃げてる』って叱って、
ボロボロになって、腕追ってまであたしのことぶち抜いて、
そして、そして、そんなだったあたしのこと、大歓迎しますって、言ってくれたの……
あの、ふたりなんだよっ……!?」
「………」
「……あたし、あのとき、みんなにごめんって言って、ありがとうって言って、
みんなと仲直りできたけど、きっとまだ、あのふたりに、恩返しできてないの。
でも、どうすれば、もっと、祝福してあげられるか、わかんない…っ」
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「そう、か……」
マスターは、あたしの話を聞いてから一言つぶやくと、しばらく何か考えているみたいだった。
……やがて、静かに語り始める。
「今の話を聞いてて、俺もひとつ、思い出したことがある。
……昔話をしよう。……ちょうど今から7年前のことだ……」
その年の夏休み。島中に、ある醜聞が駆け巡った。
――島一番の旧家である星野の家の跡取り息子が、
こともあろうに、夫も子もある女と、手に手をとって島から消えた、と。
「……その話は、当時の島のガキ連中にも当然広まった。
それが、あの隣同士で、いつもふたり一緒だった『航と海己』の親同士だって事も。
まあ、航はガキ連中の間じゃ人気者だったし、海己ちゃんとの仲をやっかむ奴も、
噂話をネタにからかうような奴もいなかったからな。
夏休みが明けても、航の周りは、皆今までどおりだったらしい。
ただ、航の隣に海己ちゃんがいないことを除いては、ね」
「………」
「でも、かえって、周りの気遣いがある意味裏目に出たのかもな。
あれで航も溜め込む奴だからね、ますます塞ぎ込んでいくばかりだったらしい。
で、雅文のやつに、何とかしてくれって泣き付かれたんだよ」
「………」
「俺も両親が離婚してて、茜と引き離されてたからなぁ、航の気持ちもよくわかってた。
だからあいつを寮に連れ込んで、なんとか元気付けようとはしたんだよ。
とはいえあの頃の俺もまだガキだったからなぁ……
そのうちだんだんイラついてきて、終いにはキレちまって……
『そんな曇り空をいつまでも引っ張ってんじゃねぇぞ鬱陶しい。
とっととカラッと晴れるか土砂降りになるかしやがれ!』」
「……!?」
「……と、こう言って……ムリヤリ酒、飲ませた」
「………って、それって、7年前の話だから……まずくない?」
「そりゃあもう、ものの見事に潰れたね。
……ちょうど、凛奈ちゃんが初めてここに来た夜みたいに」
「………」
「で、揺すっても叩いても起きないもんだから、星野の本家に、
『相談に乗ってるうちに寝ちまったんで今夜はお預かりします』って連絡してね?
部屋に戻ってきて、どうしたもんかなぁと思案してたら、
航のやつ、突然むっくり起き上がって、じっ…と俺の顔を見据えたあと……
『隆史くん、おれ、くやしいよ』と、一言」
「………」
「なにがどうしたんだ、と聞いたらな、こう話し出した。
『あの日、おれの父さんと海己のおばさんがふたりでいなくなったあと、少ししてから、
じいちゃんが、羽山さん家とはもう付き合いをやめるって。
海己とはもう会ってはならんって。
なんでだよ、って聞いたら、父さんと海己のおばさんがかけおちしたからだって。
そんなこと知らないよ、なんでだよって言ったら、
父さんと海己のおばさんは昔恋人どうしで、
でも、じいちゃんが反対したからお別れしたんだって。
父さんは母さんと結婚して、海己のおばさんはおじさんと結婚して、おれと海己が産まれて。
そのあとまた父さんと海己のおばさんが出会って、おれと海己が仲良しになって。
母さんが死んで、父さんもおれもへこんでて、海己と海己のおばさんが優しくしてくれて、
それからずっとおれは海己といっしょで、ずっとかわらないと思ってて、
でも父さんと海己のおばさんが、昔恋人どうしだったふたりが、ふたりでいなくなって。
だから、おれと海己はいっしょにいちゃだめなんだって。おれ、くやしいよ』
……と、ね。
……別にお前や海己ちゃんが悪いわけじゃない、なんでそんなに悔しがるんだ、と聞いたら、
今度はぼろぼろ泣きながら、こう話し出した。
『あの日、おれの父さんと海己のおばさんがふたりでいなくなる前、
おれと海己で、パートに出かけて行く海己のおばさんを見送ったんだ。
そのときは父さんと海己のおばさんが昔恋人どうしだったなんて知らなくて、
じいちゃんが反対したからお別れしてたって知らなくて。
だから、出かけて行く海己のおばさんが、そのまま帰ってこないなんて考えもしなくて。
父さんといっしょにいなくなるなんて思いつきもしなくて。
父さんと海己のおばさんが、そこまで思いつめてるなんて気付きもしなくて。
隆史くん、おれ、くやしいよ。
もし、おれがあのとき、父さんと海己のおばさんの昔のことを知ってたら、
ふたりだけでいなくなっちゃうくらい、ふたりだけで思いつめてるって気付いてたら、
行かないでって止められたのに。ずっといっしょにいてって言えたのに。
でもそんなこと知らなかった、気付けなかった。
だから、おれと海己は会えなくなって、いっしょにいられなくなって、
守ってやれなくなって。またいつか会おうって、約束できなくって。
おれ、くやしい、くやしいよ……』
と、ね……何度も、何度も」
「……そんな、ことが……」
「……そのうち、泣き疲れて寝ちまいやがって。
翌朝目を覚ましたら、自分が何言ってたかコロッと忘れててな、
アタマいてー、とか言いながら帰って行っちまった。
もっとも、酔いに任せて、無意識に溜め込んでたモン吐き出したからかなぁ、
それからは航が随分マシになって助かったってさ、雅文から泣いて感謝されたよ。
……以上、俺しか知らない、航の恥ずかし〜い昔話、おしまい」
「……そう、いうこと、だったんだ……」
マスターの話を聞き終えたあたしは、なんだかすごくすっきりしていた。
「ちなみに今の話はね、酒の席での『ホウ・レン・ソウ』といってだな、
『ほう、昔そんなことが! いい弱みを握ったので皆に連絡して晒そう』の略であり、
酒に酔ってるときの報告・連絡・相談はたいへん危険であるという教訓の一例……」
「……わかった」
「……え?」
まるで、さっきまでの曇り空が、一気にカラッと晴れた気分。
「そっか……そうだったんだ……
あはっ、あははっ……」
あたしのあまりに急激な変化についてこられなかったのか、
あるいはキケンなものを感じ取ったのか。
マスターはあわてて弁解をはじめた。
「いや、だからね凛奈ちゃん? 確かに今の話から、
あのふたりが君を親たちに重ねて見てるという見解が導き出されることは認めるよ?
でも本当にそうだという保障はないし、」
「ありがと、マスター。あたし、帰る!
急がないと、海己の晩ご飯に間に合わなくなっちゃうし、ね!」
そう言うと、あたしは鞄を持って勢いよく席を立ち、そのまま店を飛び出していた。
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サザンフィッシュからつぐみ寮のふもとの石段まで、あたしはそのまま一気に駆け抜けた。
部活で走る気分にならなかったのが、まるでウソみたい。
……海己の晩ご飯の時間まで、あと15分。なんだ、余裕じゃん?
この気分と勢いにまかせて、石段を一気に駆け上っていこう。
「……あれ?」
半分を過ぎたあたりから、バスケットボールが土に弾む音が聞こえてきた。
つぐみ寮でバスケをするのは、あたしを除けば、静と航くらいしかいない。
ということは……
石段を登り切り、寮の前庭を見渡すと、やっぱり航がひとりでフリースローをしていた。
まるで、あたしの帰りを待ち受けていたかのように。
「おかえり、凛奈。……意外と早かったな?」
そして、ボールを手に持ち、なんだか緊張の面持ちでこっちに声をかけてきた。
……その理由には思いあたるところがある。
「……どうかした? 晩ご飯の時間には間に合ったと思うけど」
あたしは、あえてさっきまでの気分を覆い隠し、冷めた声で答えた。
航の方を見向きもせず、そのまま玄関に向かって歩き出す。
「待てよ、ちとお前に用がある。
……今日、部活サボったんだって? さえちゃんから聞いた」
「それがなに? いいじゃない、たまにはそんな気分になることだってあるよ」
「……そんな気分ってお前、よくねえよ、そうなった理由ぐらいあるだろ?
言ってみろよ、聞くだけ聞いてやるぞ?」
「あんたに関係ないでしょ。それに聞かせるほどの理由もない」
なにしろそんな気分、とっくに晴れちゃってるわけだしね。
でも冷たい態度を保ったまま、あたしは歩みを止めずに言い放つ。
「いいからほっといてよ。あたしのことなんかより、海己のほうが大事なんでしょ?」
……リビングの窓が開き、寮のみんなが顔を出した。
さえちゃん、会長さん、宮、静。その表情は、やっぱり緊迫ぎみだ。
海己は……玄関から慌てて出てきた。
「……っ、凛奈ちゃんっ、」
「海己!」
足を止めたあたしに向かって、青い顔して、今にも泣き出しそうな声で
『ごめん』と言おうとする海己を、航がすばやく制した。
「航ぅ……、で、でもぉ……」
「いいから黙ってろ。ここは俺がなんとかする」
……そういえばさえちゃんがぶつぶつ言ってたっけ。
権利を行使するからには重〜い義務をどうとか。
『凛奈があんなになっちゃったのは、どう考えても星野のせいなんだからねっ!
とにかくどうにかしなさい今日中に! できないと、
あんたらの付き合いを認めたこと、寮生全員、撤回させてもらうわよ!』
だいたいこんなところかな? うわぁ、そりゃあ重たいわ。
「聞いてくれ凛奈。……これでも海己のことばかり考えてた訳じゃない。
ここんとこ、朝夕の1on1もやってないし、ときどき視線も冷たかったからな。
ずっとお前のことは気になってたし、なんとかしようとは思ってたんだよ」
海己もあんなだし、早いとこ安心させてあげないと……とは思うけど。
冷めた表情のまま、航のほうへと向き直って問いかけた。
「『なんとか』って、あたしといったいどうしたいってのよ?」
「提案がある……俺と勝負しろ、1on1で。
お前が勝ったら好きにしろ。俺が勝ったら、これから言うことを聞いてもらう。
つってもこの前と同じだ……」
航は片手でバスケットボールを掴み、あたしに突きつけて言い放った。
「海己のこと好きでいろ。
俺のこと嫌いになるな。
最後まで、俺たちみんなと、いっしょにいろ!」
……このパターンはもしや、あのときの……?
って雰囲気が、みんなの方から漂ってくる。……同感。
「……なんで?
あたしとあんたが勝負する理由が、そのどこにある?」
「おまえがそういうヤツだからだ。
この半年付き合ってきてるからな、よーくわかってる。極めてシンプル……
説得も懐柔も通用しない、戦うしかない人間だからだ!」
……あー、またあの馬鹿ワケわかんないこと言ってるよ、
って雰囲気が、以下略。
航のやつ、あのときとおんなじで、アタマ沸いちゃってる。
海己にすがられて、あたしを捕まえようとして必死になって。
「………ぷ」
「……あれ?」
あたしはついにこらえきれなくなって吹き出しちゃって、
航は航で我に返って、あたしの変わり様に目を丸くしてる。
「……あは、あははははは!」
「……え? 凛、奈……?」
そのまま笑い出したあたしの様子に混乱したからか、航は掴んでたボールをこぼした。
あたしはそれを素早くキープして、そのままシュート。
ボールはきれいに放物線を描き、リングにスパッと吸い込まれた。
その軌道をただ呆然と見送っていた航の腕を、がしっと掴む。
「なっ、なんだよ、凛奈? ちょ、ど、どういう……」
「はいあたしの勝ち〜。
けどね、そんな理由であたしと航が勝負する必要なんて、
どっこにもないない! だって、さっ!」
「り、凛奈ちゃん、いったい……きゃあっ!?」
あたしは、そのまま航を海己のそばまで引っ張って行って開放し、
今度はふたりまとめて、両腕で抱きしめた。
そう。あたしはこれから、あと半年だけだけど、このふたりやみんなとずっと一緒。
笑ったり笑われたり、怒ったり怒られたり、相談したりされたり、
グチをこぼしたりこぼされたり―とにかくいろんなことを、したりされたりしよう。
そしていつかふたりに、つぐみ寮の誰より、この島の誰より、神さまにだって負けない祝福を。
だって――
「ふたりとも、だ〜い好きっ、なんだからっ!!」
あたしはふたりの、親代わり、なんだもん、ねっ――!
――Act3.Umi―― side story:
"Alternative Love" end.
――おまけという名のオチ――
……………さて。
ふたりを抱き寄せてみて、あたしはひとつ、気付いたコトがあった。
……………やはり、指摘しなくてはなるまい。なんというか、こう、立場的に?
「……………ところであんたたち、…………………………………………………………臭う」
「「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!?」」
あからさまに動揺、硬直するふたりのうち、航のほうを、どんっ! と突き飛ばす。
「……っ痛ぇな、なにすん……っておい!? ななななに海己のこと嗅いでんだ凛奈っ!?」
「やっぱ臭う、におうよ海己っ!
……………航っ!? あんた、日も高いうちから海己に何てことしてくれてんのっ!?」
「何って……………………………………………………ナニ?」
「ちっ、違うの凛奈ちゃんっ、こ、これはね?、その……わたしが、先に……」
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!? う、海己っ、言うなっ、そこから先は言うなぁっ!?」
「……あ、あんたたち……正座ッ! いいからそこにふたりとも正座ッ!!」
「「ええ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!?」」
……あたしの、お説教という名の『親代わりとしての初仕事』は、その夜、
マスターが航から預かった食糧を届けにやってくるまで、延々と続いたのだった………………
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