『破滅』との戦いから数ヶ月。
数え切れないほどの死傷者を出し、エルブワート王国の各地を戦乱が埋め尽くしたあの決戦から数ヶ月。
『破滅』によって凶暴化したモンスターたちの手により田畑は荒らされ、街の建物は突き崩された。
その被害は王都といえども例外ではなく――いや、戦いの中心であったからこそその被害は甚大なものではなく、美しい町並みは瓦礫と化し、国民に誇りと安心をもたらした王城ですら半壊の憂き目にあった。
国軍も壊滅し、王女も死に、無傷で済んだ場所など皆無に等しかったあの決戦。
辛くも人類が勝利を掴み取ったその戦いから数ヶ月。
周囲を見回して見てもその戦の傷跡はいたるところに残り、あの凄惨な戦いの記憶から眼をそらすことなど出来ない。
しかし人類はへこたれない。
哀しんでいる暇はない。
戦いの犠牲となった人々を忘れたわけではない。
しかし、過去を振り返ってばかりいても、何も変わらない。
そう。戦が終わり、平和が訪れてから数ヶ月。
王国各地では復興作業が進み、それはここ――王都であっても例外ではなかった。
まだとても元通りとは言えないが、それでも着実に復興を遂げつつある王都の中央通りを、一人の女性が歩いていた。
その女性の名前はリリィ・シアフィールド。
『破滅』との戦いでは救世主候補の一人として活躍し、王国を勝利に導いた立役者の一人である。
文武両道、才色兼備。
さらに今ではフローリア学園の学園長であり、若年にしながらエルブワート王国の要職についていたりもする、もう非の打ち所の無いような女性である。
そんな彼女が街中を歩けば人々の注目を集め、人々は尊敬の眼で彼女を見つめるのだが――
そんなことを気にしている余裕は無かった。
余裕が無いって言うか気分じゃなかった。
まあつまり何かというと、今現在リリィ・シアフィールドは果てしなくご機嫌斜めだった。
原因はというと、先刻まで出ていた会議にある。
賢人会議――この王国において、最高権限をもつ決定機関。
先の戦いで王家の血が絶えて以来、その力はより大きくなり国政のほぼ全てを担うことになっている。
リリィも王立フローリア学園の学園長に就任して以来、その賢人会議に出席しているのだが――なんというか、トロい。
反応が鈍い。
行動に移るまでが遅い。
お前らひょっとして会議長引かせるのが仕事なんじゃないのかと突っ込みを入れたくなるぐらい、延々と討議を続ける。
しかもその内容など無きに等しい。
毎回毎回、途中で何度か切れそうになる。
会議に出席する度に、自分以外の出席者を張り倒して帰ったら気持ちいいだろうなあとかいうことを思っているのだが、さすがにそんなことは出来ない。
なんだかんだ言っても、賢人会議を通さなければ予算は下りないのだ。
予算がなければ復興作業は出来ないのだ。
そもそも人材育成が目的であるフローリア学園が復興作業の中心を担っているのもおかしい話なのだが、それはしょうがない。
っていうか初めて参加した賢人会議の議題が『王都の復興作業の責任者が誰になるか』で、それがまた一人残らずやる気が無く、責任の押し付け合いのみで一時間も費やしていたので思わず『わが学園で引き受けます!』と啖呵を切ってしまったのが原因なのでしょうがない。
まあそんなこんなで今回も『フローリア学園から提出された予算案の妥当性の有無』と言う議題での会議が開催され、リリィはその能力の全てを駆使して会議を進行させ、帰還した。
それでも半日かかってしまったが。
ちなみに会議後懇親会がどうとか言っていたけど仕事を理由に帰って来た。
出たい出たくないの前に、あと数分でもやつらと会話していたら蹴り飛ばす自信があったから。
まあさておき、会議を終えたリリィは復興作業を行っている現場へと向かっていた。
その歩みは力強く、もしその道を遮るものがいたらそのまま踏みにじって押し通りそうな勢いだった。って言うか多分押し通った。
そして、復興が進み建物の数も大分増えてきた街を抜け、ある一角にたどり着く。
このあたりまで来るとまだ建築中の建物が目立ち、今もおそらく工事を行っているだろう様々な声や音が聞こえてくる。
ここが今現在のリリィ・シアフィールドの目的地。
角を曲がり工事現場の方に――出ようと思ったところで思い留まり、少し戻って物陰に入る。
そして懐から手鏡を取り出して自分の身だしなみをチェック。
髪の毛が少し乱れていた。懐を探るが、不覚にも櫛は無い。
しょうがないので髪を手櫛で整える、鏡で再確認。
――よし。まあ満点では無いけれど、及第点はあげてもいい。
一応身だしなみが整ったので、次はささくれ立った心を落ち着けるようにゆっくり大きく深呼吸。
落ち着いたところで極力自然な風を装って工事現場へと入り、
「今帰ったわよ」
そんな言葉を現場で監督している人間にかけたら
「おお、お疲れ様でござる」
明るい声でそう返された。
「……ござる?」
目の前にいたのは、現場監督だった。
それは間違い無い。
ちゃんと腕には『現場監督』と書かれた腕章もしている。
いやそこは別にいいのだが。
「どうしたでござるか?」
「カエデ?」
「はいでござる」
うん、聞き返すまでも無い。
目の前にいて現場監督をしているのは、リリィと同じ救世主候補でありあの戦いをくぐりぬけた仲間の一人、ヒイラギ・カエデだ。
「……どうして貴女がここで作業を?」
「師匠に命じられました故」
カエデはリリィの問いに、はきはきと答える。
うん、それはいいことだ。
疑問に対して明確な答えを返してくれると、会話はスムーズに進行してくれる。賢人会議の連中も見習うべきだ。
リリィがそんなことを思って軽く現実から目を逸らしていると、カエデはなおも言葉を続ける。
「師匠は復興を終えた市街の視察があるとのことでしたので、かわりに拙者が」
ああ、なるほど。
リリィの頭の中で、疑問は解消された。
あとはその確証を得るだけだ。
よし。
声に出さずリリィはそう思い、カエデに向かって最後の問いをぶつける。
「……一人で、行ったのかしら?」
「いえ」
そして予想通りの答えが返ってくる。
おそらくその後続く言葉も予想通り。
「セルビウム殿と共に行かれたでござるよ」
オーケイ、オーケイ。
なおもカエデは弟子としては師匠の後を守るものだとか、忍者は土木作業だって得意技の一つだとかそんな説明を続けるが、残念ながらリリィの耳には何も聞こえていなかった。
「リリィ殿?」
しばらく話したところでリリィの反応がおかしいことに気がついたのか、カエデは訝しげな表情でリリィに対して問いかけた。
「ふふ」
「ふふ?」
「ふふふふふふふ」
返事は笑い声だった。
いやまあ、確かに笑い声だった。
でもあれだ。
笑い声って言うのはもっと明るく、心が軽くなるようなものだったんじゃないだろうか。
カエデがそんなことを思っている間も、リリィの笑い声は止まらない。
「ふふふふふふふふ。そう、『街への視察』。私があのいけ好かない連中と会議をしている間にあいつは『街への視察』。そう、ふふふふふふ」
「リリィ殿、なんだか果てしなく怖いのでござるが」
ともすれば萎えそうになる気力を振り絞り、カエデがそう言うとリリィはにこやかに笑顔を浮かべながら答えを返す。
「大丈夫よ。カエデは何も悪くないんだから何も気にすることは無いわ。ふふふふふふふふ」
カエデ・ヒイラギ(職業:ニンジャ)は後に述懐する。
人は、笑顔のみで相手にあそこまでの恐怖を与えることができるとは思わなかったと――
王都を復興する際、その工事の順序には市街に住む人々の意見が取り入れられた。
もちろん王宮側や復興作業の陣頭指揮をとる学園側にも都合はある。
しかし、そこに実際住む人々の意見を無視した復興には何の意味もない
そんなわけで、復興作業は概ね市民の要望どおりの順序で進められた。
まず、生活区の整備。
続いて、人々の心の拠り所となると同時に、戦いで失われた命を導く教会。
そして――
酒場である。
酒は今日も疲れた人々の心を癒し、明日への活力を与えてくれる。
人々はそこにいる間、普段の苦しみを忘れて一時の喧騒に身を浸す。
「ほら、じゃんじゃん持ってこーい!」
「きゃー、大河さん素敵―!」
それは元救世主と雖も例外ではなかった。
っていうか主に一番騒いでいるのはその元救世主であるところの大河だった。
ちなみにその横に座って歓声を上げているのはセル。
フローリア学園救世主養成コースの当真大河と、傭兵コースのセルビウム・ボルト。
二人ともあの戦いを勝ち抜き、大河に至っては敵の首魁を倒した救世主である。
当然女性に人気が出ないわけが無く、最近では連日連夜大豪遊という感じであった。
ちなみに大豪遊の内容は秘密。
「ほら大河、ジョッキ空だぞ?」
「おとととと……そんなこと言ってるセルだって空じゃねえか」
「ばっかお前、俺はジョッキなんてしゃらくさいものはつかわねえんだよ」
そう言ってセルはその手に酒ビンを持ち、直に口をつけてぐびぐび飲み始める。
所謂ラッパ飲み。
「おお、やるじゃねえか」
「ふっふっふ。傭兵コースを舐めるなよ」
いや酒飲むのに傭兵もなにも関係ないだろって気もするが、そんなことを突っ込むやつはここにはいない。
って言うか酒場でそんなことを言ってはいけない。
そんなやつはこの俺が許さない。
そんなことを思い、俺もセルに続いてラッパ飲みの体勢に入ろうとしたと声をかけられた。
「大河さん、大河さん」
「んあ?」
見ると、酒場の親父である。
「あ、追加の注文か? それじゃあつまみ適当に……」
「いや、そうじゃなくて」
「なんだよ一体」
程よく酔いがまわり、気分がよくなってきたところに声をかけられたので思わず不機嫌そうな声を出してしまう。
親父は多少気まずそうな表情を見せたが、それでも言葉を続けた。
「大河さんにお客さんが」
「なんだ、また俺に会いたいって娘か? それならここに……」
「フローリア学園から」
ぴきっ
空気が固まった。
きっと錯覚ではなく固まった。
横を見るとセルもラッパ飲みの体勢のまま固まり、酒瓶からはどぼどぼと酒が流れ出して床にこぼれていた。ちょっともったいない。
いや、そこは問題では無い。
とりあえず勇気を振り絞る。
俺は救世主だ。あれだけの戦いを潜り抜けた今、怖いものなんて何個かしかない!
「……で、どなたがいらっしゃったんでしょう」
ごめんやっぱり怖かった。
って言うか俺の怖いものはほぼ全てフローリア学園に集中してるので当然と言えば当然なのである。
そこ、情けないとかいったやつ後でちょっと便所の裏まで来い。
「私です」
そう言ってマスターの後ろから現れたのはリコだった。
セーフ。
セーフセーフセーフ。
全身全霊で安堵の溜息をついてから椅子に座り込む。
セルも状況を把握できたのか、同じように自分の席に座った。
そして俺は、酒で軽く喉を潤してから問いかけた。
「で、どうしたんだ? こんなところまで」
「リリィさんからこれを預かってきました」
また空気が固まった。
セーフと見せかけてアウトだった。
アウトって言うか魔送球?
思わず向こうの世界にいたときに見たスポ魂野球漫画に思いを馳せている間に、リコはそれを俺の目の前に置いた。
その装飾された封筒は、学院長――つまり今はリリィだが――による正式な通達であることを意味する。
「大河、やべぇんじゃねえの?」
「あー、さすがに最近遊びすぎたかなあ」
別に復興作業を何もしていないとか言うことは無いが、確かに最近は飲んでばかりいた気がする。
さすがにそろそろ心改めて作業しないといかんよなあ。
そんなことを思いつつ封を破って中身を取り出す。
中にはきっと出頭命令が書かれてるんだろうなあ、謝れば許してくれるかなあ、とか思いつつ折りたたまれた書面を取り出し、広げてみる。
書いた本人の性格をあらわすかのように、そこには簡潔な文章が記されていた。
「Kill You」
簡潔すぎた。
ついでに言うと血のように真っ赤なインクで書かれていた。
「リコ」
「はい」
「リリィ、どれぐらい怒ってた?」
「怒り狂うと言う表現があれほどしっくり来る状態も珍しいと思いました」
あー……
どうしたものかと思っているうちに、リコは「それでは」と言い残してさっさと帰っていった。
とりあえずここに長居していてもいいことはあるまい。
俺はそう判断してセルに目配せし、セルもうなずいてから行動に移る。
勘定を済ませて出口へ。
まずは離脱だ。
素直に謝るにしても逃げるにしても、ここに留まっていては時間と共に状況が悪くなるばかりだ。
そして俺たちは揃って店の出口から外へと
「うぎゃっ!」
出た瞬間雷が落ちてセルが焦げた。
そのまま倒れて動かなくなった――いや、よく見るとぴくぴくと痙攣はしているから死んではいないっぽい。
さすが、耐久力には定評のある傭兵コース。
とか感心している場合でもない。
俺を狙ってセルに当ってしまったのか、まずセルを倒しておこうと思ったのかはわからない。
それでも、次のターゲットが俺なのは間違いない。
そう、さっきの攻撃が――雷撃呪文が誰の仕業かなどと考える必要もない。
仮にもあの戦いを生き抜いた傭兵、セルビウム・ボルトを一撃で戦闘不能に陥れるような攻撃呪文の操れるものなど、このアヴァター中を捜してみても数えるほどしかいるまい。
そして、探す必要はない。
セルビウムを一撃で打ち倒したその魔術師は。
広場を挟んで反対側、大通りの真ん中にしっかと立ち。
その姿を隠すことなく、その怒りを隠すこと無く。
類まれなる意志力の全てを込めた視線を、正面から大河に叩きつけるそのものは。
「よ、ようリリィ」
返事は爆炎。
俺に挨拶すらさせる気はないらしい。
ざりっ、と。
地面を踏み躙るようにそんな音を鳴らし、リリィは俺の方へと歩を向ける。
その瞳はまっすぐに俺を射抜いたまま、その両腕からは視覚できそうなほどの濃密な魔力を纏わせて。
「大河」
「はいっ!」
その声だけで心臓が止まるかと思った。
ひょっとして俺の名前呼ぶときに高速言語で呪詛組み込んでたりしてるんじゃないだろうかと疑いたくなるほどに。
「今日、貴方には橋梁工事の監督をお願いしたと思っていたのだけれども」
「いえその、それはカエデが『土木工事は忍びの得意とするところでござるよ』って」
師匠思いの弟子で大変喜ばしいことである。
嘘はついていない。
カエデは確かにそう言って仕事変わってくれたし。
ただそれが俺が言い出した事なのかカエデが言い出したことなのかという些細な問題なので、その辺は誤差ってことでスルーしてみよう。
そんなわけで、俺は頑張って正面からリリィの顔を見据えてみる。
超怖かったが頑張った。
周囲には既に誰もいない。
万一のときは慌てず騒がず迅速に避難。
先日行った避難訓練は人々の間にしっかり根付き、有効に活用されているようで喜ばしい限りだ。
まあ当事者たる俺が逃げるわけには行かないし、多分今逃げようと思っても果てしなく手遅れなのでこの状況を打破するために俺は頑張って言葉を続ける。
「いや、信じてもらえないとは思うがさっき反省してお前のところに戻ろうかと」
「本当?」
素直に聞いてもらえた。
正直びっくりした。
リリィの歩みはぴたりと止まり、心なしか両手の魔力も薄れつつある。
「じゃあ、明日からは隙を突いて街に行ったりしないで学院の復興作業を真面目に手伝うと」
「おう、もとよりそのつもりさ!」
この機を逃してはいけないと、リリィの問いに全身全霊を持って爽やかに答える。
駄目押しとばかりにサムズアップして歯もきらりと輝かせて見た。
そして訪れる静寂。
もう周囲には人の気配など欠片も感じられない街の中、俺のほうを睨みつけるリリィと爽やかモードの俺。
風がびゅう、と音を立てて通り過ぎる。
そして数分――実際には数秒にも満たなかったかもしれないが、そのままの体勢で時間が流れる。
「……信じていただけましたでしょうか」
いつまでもこうしているわけにも行かないので、俺は恐る恐る口を開いてそう問いかける。
そんな俺の言葉を聞いたリリィは、その表情を優しく、そして鮮やかな笑顔に変える。
「信じると思う?」
「いや正直あんまり」
素直な感想に対する答えは大爆発だった。
零距離だった。
すんでのところでかわしたが、一瞬前まで俺とリリィのいた場所には見事なクレーターが完成していた。
「あぶねえだろ! 前髪焦げたぞ!」
「安心して黒焦げになりなさい! 付きっ切りで看病してあげるから!」
俺の抗議に聞く耳持たず、とうとう怒りを露にした赤毛魔女。
その両の手が振るわれるたびに火球やら稲妻やら冷気やら爆風やらが舞い踊る。
恐ろしい勢いで詠唱すらなく解き放たれる魔術だが、その破壊力は正に一級品。
その証拠にさっきから流れ弾を何発か受けたセルはボロ雑巾のようになって瓦礫の中に埋もれつつあった。
「ちょっと待て、殺す気か!」
「アンタがこんなもんで死ぬわけないでしょっ!」
正論である。
自慢じゃないが俺は歴戦の勇士ってやつである。
敵の攻撃魔術をかわし、捌く技術は身につけているし、このアヴァター中探しても俺以上にリリィの攻撃魔法を喰らったやつなどいはしない。
いや実際『破滅』のやつらより攻撃を受けた回数が多いっぽいのはどうかと思うが。
「これで――」
そんなことを考えた一瞬の隙をついて、リリィは次なる呪文の詠唱を完成させる。
今まで連発していた小技ではなく、並みの魔術師であれば大規模な儀式が必要になるであろう、明らかに対個人ではなく大軍を意識した大規模魔術。
そんな魔術を元フローリア学園主席にして現学園長、人々(と言うか主に俺)から『爆炎のツンデレウィザード』と称されるリリィ・シアフィールドは僅か数節の詠唱と印のみで完成させる。
「終わりよっ!」
そして容赦なく解き放たれる魔術。
俺を中心に周囲の建物までも巻き込んで破壊の力を撒き散らし――
「ついでっ!」
そういって本当についでとばかりにすげぇ勢いで追い討ちの魔術弾を数十発。
Z戦士も真っ青なそのコンボ。
ドラゴンだってきっと死ぬ。
周囲でもうもうと立ち上る土煙は一向に治まる気配を見せない。
「ほっほっほ。救世主候補生同士の戦いに負けたんだから、一日私の言うことをもらうわよ!」
そして、勝利を確信しての高笑い。
やっぱりコイツって救世主より悪の大幹部向きだよなあ。
まあ、気持ちはわかるんだが。
「残念でした」
俺は、負けるわけにはいかない。
だから俺は立ち上がる。
ちなみに身体は無傷。
まあ服はあちこち汚れていたり裂けていたりするが、特に気になるほどではない。
そして俺の手には――
「くっ!」
状況を把握した瞬間、無詠唱で解き放たれる無数の光弾。
しかし俺はその手に持った剣を二度三度とふるい、その光弾を叩き落す。
そう、俺の手に握られている一振りの長剣。
それは救世主の証であり、救世主の力そのものとも言えるもの。
「無駄だ。いくらお前が自称天才なツンデレ破壊魔女だろうと、召喚器のあるものとないものでは勝負にならない」
其の名は召喚器、銘を『トレイター』と言う。
ざり、と。
俺が一歩前に進むと、リリィは一歩後ずさる。
形勢逆転。
俺もリリィも戦士と魔術師と言う職業差こそあれ、同じフローリア学園の救世主養成コースでしのぎを削った間柄である。
そして模擬戦では毎回ほぼ互角の成績だった俺たちだが、こうなると話は違う。
ここ、アヴァターにおいて『救世主』とは単なる概念上の存在ではない。
救世主――そして救世主候補生は、身体能力や魔力が優れていると言うだけではなく。
この世界から――アヴァターから力を借りる媒体として『召喚器』と呼ばれる魔具を具現化させる。
その力は、圧倒的。
「くそ、この!」
リリィの渾身の魔術ですら、俺の召喚器――トレイターの一振りで吹き散らされる。
「リリィ」
「なによ」
間合いを詰めながら問い書ける俺に対して、リリィはなおも気丈に答える。
さすがリリィだ。どんな相手にだって屈しない。
そんなリリィが――
じゅる。
「な、何よだれすすってるのよ!」
「おお、いかんいかん」
言われて口元を手でぬぐい、もう一度リリィの方に向き直る。
本当にいかん。
ここは冷静に事を進めなければ。
「で、リリィ」
「……何よ」
「この勝負は、『救世主候補生同士の戦い』なんだよな?」
「……それで?」
自分が圧倒的に弱い立場であろうと、決して相手に屈しようとは思わないその瞳。
胸を張ってその両脚で大地を踏みしめ、俺の前で毅然と立ちふさがるリリィ。
じゅる
「だから、よだれをすするなあっ!」
「いやごめんいやホント」
思わず想像したらよだれが出た。
馬鹿みたいとか言うな。
男だったらしょうがないはずだ。
だって。
だってフローリア学園には規則があるんだから。
『救世主候補同士の戦いに負けた物は、一日の間勝者の言う事を聞かなければいけない』
ナイス規則。
びば規則。
「この前断られたアレとか……」
想像して思わず口に出した瞬間、轟雷と爆炎と烈風がすっ飛んできた。
「危ねぇな! 不意打ちなんて汚ねぇぞこのリリィ・シアフィールド《へっぽこマジシャン》!」
「そんな恥ずかしい事できるわけないでしょこの当真大河《エロガッパ》!」
「ほっほう、それじゃあ逃げたらいいんじゃないのかな? リリィ・シアフィールド《ツンデレウィザード》」
「召喚器でも捌ききれないぐらいのキツイのお見舞いしてやるわよ。覚悟しなさいこの当真大河《甲斐性なし》」
「候補じゃない救世主様の力を見て泣きじゃくるなよ、このリリィ・シアフィールド《瞬間湯沸し破壊魔女》」
そして俺とリリィの間の空気がじりじりと緊張感を増し、どこかの瓦礫が崩れた音をきっかけに戦いの幕は上がる。
「どりゃああああっ!」
「はああああああっ!」
ちなみに、
『あいつらの喧嘩に巻き込まれるぐらいなら一人でガルガンチュワに特攻した方がマシだ』というのが気絶したまま放置されて逃げそびれたセルビウム・ボルト(職業:傭兵)の言葉であった。
それでも全治一週間で済んだセルもある意味バケモノではある。
おまけ
結局一昼夜に渡った俺とリリィの戦いの結果はと言うと、
二人揃って学院ロビーでの正座だった。
ちなみに、首からは『わたしたちは街を壊したお馬鹿さんです』と書かれた看板をぶら下げている。
「あの、ダリア先生。周囲の目が痛いんですが」
「そうよ。ほら、今日も仕事が山ほどあるし――」
「だまらっしゃい!」
そして俺たちの前にはダリアのねーちゃんがご機嫌斜めどころか怒りも露に仁王立ちしていた。
普段が普段だけに逆に怖い。
「みなさい、この苦情の山! 復興作業を手伝うどころか一晩でここまで見事に被害を広げるなんて、破滅の将だってびっくりだわよ!」
そう言ってどさりと俺とリリィの目の前に積まれたのは、見るまでも無く苦情の山。プラス請求書。
置かれた瞬間リリィと揃って目を逸らした。
「事後処理はみんなで頑張ってくれているから、貴方たちは今日一日ここで正座! ちなみにご飯もおやつも抜き!」
どこの小学校の体罰だ、とか突っ込みたくなるが、実際やってみると結構辛い。
っていうか何が辛いって学園中の人が見に来てはくすくす笑って帰って行くのがすげぇ辛い。
「いやでも俺も復興作業が」
「私も予算会議が」
「いいから座ってなさい!」
仕事に逃げる事すら許されねえ。
「ちなみに明日は二人でトイレ掃除をしていただきます」
「いやあのダリア先生。俺、仮にも救世主なんだけど」
「私、この学園の学園長」
「だまらっしゃい!」
その後ダリアのねーちゃんのカリキュラムによる罰は一週間に渡って行なわれた事を記しておく。
「くそ、もとはと言えばお前があんな魔法を使わなきゃ」
「あんたが仕事サボって遊び歩いてたからでしょ!」
一週間の予定が十日に延びてしまった事も追記しておく。
|